第24話
私は独り、黙々と机に向かっていた。無言のまま、ノートをペンでなぞっている。
テスト前の追い込み、しかし、今回はどこか集中しきれていない。そして、その理由も分かっている。
……須郷くん、はかどっているのかな。
二週間前に連絡を取って以来、私と須郷くんは会っていない。噂の件は直ぐに収まり、高木くんも「見間違いだったみたいです。すみません」と、あっさりと引いてくれた。
下手に言及すると怪しまれるかも知れないからそれ以上は追求しなかったけど。でも、
そのせいで、私と須郷くんは会えなくなって。
そこまで考えて、私はかぶりを振った。
——自由に会うことが出来ないのは、私のせい。
そう、私が理想であることを理由に彼を振り回してしまった。それは、好きだと言いつつも、須郷くんの事を、認めていないということだ。
こんな私が須郷くんの事を好きでいる資格なんて……
刹那、ピロンっと通知音が鳴った。
……メール?誰からだろう。
私は、通知ページを開いた。
……菫から?
親友の菫からのメッセージだった。
「陽菜、今空いてる?通話しない?」
いつもの菫の文体で、そう書かれていた。
——ほんと、タイミング。
私は苦笑して、キーボードに手を伸ばして、返信を打つ。
「大丈夫だけど、どうかしたの?」
すると、通話のコールが響いた。
「おひさ、陽菜」
「久しぶり菫、なにかあった?」
「……その様子だと、陽菜の方がなにかあったっぽいね」
「えっ……」
「……図星じゃん」
いきなりの指摘(それも的を得た)に私は思わずたじろいだ。
「……なんで、分かったの?」
「メールで全然彼氏くんの話し、しなくなったから」
通話するのは久しぶりだけど、メールでのやり取りはたまに行っていた。
彼女は本当に鋭くて、そして優しかった。
私は泣きそうになるのを堪えながら呟いた。多分菫には伝わってしまっていると思うけど。
「話、聞いてくれるの?」
「ま、そのために通話したわけだし。いいよ」
菫の言葉に堪えていた涙が零れ落ちるのを理解した。情けないと思いつつも、その差し伸べられた優しさに、私は縋ってしまう。
ポツリと流れた雫がキーボードを濡らした。
「あーあ、泣くのは早いって陽菜。ほら、落ち着いて、ね?」
「ぐすっ……ん、ご、ごめん」
「別に謝る必要はないけど……それで、今度は喧嘩でもしちゃった?」
「……ううん、そうじゃなくて——」
さり気なく、「喧嘩でもしちゃった?」と訊いて切り出しやすいように促してくれる菫。
そんな彼女に「ありがと」と小さく呟く私。
それから、私は須郷くんとの事を話始めた。
「ふーん、それで彼氏くんと気まずくなっちゃったわけね。陽菜ってさー、相変わらず考えすぎじゃない?」
「……考え、すぎ?」
「そう、別に彼氏くんはさ、陽菜とのことを秘密にしていることに納得しているし、嫌そうな顔したことないんでしょ?」
「……私の前ではそうだけど、でも、心の中では不満に感じてる部分があるかもしれないし」
「私は彼氏くんのこと、詳しく知らないけど。陽菜から見て彼氏くんは、そんな風に思ってるように見えるの?」
「それは」
一瞬、言葉が詰まる私。振り返ってみて気づく、いつも彼は楽しそうに笑ってくれていた。
——須郷くんは、いつも笑顔で接してくれていた。もし、私が須郷くんの立場ならどうだろう。好きな相手とは言え、不満に感じる部分があれば、ずっと心から笑っているのはしんどいと思う。
「ううん。でも、私も須郷くんのことを全部知っている訳じゃないから、本当はどう思ってるかどうかは分からない……」
「……普通はそんなもんだよ」
「えっ」
菫の言葉に思わず疑問が音になった。
