第2話  父との対峙

 その夜、清彦はちゃぶ台を挟んで父と向き合っていた。

 本当に希望を通したい時に、食事の席で話をしては駄目だということを、清彦は経験で学んでいた。

 ちゃぶ台の上では母がれたお茶が湯気を立てていた。

 父は甚平じんべい姿で片手に団扇うちわという緩んだ格好だったが、表情は険しく、額には深いしわが刻まれていた。


「父さん、俺、牧場を継ぐよ」

 開口一番、清彦はにこやかに言った。しかし、父の表情は眉一つ、口元一つ動かない。

 それもそのはずだ。清彦が農学部に進学した時点で、牧場を継ぐというのは決定事項も同然だったのだから。

 父は返事をしなかった。


「けれど、条件がある」

 清彦は毅然とした声で言った。さっきまでの微笑みはもう消えていた。

「チェルシーを売らないでほしい。父さんは、チェルシーを潰すつもりなんだろう」

 父の眉がぴくりと動いた。清彦は畳み掛けるように続けた。


「分かってるんだ。俺だって、うちが厳しい状態だっていうのは。借金があることだって知ってるよ。けれど、やっぱりどうしてもチェルシーを手放すのは嫌なんだ。だって、俺にとってあいつは家族も同然だから」

「私もそうよ」

 清彦の後ろでアイスキャンデーをなめていた祥子が合いの手を入れた。

 父はじろりと祥子を見た。祥子はたじたじとなって視線を落とした。

 母は台所で食器を洗っていた。背中を向けながらも、話し合いの行方に耳を傾けていた。


「父さん、牛を売って借金の返済にてるつもりなんだろう。けれど、そんなこといつまでも続けられないよ。どんどん先細っていくだけだ。子供の分際で、生意気なことを言ってごめん。でも、俺にいい案がある。怒らないで聞いてほしい。それは……宮瀬牧場を、観光化するんだ」


 父の眉間に皺が寄った。清彦は反論を挟む余地を与えずに、言葉を続けた。


「最初は、何か一つでいいから、特徴的な乳製品を作るんだ。離れの台所を改装してね。ヨーグルトとか、チーズとか、アイスクリームとか……何でもいい。一つでいいから、『売り』を作り出す。そしてそれを売っていく。売り続けるうちに、宮瀬といたらコレ、という風に世間に定着するはずだ。そうしたら、その収益を拡大再生産に充てる。これを繰り返す。いずれは工場を作る。そこで、今度は二種類、三種類と商品を増やしていく。要するに、宮瀬というブランドを作るんだ」


 清彦の口調はどんどん熱を帯びていった。


「それから、牧場の一部を観光客用に開放して、牛の乳搾り体験や、馬やポニーの試乗もできるようにする。そうすれば、週末に家族連れが来るようになる。幸い、ここは仙台からそう遠くない。収益が上がったら、牧場の一角にロッジを建ててもいい。そこでうちでとれた牛乳や肉、卵を使った料理でお客さんをもてなすんだ。そうすれば、もっと遠いところからもお客さんが来るようになる。宮瀬の名が、全国に広がるようになるよ。小岩井農場よりも知名度を上げることだって夢じゃない」


「お兄ちゃん、すごい!」

 祥子は興奮して大声を出した。

 清彦はほんの少し得意そうな顔で祥子の方を見たが、またすぐに真剣な顔に戻った。


「馬鹿げたアイディアと思うかもしれない。けれど、父さん。日本は今ものすごい勢いで成長していってるよ。工業だけじゃなくて、農業だって変わっていかなくちゃいけないんだ。大切なものを守っていくためにもね。だから、お願いだ。俺、全力を尽くすから。チェルシーは売らないでくれ」

 清彦は床に手をついて頭を下げた。背中に冷や汗が流れるのを感じた。


 いつの間にか、台所の水道の音が止まっていた。

 母も神妙な顔をして、父の後ろに控えていた。

 父は長いこと押し黙っていたが、冷めた茶を一気に喉に流し込むと、湯飲みをゴトンと起き、重い口を開いた。


「だめだ、そんな馬鹿げたことは」

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