第23話
図書室に通い始めるようになってから数日が経過した。初日は、たまたま間が悪かっただけのようで、次の日のからは、放課後を中心に何人かの生徒が訪れていた。
最初こそ、「え?なんであいつが来てるんだ?」的な視線が飛んできていたが、普通に勉強していただけだったので、特に何か言われることは無かった。……まあ、俺と一緒でテスト勉強しに来てる生徒も多いだろうから、俺なんかを気にして、時間を割いてる暇が無いっていうのもあるんだろうけど。
そして、テストまで後丁度一週間前となった月曜日、俺はいつもように、放課後、図書室で勉強しようと、お馴染みの隅の席に座ろうとして。
——あれ、誰か座ってる?
予想外の先客の姿に俺は立ち止まった。本棚の角から視線だけを向けた。間違いなく隅の席には人が座っている。それも女子生徒だ。
……近くに座ると、怖がられるかも知れないよな。別にこの席じゃないとダメって訳じゃないし……違うところに行くか。
俺は引き返そうと、反転しようとして。
「……あ、あの」
「えっ?」
背後から届いたか弱い声に驚いて、回れ右の途中だった体が90度を超えた辺りで停止した。
視界に映るのは、色素の薄い、ショートヘアー寄りの灰色の髪小柄な少女だった。二本の髪留めクリップを付けており、くりっとした瞳が印象的。細身ながら、それでいて、胸元には膨らみがあり、どこか小動物のようなかわいさを持つ美少女だった。
そして、俺は彼女を知っている。
「えーと、逆瀬川さん?」
「あ、すすすみませんっ!」
眼前、逆瀬川夢乃は、すごい勢いでペコペコと頭を下げている。
逆瀬川さん、確か同じクラスだったよな。ほとんど喋ったことないけど。(ていうか全員ほぼ喋ったことないな……)
「こっちこそ、邪魔してすみません、俺、直ぐに帰るんで」
「あ、ま、待って下さい!」
「えっ?」
「あ、そ、その……」
目の前の少女は何かを紡ごうとしているのか、口元をぱくぱくとさせているが、しかし、視線を下に向けたままで、膠着状態になっている。
えーと、どうしたらいいんだ、これ?
しばらくして、逆瀬川さんは深呼吸をしてから、ゆっくり唇を動かし始めた。
「その、実は、す、須郷さんが、最近図書室で勉強してるのを見ていて……あ、私と、図書委員で、つけていたとかじゃなくて!……そ、それで、昨日難しそうにされていたから、その私でよかったら教えられるかもと思って。か、勘違いだったらごめんなさい!」
——え、まじで?逆瀬川さんが俺に勉強を?……それは嬉しいけど、なんで?
確かに昨日は数学の範囲で分からないとこがあり、ずっと頭を捻っていた。……結局分からなかったんだけど。
それに、数学は担任の小町先生ではないため、なかなか質問しに行けず仕舞いだった。
しかも数学ってさ、一番質問が多いんだよな。常に誰かが教科書持って聞きに行ってるし。
……でも、それと逆瀬川さんが俺に勉強を教えてくれるのとは関係ないし。
疑問が脳内を駆け巡っていると、不意に逆瀬川さんが、申し訳なさそうな表情になった。
「ごめんなさい。急に言われても迷惑ですよね。すみません。忘れて下さい」
その顔が、一瞬、陽菜さんと重なって見えた。自分を責めていた陽菜さんの時と同じように。
だから俺は駆けだそうとした、彼女を咄嗟に呼び止めていた。
「その、ちょっとびっくりしただけっていうか、俺、不良の噂とかされちゃってるから、勉強を教えてくれるって言われたのが以外で、全然迷惑とかじゃなくて」
それも、逆瀬川さんのようなおとなしい感じの女の子に。大体女子には避けられるからなあ。男子にもだけど。
しかし、逆瀬川さんは少し表情を明るくすると。
「よ、良かったです。自分で言っておきながら迷惑だったらどうしようって思ってて、わ、私でよかったらいつでも聞いてください。これでも、成績勉強だけは得意なんです。それ以外が点でダメなんですけど」
「めちゃくちゃありがたいです。正直全然分からなくて、先生にも聞けず仕舞いで」
まさかの救世主登場。でも、陽菜さんには迷惑を掛けれないって理由で逆瀬川さんに教えてもらうのは、それはそれでどうかって話だけど。……背に腹は代えられなよな。
陽菜さんに少しでも追いつくために、そして、もう一度、ちゃんと想いを伝えるために。
この助け舟に、俺は乗る。
「この問題が分からなくて」
「あ、これはこっちの公式です。ここに代入して」
「あ、そうか。それだとここがこうなって」
「そう、正解です」
解決。
やば、逆瀬川さん教えるの超うめー!