「家族のことだって、全部知ってるわけじゃないじゃん?それと一緒。それに、彼氏くんが陽菜のことを好きでいてくれているのは分かってるんでしょ?なら、直ぐに分かると思うよ」
「……そう、かな?」
「ふふっ、好きでいてくれていることは否定しないんだね」
「す、菫っ!」
顔が赤くなる私。
思わずパソコンに前のめりになると、画面の向こうからケラケラと菫の笑い声が聞こえた。
「ごめん、ごめん。……でも、彼氏くん、今はテスト前だから遠慮してるいだけだと思うけどね」
「……そうだね。須郷くん、ほんとに頑張っているから、力になってあげたいけど」
「……気まずくなっちゃったし、おまけに付き合ってることが広まりかけたから、連絡しにくいってわけね」
「ううぅ……」
完全に図星を突かれて、呻き声を上げる私。……菫、容赦ないんだから。
「まあ、私が言えることじゃないんだけどさ、今は彼氏くんのこと、見守ってみたら?」
「見守る?」
「うん、陽菜は彼氏くんが陽菜のことを嫌いになったとは思ってないでしょ?なら、今回は陽菜の頼らずにやるって、彼自身が決めたってことでいいんじゃない?だから変わりに応援してあげたらってこと。ま、私はテストが終われば彼氏くんの方から連絡してくると思うけどね。だって、こんなかわいい彼女、手放したくないって思ってるだろうしね」
「も、もう菫!」
「はいはい、それじゃそろそろ切るね。あ、そういえばテスト勉強だったよね?ごめん忘れた、あーでも陽菜には必要ないか」
「あるよ!……でも、菫と話せて落ち着いた。……ありがとね」
思わず突っ込みつつも、菫のおかげで少し楽になった心を撫でた。
「じゃ、頑張ってね」
「……うん、またね」
菫のアイコンがオフラインになったのを確認して、私は窓から夜空を見上げた。
……おとめ座。
漆黒の闇の中に、十二星座の一つ、おとめ座が輝いている。
——季節って、夜の間にも感じられるよね。
私は「ううんーっ」と背筋を伸ばした。
須郷くんには、私のことをずっと好きでいて欲しいし、私もずっと好きでいたいと思う。
私たちが高校を卒業したら、もっと自由に付き合えるかも知れない。でも、彼が高校生である間の時間を、私は返すことが出来ない。高校生らしい恋愛を私はしてあげられない。
それに、また彼の事を、私の理想を盾にして、否定してしまうことがあるかも知れない。
だからこうも思ってしまう。本当に、私が彼に好きでいてもらっていいのか、と。
……人を好きになるって、すんごく大変なことなんだね。
初めて誰かを好きになって理解する恋愛の難しさ。どんな難解な数式よりも難しい、人の心の中の構図。
……それでも私は須郷くんが好き。
私は自信を持って頷く。だってこの瞬間も、こんなに会いたいと思うから。彼とアニメの話をして、聖地巡礼したりして、それから。
——でも、今は応援する。須郷くんがそれを望んでくれるのなら。……菫の受け入りだけど。(もちろん今以外もずっと応援しているけど)
だからせめて、自分勝手かも知れないけど。
私は携帯端末を取り出して、彼のアドレスを開く。ポチポチと画面にタッチして、思いが憑依した言葉が具現化されて行く。
力になりたいと、ただそれだけを願って。
「須郷くん。お疲れ様。テスト応援してるよ」
☆☆☆
小鳥の囀が聞こえてきて、俺の意識がゆっくりと覚醒する。朧だった夢と現実との狭間が明確になり、切り離される。
薄っすらと目を開けると、カーテンを割って差し込む光が部屋の奥の方にまで届いていた。
——6時半か。
俺は起き上がると、デスクの上に置いてあった携帯端末の電源を入れた。月曜日と表示されている。
遂に今日からだな。
待ちに待った、と言うわけではないが、避けては通れない道(今までは目を逸らして居たけど)に、初めて覚悟と意思を持って挑む。
