第3話 清彦の親友
「チェルシー。お前だけだよ、俺のことを分かってくれるのは」
清彦は猫なで声を出しながら、暗い牛舎の一角でチェルシーの喉を撫でていた。
チェルシーは全てを達観したような瞳で清彦の手からもくもくと草を食べている。
チェルシーは清彦が小学六年生の時に生まれた。
彼女は乳牛でも肉牛でもない。ペットの牛である。
清彦はチェルシーが生まれる時に初めて牛のお産の介助をした。
それまで牛というものはただどんどん繁殖していくのだと思っていた清彦は、チェルシーのお産に立ち会って、「命の大切さ」というものを身をもって学び、この牛を自分で飼いたい、と父に懇願したのだ。
父は貴重な牛をペットにするのはどうかと首をひねったのだが、そこまで牛に興味を抱いた清彦を見たのは初めてだったし、将来を考えて一頭の牛を一人で世話するのは良い経験になるだろうと考え、世話は全て清彦がやることを条件として、誕生日プレゼント代わりに彼に与えたのである。
清彦は精一杯格好いい名前を、と一晩中考えて「チェルシー」と命名し、父との約束を忠実に守り、毎日甲斐甲斐しく世話をした。
そして昔清彦の腰のあたりまでしかなかったチェルシーは、今ではすっかり立派な体格になっている。
「あぁ、俺本当に東京に行きたいのになぁ……」
清彦がもう何度目かそう呟いた時のことだった。
「ま~た牛に話しかけてるのね」
急に声をかけられて慌てて振り向くと、そこには懐中電灯を手にした綾子がいた。
「うわっ! 何だ、綾子か。ビックリした」
「ビックリしたのはこっちの方よ。真っ暗な牛舎で一人佇んでボソボソ話してる人がいる、って思って近付いてみたら、清ちゃんなんだもん」
綾子はニヤニヤと笑みを浮かべながら言った。
「っていうか、何で綾子がここにいるんだよ。ここ俺ん家だぞ」
清彦はわざとぶっきらぼうに言った。
「お母さんから頼まれたの。卵と牛乳買ってきてって。お母さんドジだから、昼のうちに清ちゃん家に買いに行くの忘れちゃったんだって」
「へぇ、もう済んだの?」
「うん」
綾子は左手の風呂敷を掲げて見せた。でこぼこに膨らんでいる。
「……送るよ」
清彦はシャツに付いた牧草を払いながら言った。
「いいよ。いつも通ってる道だもん」
綾子は首を振って断ったが、清彦は
「でも、少し距離あるし、道暗いし」
と言うと、有無を言わせず道を先導するように、牛舎を出た。
綾子は嬉しさに頬を染めた。
「またね、チェルシー」
綾子が照れを隠すように頭を撫でると、チェルシーは鼻を鳴らした。
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