第3話 同胞

 ほどなくしてケージーが戻ってきた。

 鼻歌交じりで扉をノックはするが、部屋の中からの返答を待つこともせずに鍵を開けて中に入った。

 小脇に細長いバゲットの入った紙袋を抱え、その手には湯気を立てるスープカップを持ち、上機嫌な口調で話しかける。


「おまたせ、いやぁ~、いつもより食堂が混んで無くてよかっ……って、大丈夫!?」


 ベッドのすぐ脇で座り込んでいるアオを見つけ、驚いて声をあげる。

 慌てて持っているものをテーブルに置き、すぐさま手を貸してベッドサイドに腰掛けさせた。


「無理しないで寝てなって」


 血色の悪い顔をしたアオの様子に、ケージーは優しく言葉を掛ける。しかし当の本人は小さく左右に首を振るばかりだ。これにはさすがのケージーも呆れたように小さくため息を吐いた。


「倒れたら元も子もないだろ?」

「……早く帰らないと、友達が心配するので……」

「もう少し体力が回復してからでも遅くはないでしょ?」

「……でも」

「ほら、温かい内に食べようよ」


 宥めるかのように、頑なな青年へそう言葉を掛けるとテーブルの方へ向き直り、バゲットが入った紙袋をベッドサイドチェストの上に置いた。まだ白い湯気を立てるスープカップを無言で胸元近くまで差し出されれば、アオは受け取らざる得なかった。

 カップの中身はとろみのあるクリーム色をしたポタージュだった。ふわりと立ち上る湯気すらも優しく甘い香りがするようだ。

 観念したアオは、ケージーの顔を一瞬だけ伺い、ポツリポツリと言葉を返す。


「……すみません。代金は後で必ずお支払いしますから」

「ははっ、真面目だねぇ。忘れなかったらでいいよ。それよりも温かい内に食べちゃいな」


 冗談めかして笑い、ケージーは紙袋の中から焼きたてのバゲットを取り出す。うっすら表面には切り込みが見えた。それに沿って指の腹を添えパキリと小気味よい音を立てて割るとアオの前に差し出した。焼きたての香りが鼻腔を刺激し、思わず生唾を飲み込む。


「はい、どーぞ」


 差し出されたバゲットを手に取りポタージュに浸すと、少し柔らかくしてから口に運ぶ。バゲットは少し塩味が効いていて、スープの優しい甘さとよく合った。胃の中が温かくなり、思わずホッと安堵のため息が出る。


「飯が食えりゃもう大丈夫だろう。さてと、おじさんもお腹空いたから、一個もらおーと」


 そう言うと、ガサゴソと紙袋の底の方から使い古したペティナイフと兎肉の燻製スモークを取り出し、厚めに切り出す。バゲットに乗せると美味そうにかぶりついた。


「うん、美味い。はー……でも、これはダメだわ。酒が欲しくなっちゃうなぁ」


 そういって項垂れたケージーの様子がなにやら可笑しくて、思わずアオはふっと小さく息がもらす。


「おっ、やっと笑ったね。ずっと難しい顔してるから、アオ君ってば笑わない子かと思っちゃったよー」


 アオは一瞬だけ目を上げたが、またすぐに気まずそうに白い瞼を伏せた。残りのバゲットも小さく千切り、柔らかくしながら口に運ぶ。口の中を切っているせいか、少しだけスープがしみたが些細なことだった。

 黙々と食べることに集中しているアオを横目に、ケージーは肉の乗ったバゲットを平らげると、おもむろにクローゼットに近づき床に手を伸ばした。半開きのドアに隠されるように転がっていた膨らみのある革袋を取り出すとアオに声を掛ける。


「キミの装飾品とか小物とかはこの袋の中ね。服は洗濯中だからもうちょっと掛かるかな」

「えっ」

「あー。もしかして嫌だった? そーかなぁとは思ったんだけどさ、でも血とかでドロドロっていうか、乾いてバリバリだったから……お節介かなーとは思ったんだけど」


 革袋をクローゼットに戻すと、決まりの悪そうにポリポリと髭の生えた顎を掻いた。アオは白い睫をパチパチと瞬かせ、荷物が戻ってきた事実に面食らっているようだった。


「どうしたの?」

「あ、いえ。……なにからなにまで、本当にすみません」


 アオはそう言って申し訳なさそうに眉尻を落とし、小さく頭を下げた。


「あの、これくらいの銀色のケース、ありませんか?」

「ん? ああ、これかな?」


 革袋の中を覗き込んだケージーが見つけたのは、手のひら程のサイズの薬入れピルケースだった。

 光沢こそ失われているが、表面に彫られたツタをモチーフにした細工は精緻せいちで美しい。ただ残念なことにその中心の文字はかすれてしまっていて、読むことができなかった。

 

「はいよ」

「ありがとうございます」


 手渡されたアオはホッと安堵の息を吐く。その様子にケージーもまた柔らかい笑みを浮かべ、ポケットからシガレットケースを取り出すとそのうちの一本を口に咥えた。


「服は乾いたらあとで引き取ってくるから、それまではもうちょっと寝てなよ」

「でも、ぼくがここで寝てしまうと、その……」


 ちらりとアオの視線がソファーへと向く。何を言いたいのか察したケージーは言い淀むアオの頭をぐしゃぐしゃと撫ぜながら笑みを浮かべる……──が、しかし、勢いよく頭を撫でたものだから、アオの表情が痛みに曇った。

 慌てて謝りながら手を離すと、今度はジャケットの内ポケットから折りたたまれた薬包紙を取り出し、アオの手に握らせた。


「ごめん、ごめん。これ痛み止めと抗生剤ね。一応合法なやつだから」

「……え、でも」

「遠慮しなくていいよ。お仲間でしょ? アオ君」


 言われた意味が分からず、首を傾げた。「誰かと間違えているのではないだろうか?」そう口を開きかけたが、ケージーの自信に満ちた態度には違和感があった。

 怪訝そうな表情を浮かべるアオに、ケージーはクツクツと喉を鳴らし、


「あれ? まだ分かんないかな。おじさんも──革命軍おなかまなんだよ」


 飴色の瞳を細め、不敵に笑った。


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