第26話


 翌日の放課後、俺は薄っすら黄昏の中に陰る生徒会準備室の前にいた。ポケットから携帯端末を取り出すと、通話アプリを開いて、陽菜さんからのメールを確認する。


「今日の生徒会の仕事は終わったからもう大丈夫だよ」


 二分程前に送られて来た陽菜さんからのメール。それをもう一度確認して、俺は辺りを見回した。

 ……誰も、いないよな。

 窓の外から部活関係の声は幾らか聞こえてくるが、問題ないだろう。

 ……すげー緊張するけど、このためにやってきたんだ。もしダメならダメで、その時考えればいいさ。……だいぶへこむとは思うけど。

 一息ついて、俺はドアノブに手を掛けた。それからゆっくりと手前に引く。恐ろしいほどにゆっくり進む時間。隙間が徐々に広くなり、室内の全貌が露わになる。


「……失礼します」


「あ、須郷くん」


 理想のお姉さん系美少女、陽菜さんが振り返って、俺の名前を紡いだ。相変わらずダンボールが棚の前に積まれており、奥の方に少し年代を感じる黒いソファーが置かれている。

 閉鎖的だけど、隠れ場所には持ってこいの一室。


「……あ、えーとお疲れ様です」


「う、うん、お疲れ様」


「……」


「……」


 ……あれ、なんて言えばいいんだ、これ。

 久しぶり(と言っても二週間ちょっとぶりだけど)に面と向かって会ったためだろうか、どこか気まずさのようなものを感じる。

 陽菜さんも黙っちゃってるし……そ、そうだ、テストの結果。それを陽菜さんに知って欲しくて来たんだ。確かに、まだひけらかすような点数じゃないかも知れないけど。

 他でもない、陽菜さんに褒めて欲しい。……傲慢かもしれないけど、追いつくために、まだ走り続けないといけないから。


「「あ、あの」」


 同音の言葉が、重なり合って、消滅した。


「ひ、陽菜さんから、どうぞ……」


「ううん、須郷くんから先に」


「わ、分かりました」


 一瞬たじろぐ俺と陽菜さん。それから理想のお姉さん系美少女は、何かを気にしているような表情で、俺の方をチラッと見ては、また、視線を逸らしている。まあ、つまるところ視線が合わないってわけで。

 俺、やっぱ嫌われて……い、いや、それならメールは帰ってこないはず。まだ脈は……いや、それは俺が決めることじゃないよな。今は、俺のやってきた、一か月にも満たないこの期間で、それでも確かな変化と結果があった俺自身を陽菜さん見てもらう。どう思われても、これが今の俺。だから、せめて後悔はしない、ただ陽菜さんに知ってもらいたい。——今はそれだけでいい。

 ちょくちょく視界に映る陽菜さんの瞳。俺は一瞬目を伏せてから、切り出した。


「陽菜さん」


「うん」


「俺、陽菜さんに少しでも追いつきたくて、隣を歩きたくて、俺なりに、まずは定期テストを頑張ってみました」


「うん」


「正直、まだ陽菜さんには遠く及びません。この結果も、まだまだ足りてないですけど。……それでも、俺は陽菜さんと一緒にオタク話がしたいです。イベントに行ったり、また一緒にゲームしたりしたいです」


 俺は、さっき配られた個々の結果表を取り出した。おぼろげ記憶された前回の順位、確か270位ぐらいだった。ほとんど最下位と言って差し支えない。それが158位。100位以上、順位が上がった。

 ——それでも、まだ遠い。雲海が広がった壁の頂は見えそうにない。

 それでも、踏み出すことは出来た。今はまだ足元にすら届かなくても、駆ける意思は確かにある。


「——好きです。俺、陽菜さんのことが」


 だから、まだ、理想の陽菜さんを追いかけていたい。もしも、届かなければ、それも結果として受け入れる。


「ありがとね、須郷くん」


 優しく包み込むような声音が鼓膜を揺らした。

 視線の先、メガネを外し、束ねた髪をほどいた陽菜さんがカーテンの狭間からすり抜ける西日の光の中で微笑んでいた。


 ★★★


「須郷くんに好きって言って貰えて、ほんとに嬉しい」


 それは、私の正直な気持ちだった。爽やかな風にそっと背中を押されるように思いが、言葉となって音と共に彼に届けられていく。

 心の中で、まだ、私の事を好きでいてくれているって、自分勝手な確信があった。

 だからこそ、それが真実になった今、私はこの瞬間、誰よりも満たされていたに違いない。


「私も須郷くんのことが好き」


「陽菜さん……」


「……ずっと引っかかっていたの。本当にこれでいいのかって、須郷くんがいくら大丈夫って言っても、それは本来の、理想の形じゃないんじゃないかって。もっと彼女としての接し方が出来れば、絶対にその方がいいって思うから」


