母を求めて異世界へ

泡森なつ

プロローグ 一足先に異世界へ

「ルカ、ちゃんと噛んで食べなきゃダメでしょ~」


「だって、お母さんのご飯とっても美味しいんだもん!なんでこんなに上手に作れるのー!?」


「それはねぇ、お母さんのとっておきの魔法があるからかなぁ」


「魔法!?」


「そうよ、なんでもできちゃうんだから!」


「じゃあじゃあ、お裁縫が上手いのも、早寝早起きできるのも、お仕事がすぐ終わるのも、ぜんぶ魔法……!?」


「ふふっ、そうよ。お母さんは魔法使いなの!」


「すごい……僕もなりたいな、魔法使い……お母さんみたいになんでもできるようになりたいな……!」


「なれるわよ、ルカならすぐになれるわ、きっと……」






 在りし日の会話から数か月、少年が立っていたのは歩道橋の真ん中であった。


「……」


 ゴウ、ゴウ、と大型車の行き交う音が歩道橋に響き、振動となって少年に伝える。


「お母さん、待っててね……」


 そう呟くと、少年は欄干に足をかける。車の勢いが最も激しい時合、目も回るような車両の渦に、小さな影が飛び降りた。






「警視庁によりますと、今日夕方6時ごろ、都内○○区の交差点で小学生とトラックが衝突する事故がありました。この事故で、小学生の阿藤流花くん12歳が衝突し、都内の病院へ搬送されましたが、間もなく死亡が確認されました。警視庁では、事故直前に見ていたと思われる、付近の歩道橋に落ちていたスマートフォンのデータから、阿藤流花くんに自殺願望があったと見られ、学校内でのいじめの可能性も含め、引き続き捜査を進めるということです。」






 熱い。寒い。全身の感覚が騒いでいる。自分がどこにいるのか。止まっているのか、動いているのか? 何も分からない。分からないで居ると、自分が液体のようになっていくのが分かった。溶けるような意識の中、必死に考えた。自分が何者なのか、なにがあってこんなことになっているのか、何故こんなことをしたのか。考えていくうちに、やがて心の中で答えが確立すると、突如浮かび上がったかのように、少年は目を覚ました。





「うわあ!?」




 目を覚ますと、そこは暗がりだった。いや正確には、暗がりの中でソファーのようなものにもたれ掛かり、とてもリラックスした状態で正面の漆黒を見つめている、そんな状態だった。


「どこなんだ……ここは?」


 先ほどの感覚が狂うような経験から打って変わり、今は自分の正体が良く分かる。彼は12歳の少年、阿藤流花あどうるか。混濁した意識を整理しながら、周りの状況を確認する。すると――。


「ここは、あの世とこの世の狭間」


「わっ!?」


 ルカの独り言に反応したその声の主は、すぐ横にいた。も自身と同じように座るようにして居るのがなんとなく分かる。こちらを向かず、前を向いて話をつづけた。


「貴方は現世で自殺を図り、死にました。覚えていますか?」


「え、ええと……はい。あの、あなたは誰なんですか?」


 ルカは隣に座るを凝視する。うっすらと光っており、なんとなく女性の姿に見える。声色は優しいが、どんな声か言葉にできない。おぼろげで理解の及ばないその存在を、少年は直観的に『神』だと認識した。


「私はあなたがこのままあの世に行くのを止めて、へと向かわせる案内人。きっと、そこは貴方が行きたがっている世界です、ルカ」


「なんで僕の名前を……ま、まって!僕が行きたがっている、つまり『異世界』!?」


「えぇ、あなたがなにを望んでそこへ向かうのかはともかく、あなたがした行いは、偶然にも異世界への片道切符を得る手順だったのです」


「やっぱり本当だったんだ……はやく、僕、はやく異世界に行きたい!」


「では、まずはあちらをご覧ください」


「あっち……? 真っ暗だけど」


「もうすぐ始まりますよ」


 神と思しき者の一言とともに、まるで劇の開幕のようなブザーが大音量で鳴り響いた。ルカは黙って目の前の暗闇を見つめる。何かが、あの先で始まるんだ。


「うっ……!」






「今貴方が見ているのは、これから貴方の魂が宿る肉体の記憶。名をアドリアル・カリオストロ。ちょうど異世界のどこかで、先ほど転落死した肉体です。あなたと同じ年齢ですが、魔法に大変造詣の深い者です。これだけの知識と記憶を直接流し込まれるのは苦痛でしょうが、耐えてくださいね」


「あっ……あぐ、あ……」


 淡々と状況を述べる神の横で、少年は脳内になだれ込む情報の嵐により放心状態であった。全身の筋肉は緊張と緩和を繰り返し、身体は危機的状況による反射で、口からはよだれが垂れ、失禁すらしていた。後悔すらする間もないほどの記憶と知識の海が、頭の中で広がっていく。


「では、異世界へと行く前に、貴方が彼の地で生きていく為の力を授けましょう」


 頭が割れそうなほどの頭痛と共に、神の声が聞こえてくる。


「貴方が死んだ理由は何ですか? 何を求めて異世界を目指したのですか? 答えに相応しい力を与えましょう」


「ぼくが……ぼ、僕がい、いせかいで……」


「かあさんに、母さんに会うために……!」


「……いいでしょう」






 母さんの声を思い出した。ちょうどあんな風に優しかったのを覚えている。


 少年は朦朧としながらそんなことを考えていた。体が浮いているようだ、しばらくこのままで居たい。眠気すらも感じる。そう思っていると、次第に視界が開けてくるのが分かった。茶色い岩肌に、加えて自分の近くでぼんやりとハエのようなものが飛んでいるのが分かる。


「これは……いっ! なんだ、なんなんだこれ……!?」


 転生が成功したのだ。新たな肉体、アドリアル・カリオストロに阿藤流花の魂が宿った。しかし神曰く、その肉体は先ほど死んだばかりで、死因は――。


「転落、死……ごぼっ……!」


 吐しゃ物の混じった大量の血を吐いて、ルカは再び、意識を暗がりの底へと落としてしまった。異世界生活1日目の出来事である。


 つづく

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