第25話

 鼓膜を揺らすチャイムの音が鳴り響いて、俺はシャーペンを答案用紙の上に転がすように手放した。どっと、肩の力が抜ける感覚がして、木製の背もたれに体重を預けた。

 監督の教員が、からテストの回答を集め出すのを合図に、生徒達が退出していく。口々に「終わったわー」「割と行けたかも」などと、感想を語りあっているのを横目に俺も教室を出た。

 中間テストの、全日程が終了した。

 結論から言うと、実は手ごたえ割とあるんだよな。……まあ。今までが皆無だったから、信ぴょう性とかは、全くないんだけど。

 ——でも、それなりにはやり切ったとは思う。理解できた問題も確実にあったし。だから、後は結果が出るのを待つ。一気にステップアップとは、そう簡単にいかないって分かってる。でも、今ぐらいは、やりきったって気持ちでいたいって言うか。

 ——前に進んではいるって思いたいから。

 俺は、理想のお姉さん系美少女の姿を思い浮かべながら、無駄に軽い鞄を担ぐと、和気藹々とする生徒の隙間を潜り抜けて校門に向かう。

 テスト期間って午前中までで帰れるから、正直楽なんだよな。……今までの俺ならテストとかどうでも良かったから、そう思っていたけど。

 今回は、本来やるべき事をしてテストに臨んだ。そのせいだろうか。

 ……いつもより、なんか、めっちゃ疲れたな。

 流されるように、ただ気だるげにテストを受けていた前回までとは明らかに違う疲労と、どこか達成感に満たされているような気がした。

 まだ、結果は出てないんだけど、まあ、今ぐらいはいいよな。ちょっとくらい、気を抜いたって。自分では、やり切ったって言えるぐらいにはやった訳だし。

 ドアの開く音がして、教室から答案用紙の入ったB2サイズの茶封筒を抱えた監督の教員が出て来た。教室に戻って担任の先生を待つように呼びかけてから、生徒で密集している廊下の向こうに消えて行った。生徒たちが鞄を持って教室に舞い戻って行く。

 それからしばらくして、担任の小町先生がやって来て、簡単な連絡事項を済ませると、直ぐに解散となった。

 今日から部活も再開されるため、ほとんどの生徒はいつものように汗を流し、青春を謳歌することになる。……俺は部活に入って無いから関係ないんだけどね。ぶ、部活だけが青春っわけじゃないし。……俺が言えることじゃないか。

 そんな訳で、続々と部活組が教室を後にしていくのを横目に、俺も授業がないため無駄に軽い鞄を担いだ。

 ……一応、感謝は伝えておくべきだよな。

 テスト期間中にお世話になった、文学系美少女、逆瀬川さんのことを思い浮かべてから、図書室に向かうために教室を後にした。

 まだ昼前の廊下は明るく、すれ違う生徒たちは、テストから解放されたためか、清かな表情をしている。

 そういえば、陽菜さんはテストどうだったんだろ。まあ、俺が気にすることじゃないような気がするけど。

 理想の生徒会長を体現する陽菜さんの成績は、まさに理想そのもので、いつも学年トップを維持している。今回も例に漏れずに、完璧にこなしているはずだ。

 ……そんな人と、こんな俺が付き合っているって、改めて考えるとすげーことだよな。

 誰が見ても、つり合いが取れていないことは明白で、今のままだといずれ陽菜さんの理想に泥を塗ることになる。

 ——そうならないために、努力する。って、口で言うのは簡単だけど。結果が出なかったら意味がないよな。

 結果とは正直に、噓偽りなくその人を査定し、判断する。そして現実を突きつけて来る。

 そんな結果を、微かな手ごたえと共に今は待つ。自身があるって言いきれるほど、簡単じゃないし、甘くない。だけど、前みたいに、しないといけないからそうしたわけじゃなくて、やりたいと思ってした今とでは、気持ちの持ちようが確実に違う自分がいる。

 ふと、俺は足を止めた。校内の端の方に位置する一室。

 ——生徒会準備。

 陽菜さんと二人だけの時間を過ごした秘密の花園。普段はただの倉庫扱いのため、施錠されたスライド式のドアの窓の、モザイクがかったぼやけた輪郭の向こうは、暗く人気のなさを感じさせている。——まあ、実際今は誰もいないんだけど。

 陽菜さんが、俺の高校の生徒会長だと初めて知ったときは驚いたよな。最初は美人なオタクのお姉さん系美少女って印象で……それは今もだけど。だから、普段とは全然違う生徒会長の陽菜さん、めちゃくちゃかっこいいんだよな。でも、普段はめちゃくちゃかわいくて、まさに、理想の人って感じで——


