第3話 事の真相
清彦は、無念さでギュッと目を閉じた。
しかし、父の言葉には続きがあった。
「だが、牛は売らんよ。チェルシーはもちろん、どの牛だって売らん。貸すだけだと言っただろう」
清彦は顔を上げた。
父の表情からはさっきの硬さは消えていた。
「……でも、結局は売るんじゃないの? だって、繁殖用貸し付けなんだろう?」
「違う」
父は妙な顔をして、大きくため息をついた。
「……
桑島というのは、もう十年も勤めているベテランの従業員、そして小野寺というのは美咲のことだった。
「じゃあ、売るっていうのは……」
「そんなこと、一言も言っとらんぞ。誰だ、そんなことを言ったのは」
父は憮然として家族を見回した。
母も祥子も首を横に振った。
「そら、お前の思い込みだろう」
安堵と情けなさが津波のように清彦を飲み込んだ。全身の力が抜けて、その場にへたり込んだ。ここ三週間ばかり悶々としていたのは、悩み損だったというわけか。
しかし、どうもおかしい。
確かに「売る」という言葉を父の口からきいたはずなのだが……気のせいとはとても思わない。まったく、親父ってのは、頑固なくせに案外勝手なものだ。
しかし、清彦はもう父を責める気にはならなかった。
「よかったじゃない、お兄ちゃん。ほら、アイスでも食べれば」
祥子は清彦の肩を小突いてホームランバーを差し出した。
清彦は力なくそれを受け取った。包装紙を剥がして一口かじる。バニラの味が身体中に染み渡るようだ。
「そうそう、よかったと言えば、例の馬の話。ハナコとワカコが売れたのよ。それもこっちの言い値で。あの子達、無事に貰い手がついて本当によかったわぁ」
「うちも本格的にサラブレッド生産に乗り出すか。清彦のように、これからは農家にも『売り』が無いとな」
父はそう言ってニヤリと笑った。
さっきは清彦の発案を『馬鹿げたこと』と一蹴したが、実を言うと嬉しかったのだ。
それまで嫌々この道を歩んでいると思っていた清彦が、気付けば自主的に経営について考えるようになっている。牧場経営者としての自覚が、確かに萌芽している。
真剣に語る清彦の瞳の中に、若き日の自身の情熱を垣間見たようだった。
それから一週間後、清彦の元へ綾子から手紙が届いた。
親方の好意で、無事に来月の八日から十日にかけて里帰りすることができる、とのことだった。
清彦はにわかに胸が高鳴った。
あと十日もすれば、綾子に会える。
しかし、七夕祭りのことについて特にふれられていないのが気がかりだった。
ひょっとしたら七夕祭りに一緒に行くことを楽しみにしているのは自分だけなのではないか、と。
しかし、そんなことを考えていても仕方が無い。
今はとにかく、綾子の最初の手紙の言葉を信じるのだ。
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