ま、やれるだけやってやるか。
俺はそう意気込みながら、昨日、陽菜さんからもらったメッセージを思い返した。
「明日からテストだね、応援してるよ」
綴られたメッセージは、簡潔ながらも最も力をくれる一行だった。
……憧れの人が応援してくれているし、思いを伝えるためにも、頑張らないと。
俺はメッセージをもう一度見てから、携帯端末の電源を落とした。
——朝飯食うか
空腹を感じて、俺は誰もいないリビングに行き冷蔵庫を開けた。冷えた空気が流れ込んで来るのを肌に感じながら、ゴムで縛ってある開封済みのバターロールの入った袋を取り出した。朝からの調理は、正直面倒くさいので、学校がある日は大体このパターンである。
今思うとさ、ラノベの主人公たちって、いろいろ言われているけど普通にすげーよな。料理できて、事件解決して、異世界飛ばされてもピンピンしてさ、そんでもって見知らぬ世界で堂々と生き抜いてるんだぜ。
……まあ、俺は俺だし、出来ないことはやらないって決めているけど。ちょっとは憧れるんだよな。——それが空想で、作り物だってのは、分かってはいるけど。
ぼけーとそんなことを考えながらパンを食べ終えて、俺は冷えた麦茶で夜の間に乾いた喉を潤した。
……今日は図書室空いてないんだよな。
流石にテストの週は閉まっているため、早くから登校する必要がない。おまけに教室もまだ空いてないだろう。……まあ、早い話、ちょっと起きるのが早かったってことなんだけど。
習慣というか、ここ最近はいつも6時起きだったため、いつもよりは30分遅いのだが、それでも早いことには変わらない。……一応7時に目覚まし設定してたけど、意味なかったな。昨日はちゃんと寝たからテスト中に眠くなって全部パーになる的なオチにはならないはずだけど。(陽菜さんが前日は遅くなりすぎないようにって、前に言っていたし)
……参考書でも読むか。
取り合えず俺はパンの袋をプラスチック用のゴミ箱捨てると、俺は自室に舞い戻った。
机の上には、昨日夜にやっていた、数学の問題集と参考書が不規則に散らばっている。
応用問題に挑戦したけど結局解けなくて、萎えて寝ることにしたんだっけ。……ほんと、物は言いようだな。
俺は肩をすくめて、椅子に座る。ちなみに今日の考査は数学と、古典である。
昨日は数学中心だったし、時間もそんなあるわけじゃないから古典にするか。
俺は、古典の問題プリントを取り出して一度やった問題をもう一度復習がてら解き直した。
接続詞がどうとかって英語かよ。なんでこう昔の言葉ってまわりくどいのかね。
吐き捨てるように呟いて、俺はテスト対策用のプリントの問題を睨んだ。
しかし、愚痴を吐露したところで古典のテストが中止になるはずもなく、俺のため息が朝の澄んだ空気の中に消えて行った。
ふと、窓の外を見上げた。30分近くが経っているらしく、太陽の位置が先程よりも高くなっていた。
——そろそろ行くか。
俺は立ち上がると、ラックにぶら下がったスクールバックを手に取り、今日の考査科目の数学と古典の教科書や提出物を詰め込んだ。最後に筆箱を軽く放り投げ、がしっと横からつかみ取る。
このままテストでも良い点を掴みたいってね。……痛くて悪かったな。
今日は午前中までのため、荷物がかなり少なくいつもより軽い鞄を背負い、俺は玄関に向かう。
革靴を履いて、トントンとかかと押し込み、ドアノブを掴む。
まだ勉強を始めたばかりで、それも好きな人に追いつきたいという不純すぎる動機。そんな直ぐ結果は出ないと思う。だけど。
——まずは始めないと、何も変わらないから。
降り注ぐ朝日はこれ以上ないほど眩しかった。
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