「……好きです、陽菜さん」


 誰もいない廊下に、俺は一つの感情を、水に落ちる一粒の雫のような声音で吐露した。

 ——またここで、陽菜さんとオタク話をするために。


 ★★★


 テスト期間が終わり、私は生徒会室にいた。生徒会委員の面々が資料をめくる紙の音だけが、鼓膜に届いて来る。

 各いう私も、机に積まれた資料に目を通しながら、ずっと気になっている彼の事を思い浮かべた。

 ……須郷くん、テストどうだったんだろう。凄く頑張っていたから、きっと手ごたえはあると思うけど。


「会長?どうされました」


「えっ?」


「どこか、ぼっーとされてましたけど」


 不思議そうに、後輩の生徒会委員の前田さんが、私の顔を覗き込んでいる。

 私は考え込んでいた顔を上げて、応えた。


「いえ、なんでもありません。学園祭の予算の資料は出来ましたか?」


「あ、はい!こちらになります」


「確認するので、そちらに置いておいて下さい」


 前田さんが、戻って行くのを後ろに見ながら、私は一つ息を吐いた。

 しっかりしないと。まだ、生徒会長としての仕事がいっぱいあるんだから。

 テスト期間が終わったばかりではあるが、今日からは、七月の学園祭前準備の調整が始まる。

 そしてそれは、生徒会長として集大成でもあって。

 ……学園祭、須郷くんと一緒に回りたいけど……ううんっ、今は目の前の事に集中しないとね。しっかり、理想の浅木会長として。

 私は受け取った資料を確認して、それをまとめるために、生徒会用のPCの電源を入れた。


「お疲れ様でした」


「お疲れ様です。また、明日以降もよろしくお願いします」


 最後の委員の子が退出し、がらんと生徒会室が静まり返った。私は束ねられた資料をファイルに閉じてから、鞄を手に持った。

 今日は帰ってから、テスト期間中は見られなかったアニメ、一気見しないとね。二週間、封印していたアニメ鑑賞。……須郷くんは、今日、どんなアニメを見るんだろう。

 ……だめだなあ、私。

 自分のわがままに付き合わせて、それで、そんな自分が嫌になって、距離を置いちゃって、なのに、ずっと恋しくて。理想の私は、まだ遠く、霞んで見えない程先にあって。

 ——須郷くんの理想の私は、本当に今の私なのかな。……考えても仕方ないよね。選んだのは私だから、須郷くんがどんな選択をしても、私はそれを受け入れる。

 誰もいない生徒会室に鍵をかけて、私は校門に向かって歩き出した。


 ☆☆☆


「あ、須郷さん」


 図書室の扉を開けると、何冊かの本を抱きかかえた逆瀬川さんと目があった。


「あ、どうも、逆瀬川さん」


「テストお疲れ様でした。その、手ごたえは、ど、どうでしたか?」


「それなりにはって感じで、これも逆瀬川さんのおかげです」


「頑張ったのは須郷さん自身ですよ」


「……そうですね、でも、逆瀬川さんに教えてもらったから、何とかなった問題もあったから。だからその、ありがとうございました」


「……また、いつでも訊いて下さい。そ、その代わりに、またここでアニメやラノベの話に付き合ってもらえたら嬉しい……すす、すみません!須郷さんだって忙しいのに」


 慌ててふためく逆瀬川さん。今の俺には逆瀬川さんの気持ちがよく分かる。誰かと好きなものを共有したいって気持ちが。……俺も最近そう思うようになったんだけど。


「また、お話しましょう。俺も逆瀬川さんとアニメやラノベの話をしたいですし、それに、話相手になるって、約束しましたから」


「——はいっ、ありがとうございます」


 本を抱えた彼女の笑顔は、まさに美少女そのもので、俺は赤くなる顔を逸らした。



「——まじかよ」


 週末を挟んで、登校日を迎えた俺は、堂々と張り出されたその結果に立ち尽くしていた。

 だが、それは決して悪い意味ではなかった。

 多くの生徒たちが廊下の壁の考査順位表を眺めている。中には結果に歓喜する者もいれば、悲哀に満ちた表情をする者もいる。

 そして、呆然と張り紙を見上げる俺の視線に映る、嘘偽りのない結果。


「……158位」


 ポツリと呟いた順位が実感を孕んで来る。テスト前に決めた目標は200位だった。正直その目標すら、今までの成績を考えると、200位以内に入れるかはかなりの瀬戸際だった。そんな口で言うほど簡単じゃないと、理解していたから。

 ……陽菜さんは応援してくれていたけど。でもまさか、150位台に乗るなんて……

 手に仕掛けていた実感が、泡のように消えて行く。しかし、もう一度見上げても、結果は変わらなかった。

 ——やれば、出来るんじゃねえか。

 俺は、独り拳を握った。食い込む爪の痛みすら心地が良く感じる。当然だが、周りの生徒たち(と言ってもみんな俺から二人分ぐらいのスペースを開けているんだけど)は誰も俺の順位なんか気にしていないし興味のない。でも、この結果を伝えたい人がいる。きっと俺が理想としている人にはまだまだ足りないし、近づけた、なんて思っていないけど。だけど、それでも一歩は踏み出せたって、そう思いたい。陽菜さんの隣を歩くことが、今の俺の理想だから。


「——もうチャイムが鳴るから、席に戻って下さい」


 担任の小町先生の声がして、生徒たちが各クラスに戻って行く。俺は手に持っていた携帯端末から陽菜さんのアカウントを開いた。



 ★★★


「陽菜さん。今日の放課後、生徒会準備室で会うことってできますか。お話したいことがあります。予定があったら全然大丈夫です」


「ううん、16時以降なら私だけだから大丈夫だよ。その時間までは生徒会の仕事があるから、ちょっとだけ待ってもらうことになっちゃうけど」


「ありがとうございます。全然大丈夫です」


 須郷くんから送られてきたメールに返信して、私は胸を撫でおろすような気分になった。

 最近はテスト期間だったため、あまりメールでのやり取りも出来なかった。

 ……それは私に原因があるんだけど。

 結局耐え切れなくなった私は、今は全寮制の高校に通っている親友の菫に相談することになって。最終的に、須郷くんに頼られるまでは見守ることにした。

 気まずくしてしまったのは紛れもなく私のせいで、それなのに、心の中では、まだ好きでいてくれているって、そう思う自分がいた。

 私、本当に最低だな……

 それなのに、こうしてまた彼に甘えてしまっている。そんな自分がとてもひどく、悲しかった。それでも、私は理想の浅木陽菜でいなければならない。そんな二人の私を、受け入れてくれるなら。……そうじゃなくても、どんな結果でも私は受け入れる。その覚悟ぐらいは、持っているから。

 私は、携帯端末の電源をそっと落とした。蒼空に流れる雲が、目の前に迫った夏を運んでいた。

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