「……そうですね。きっとその方が、もっと自由で、陽菜さんが、その、罪悪感みたいなのを、感じることも無かったかも知れません。でも、そうじゃないんです」


 風鈴が風に揺れて音色を奏でるように、一つ一つを言葉にする須郷くん。


「別に、普通の形に拘る必要なんてないんです。俺は、その、陽菜さんと一緒にオタク話をしているのが楽しいんです。形に拘って悩む陽菜さんを、俺は見たくなくて、だから、その、偉そうなことを言える立場じゃないですけど、陽菜さんとなら、なんだって楽しめます、だから、もうそのことで俺のために悩まなくて大丈夫です」


 そういって須郷くんは、頬を赤らめながらも顔を上げた。そして、まだ、微かに揺れている私を見据えながら言った。


「……陽菜さんと、こうして話していることが、一番ですから」


 ——ここまで言われたら、確信に変わるよね、私。

 菫が以前言っていた。逆立場で考えてみたらって。その時に、分かっていた。自分ならどう思うかって。

 ……きっと、彼と同じことを思っただろう。形なんてどうだっていいって。ただ、好きなで笑い合えるなら、それが二人の形だから。


「ありがとね、須郷くん。こんな、自分勝手な私を受け入れてくて」


「い。いえ、お、俺は……」


 恥ずかしがりながら、俯く須郷くん。その姿がとてもかわいくて、愛おしい。

 ちゃんと分かる、私は須郷くんのことが好き。誰にも渡したくない。私の彼氏でいて欲しい。……だから。

 ずるいとは思いつつも、私は悪戯っぽく尋ねてみる。


「須郷くんもなんとなく分かっていると思うけど、私、面倒くさい女だよ。それに須郷くんが他の女の子と仲良くしていたら、嫉妬しちゃうかも知れない。それでも、私を好きでいてくれますか?」


 ☆☆☆


 ——それでも、好きでいてくれますか?

 陽菜さんの言葉が、反響する。言うまでもなく、俺の答えは決まっている。選択の余地はない。

 でも、それと同じくらい、陽菜さんが遠くにいると感じてしまう俺がいる。

 ……そりゃそうだ、だって俺と陽菜さんとは、差があるから。……今の俺に立場なんて関係ないって言えないけど。それでも。


「陽菜さん、俺の憧れで、理想の人です。だから俺なんかいいのかって思う時もありました。でも、俺も、陽菜さんを誰かに取られたくないです。俺も、実は面倒くさくて、嫉妬深いかもしれません。でも、その分……ずっと好きでいます」


「……うん」


「いつか陽菜さんの隣を堂々と歩けるようになります」


「……私も、自分が誇れる自分になって、君の理想であり続けるからね」


「陽菜さんは、今も俺の理想のお姉さん系美少女です」


「ど、どういうこと?」


「そのままの意味です」


 目をぱちくりとさせる陽菜さん。やっぱめちゃくちゃかわいいな陽菜さん。……誰かに取られたくないか、ちょっと大胆すぎたかも、やばい、恥ずかしくなってきた。


「ねえ、須郷くん」


「は、はいっ」


「ちょっとだけ、後ろ向いてて」


「わ、分かりました」


 陽菜さん?どうしたんだろ。

 疑問に思いながらも、俺は陽菜さんに背中を向けた。後ろで、袋が擦れるような音が聞こえてくる。


「え、えーと」


「も、もうちょっと待ってね」


「はい……」


 え?こっそり振り返らないのかって?お、俺は陽菜さんの信頼を壊すようなことはしないって決めてるんだよ。……まあ、気になると言えば気になるけど。


「んっ」


「ひ、陽菜さん?」


「ま、まだだからねっ」


「だ、大丈夫ですっ!見てませんから」


 ……音的に、多分着替えているよな。そ、そう考えると、めちゃくちゃやばい感じがするんだけど。なんかこう悪いことをしているような。だって、女の人の着替え中に同席している訳だし(見てないけど)。

 ……それだけ信用されてるってことなのかな。そうだと、ちょっと嬉しいな。


「……もう、大丈夫だよ」


「は、はい」


 俺は導かれるように、振り返って。


「——シーナ」


 俺は、よく知るキャラクターの名前を口ずさんだ。理由は明白だ、そこにシーナがいたのだから。白を基調としたデザインの衣装に身を包み人差し指を合わせて、こちらを伺う姿は。本当に現実に飛び出したキャラクターだ。


