第4話 手当て
光量を絞ったような空はいつの間にかすっかり暗くなり、窓の外はぼんやりとしたオレンジ色の光が漏れ出ている。屋台の灯りがついたのだろう、あちこちから物売りの声やアコーディオン奏者の演奏が聞こえはじめた。
週末の夜市は昼間の市場よりもどこか陽気で、人々も開放的だ。だが、そんなお祭り騒ぎに水を差すような政府軍人の姿もちらほらと見えた。
「無粋だねぇ。あいつらも楽しめばいいのに」
窓辺までやってきたケージーが窓の外を覗き込んでせせら笑う。
「でも、今日ならボコボコにされても、すぐに軍人サンが助けに来てくれるかもね」
嫌味とも冗談ともとれる言葉を落としてカーテンを閉めると、アオにベッドサイドに腰かけるように命じる。アオもその言葉におとなしく従った。
あの裏路地でのことが遠い昔のようだ。だが、まだ三日……──いやもう三日も経ってしまった。
友達はどうしているだろう。心配させてしまっているだろうか。そればかり気に掛かってしまう。
けれど最近は
それならいいのだが、とアオは自分の指先に視線を落とす。
余計な心配をかけたくないし、なによりもごろつきに絡まれた挙句、金銭を取られ殴られ蹴られ、あまつさえ見知らぬ他人に助けられて看病されていた、なんてことを知られたら心配を通り越して、きっと呆れられてしまうだろう。
それに、やっともらえた仕事だって無断欠勤してしまった。
せっかく紹介してもらえた仕事だというのに、誰も彼もに迷惑をかけっぱなしで本当に嫌になる。
「はぁ……」
無意識に口からはため息が零れ、引き攣れたように痛む脇腹に手を添えた。
まだ体のあちこちには赤黒く変色した内出血の痕があるが、一番ひどく残ったのは重たい靴で蹴られたココだろう。骨が折れてなかったのは奇跡的だ。
顔の腫れもだいぶ落ち着き、なにより自分の足でちゃんと歩けるようになったことは大きい。足首に多少の違和感はあるが、打撲が治るころには調子を取り戻せるはずだ。
「まだ痛むなら、もう少しここにいたっていいんだよ?」
親が子に囁くように優しく問いかけられるも、当の本人は少し困ったように眉尻を下げ返答をあいまいに濁した。
「あーあ、フラれちゃった」
少しおどけたように肩を竦めて笑う。
「すみません……」
「本気で謝られるとおじさんも傷つくから、やめてあげてね……」
青年の額のガーゼをゆっくりとはがしながら、何とも言えない表情を浮かべた。
「でも、こっちの傷も縫うほどじゃなくてよかったね」
ベッドサイドに大人しく腰掛けているアオの前髪を少しかき分ける。
眉毛の上から生え際に掛けて裂けた傷は、まだ中央の傷口はぬらぬらとした光沢を帯びていたが、周りは乾きはじめているようだった。
「ちょっとしみるよー」
手のひらに乗せたつるりとした白磁の入れ物から粘り気のある軟膏を救い上げると、消毒を終えたアオの額に丁寧に塗り込んだ。傷口にピリリとした刺激と傷薬独特の臭気が空気に広がる。
「お手数おかけします……」
膝の上でギュッと手を握ったアオは、視線の置き場に迷っているのか落ち着かない様子で言葉をこぼした。傷の手当など自分で出来ると言ったのだが「いいから、いいから」と体よくあしらわれた。
ケージーは慣れた手つきで、ガーゼを当て包帯をてきぱきと巻くが、その包帯のせいでアオの前髪が盛り上がり、それを見たケージーが笑う。
恥ずかしさのあまり下を向いたアオは「どうせフードを被ってしまうのだから」と、ある程度整えたところでもう十分だと伝え、ケージーの体をやんわりと押しのけた。
「……すみません。本当にお世話になりました」
「そんな大したことしてないけどね」
「でも……あの──あまり役に立たないかもしれないですけど……ぼくに出来ることがあったら、お手伝いさせてください……」
ぼそぼそとした声は小さく聞き取りづらい上に、アオの顔はケージーの靴先に向いている。これでは靴か床に話しかけているかのようだ。しかし当のケージーはさして気にした様子もなく、ポンポンとアオの肩を軽く叩き、
「そう? じゃあ、機会があったらよろしくね」
そう軽い口調で返し、口の端を少し上げて楽しそうに目を細めた。
手にした軟膏入れを薬箱の中に戻し、机の引き出しに仕舞うと、ハンガーにかけてあった外套に手を伸ばす。洗濯から回収したアオの外套だ。
「ほつれてたところはサービスで直しといてくれたってさ」
「……すみません」
手渡された外套を受け取り、僅かばかり男の方へと視線を向ける。
「ははっ。なんだか、さっきから謝ってばかりだね、アオ君てば」
「……すみま、あ……」
言葉に詰まったアオを横目にケージーは少し意地の悪い笑みを浮かべながら、ジャケットを羽織り何かを探すように左右のポケットに軽く叩いた。
どうやら目当てのものはヒップポケットにあったらしい。煙を模した絵柄の書かれた紙箱を取り出すと中身を改めると、わずかに眉根をひそめ小さく舌打ちした。どうやら形の崩れた箱の中身は空だったようだ。大きくため息をつくと、グシャリと握りしめ足元のゴミ箱に放った。
手の中に残されたジッポーの蓋を手持ち無沙汰に開け閉めし、
「まっ、ちょうどいいタイミングってことかな」
そう言って肩を竦め、男はへらりと笑った。
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