第2話 清彦の未練
俺は東京に行けたのだ、と三か月経った今でも思う。
こうして大学からの帰路、電車に揺られながら何気なく窓の外を見ていても、未練が思考回路に侵入してくる。
自慢ではないが、小・中・高と常にトップクラスの成績だった。
高校三年の春の個人面談で、四年制大学を希望した際、担任の教師が「君なら東大にも行ける」と言ったほどだ。
清彦はその言葉に目を輝かせ、家に帰ると早速夕食の席で両親に言った。
「俺、東京の大学へ行きたい」
そうしたら、父親ににべもなく
「ダメだ」
と即答された。
「どうしてだよ?」
清彦は食い下がった。
「お前、東京出て何を勉強するつもりだ?」
父親は険しい声で尋ねた。
「何、って……勉強」
「何の勉強をするんだ?」
清彦は答えることができなかった。
父親は心の奥底を見透かすような目で清彦を一瞥すると、こう告げた。
「……お前はうちの牧場を継ぐんだ」
「嫌だ」
今度は清彦が即答した。
「どうして俺なんだよ? うちには祥子もいるじゃないか」
食卓で急に名指された妹の祥子はあからさまに眉をひそめた。
「今はお兄ちゃんの話でしょ。私を巻き込まないでよ」
「家の話なんだからお前にだって関係あるだろ」
即座にやり込められて祥子はまたムッとした。
父親が制止するように茶碗と箸を置いた。
「祥子は嫁に行くだろう。それに、清彦、お前は男だ。うちには男はお前しかいないんだ。宮瀬牧場は代々長男が継いできた。私だってそうだ」
代々って言ったって曽祖父さんの頃からだろ。たかだか三代で何を大げさなことを、と清彦は心の中で毒づく。
口に出して言わないのは、その三代に、中でも誰より父に対して、最低限の敬意は持っているからだ。
父は戦時中、戦闘機をバラして運ぶための牛と軍馬を供給することで牧場を手放さずに済んだ。
苦しい時代を母と二人三脚で切り盛りし、必死で牧場を守ったのだ。
「……大学は仙台の大学にするんだ。そして農学部へ行けばいい。私もそうしたんだ。その分の学費なら出してやる。ただ、もしお前が東京へ行くというのなら、一切の援助は出さん。この家と縁を切るつもりで出て行くんだな」
父はキッパリと言った。
清彦は唇を噛んだ。悔しかった。
自分が進んだからと言って、そのレールを息子にも強要しようとする父が憎かった。
しかし、言い返すだけの言葉を、自信を持って提示できる将来設計というものを、自分は持っていなかった。
「……ごちそうさま!」
清彦はガタンと席を立つと、玄関へ向かった。
「ちょっと、清彦! どこへ行くの!?」
今まで事態を静観していた母親が甲高い声で言った。
「外!」
まるで答えになっていない言葉を投げて、清彦はズックを突っ掛けて外へ出た。
ドアの音が乱暴に響いた。
「外って、もう真っ暗よ! ねぇ、あなた」
「いいから、放っておきなさい。どうせすぐ戻るだろう」
父は憮然として言った。
「私、お兄ちゃんがどこに行ったか知ってるよ。お兄ちゃんね、嫌なことがあると、いっつもチェルシーのところに行くの」
「まぁ、そうなの」
「チェルシーは俺の心の友、なんだって」
祥子はそう言って微笑んだ。
父と母は思わず顔を見合わせた。
父はすぐにまた仏頂面に戻って食事を再開したが、母はその口元がふっと柔らかくなったのを見逃さなかった。
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