「——似合ってます、陽菜さん」


「えへへ、ありがと」


 脳内を駆け巡る記憶が、在りし日の邂逅を呼び起こした。

 最初に陽菜さんと出会ったのって、シーナのストラップがきっかけだったよな。

 いつも通りの普遍的な日常。そこに起こった事象と因果。それが、こうして今の光景を映し出している。

 ……陽菜さんが生徒会長だと知って、でもまだ確信は持てなくて、陽菜さんに否定されたときは結構焦ったけど。でも、ここで。

 目の前の陽菜さんと2ヶ月前の陽菜さんが重なり合う。……そして、初めて見たコスプレもシーナだった。


「……シーナってかわいいですよね」


「だよね、だよねっ!」


「あ、もちろん陽菜さんも……その」


「須郷くん?どうかしたの?」


「い、いえなんでもないです」


「そう?」


 面と向かってかわいいとか言うのって、やっぱりちょっと恥ずかしい。そ、そう俺が出来ない事はやらない主義だから。

 ここぞとばかりにポリシー的なのを持ち出すあたり、人の本質っていうのはそう簡単に変わらないんだよな。……でも、それが人間なのかも。

 哲学の領域に片足を突っ込みかけていると、陽菜さんがシーナの姿のまま真面目そうな声音で言った。


「須郷くん。……これも私のエゴだけど。でも、謝らせて欲しいの」


 ……謝る?俺に?

 俺は疑問符を浮かべて陽菜さんを見据えた。陽菜さんは語り始める


「今の、私と須郷くんの関係を作ったのは、紛れもなく私の勝手。そして須郷くんはそんな私を受け入れてくれた。それなのに、私の中にあった罪悪感が君を遠ざけた。……本当にごめんなさい。わがままばかりで」


「か、顔を上げて下さい。陽菜さんが謝ることなんて何もないです。陽菜さんと釣り合ってない俺がそもそもの原因ですし」


「ううん。それでも、好きでいてくれる君を蔑ろにしていたことは変わらないから、だから、勝手だけど謝らせて」


「……陽菜さん」


 陽菜さんが、陽菜さんであるための理想に俺はまだ足りていない。それが、陽菜さんに罪悪感を抱かせてしまった。

 俺が、彼女に求められている理想ならなければ、決して対等ではない関係になってしまう。ましてや隣を歩くなど夢物語だ。

 ……俺が頑張って、追いかけるしかない。果てしない道を。傲慢だって言われるかもしれない。無理だって。……それは、俺が一番知っている。でも、踏み出した足はちゃんと進んでいるから。


「陽菜さん。俺、陽菜さん追いついて見せます。理想に恥じない俺になるために」


「須郷くん……うん。こんなこと言える立場じゃないけど。待ってる、君の理想の彼女として」


 それからシーナ姿の陽菜さんが、自分の膨らんだ胸に手を当てた。仕草だけだと本当にシーナにしか見えない。ほんと陽菜さん、めちゃくちゃ美少女だよな。

 改めて陽菜さんの完璧なかわいさに感慨していると。理想のお姉さん系美少女が、片目を瞑り、人差し指を口元に当てながら俺の方を見据えた。


「でも、キスぐらいは大丈夫だよね」


「ききき、キス!?」


「嫌だった?」


「……いえ、キス、したいです」


 ごもる俺。


「ふふっ、そっか」


 そいって歩み寄る陽菜さん。一気に距離が縮まる。交錯する視線。互いの息遣いが聞こえる。

 や、やばい心臓が高鳴って。

 ドクン、ドクン。鮮明に聞こえる鼓動。多分陽菜さんに聞こえていて。でもちょっとだけずれて俺の心臓とは違う音が聞こえる。


「ひ、陽菜さん?」


 陽菜さんの整った顔が真っ赤になっていた。


「わ、私も初めてなんだから」


 そういって恥ずかしそうに俺を見る陽菜さん。まじ、かわいい。


「陽菜さん」


「須郷くん」


 陽菜さんが俺の頬にそっと手を添えた。僅かにあった距離がゼロに向かう。

 瞳を閉じた漆黒の世界で、ただ求め続けるように、熱くて柔らかい感触だけが伝わって。



「——————」



 誰かが言っていた。初めてのキスはレモンの味がするだとか。……正直そんなこと、考える暇なんかないって、今なら言えるかもね。


 ——その日、俺は初めてキスの味を理解した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

理想のオタクお姉さん彼女が実は俺の高校の生徒会長で、しかもコスプレ好きでかわいすぎる 凪乃 優一 @nagiharainori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