まだ一問だけだけど、陽菜さんにも引けを取らないんじゃないか。……そういえば逆瀬川さん、いつも成績学年トップクラスだったような、やっぱ成績いい人って教えるのも上手いんだな。
「めっちゃ分かりやすいです。助かりました」
「お、お役に立てて良かったです」
「……あ、あの、実はここも分からなくて」
「あ、ここはここで計算が間違ってます」
「……あ、ほんとだ」
「ここは計算も複雑なので、見直しした方がいいかもですね」
「あ、じゃここはもしかしたら」
と、そんな感じで、教えて貰っている内に気が付けば下校時間になっていた。
勉強はかなり捗っており、疑問点もかなり解明出来ていた。
「そこの二人、そろそろ閉めるわよ」
本棚の向こうから顔だけを覗かせて、中野先生が言った。相変わらず中野先生も美人である。
「——そろそろ時間ですね」
「めっちゃ助かりました、ありがとうございました」
俺は逆瀬川そう言って、逆瀬川さんの方を見て、頭を下げた。
すると彼女は相好を崩すと。
「わ、私でよければ、いつでも聞いて下さい」
女神だと、思いました。
翌日の放課後、最近の日課になりつつある図書室へ赴くと、カウンターに逆瀬川さんが座っていた。今日は当番の日らしい。
俺が軽会釈すると、逆瀬川さんも少し恥ずかしそうな面持ちでペコリとお辞儀を返してくれた。
毎日頼ってばかって訳にもいかないよな。今日は日本史をやるつもりだから、そんなに聞くこともないだろうし。
俺は、いつものように隅の席まで移動すると、鞄を机の上に置き、椅子を引いた。そのまま背もたれに身体を預けて、筆箱と問題集を取り出す。
日本史……結構手薄だけど、そんなに嫌いな科目じゃなかった……はず。中学の時はそんなに成績悪くなかったし。
因みに今回の範囲は縄文時代から古墳時代であり、そこまで中世、近世と比較しても暗記が多い範囲ではない。……俺的にはだけど。
まあ、どっちにしても覚えないといけない単語はあるから、やらないわけには行かないんだよなあ。
若干憂鬱を感じつつも、俺は掲げた目標の高さを今一度思い返す。突き上げるほど見あげても、尚はるか先にある憧れの存在。
……こんな所で、グダグダしてられないな。
壁は高いほど燃えるのではなく、その先に憧れがあるから燃えるのである。
——そして、時は過ぎて、金曜日の放課後を迎えた。
俺はいつもの席、そして隣には逆瀬川さんがいる。
彼女は自分の勉強は既に一通りこなしているらしく、週末に軽くスパートをかけるらしい。そのため、今日は俺の勉強を見てくれることになっていた。
何故そこまでしてくれるのかは不明のままだが、今は結果を出すのが優先。気にするのは後回しだ。
「今日はよろしくお願いします。逆瀬川さん」
「は、はい、が、頑張ります!」
「そ、そんなに気負わなくても大丈夫ですよ?頼んだ俺が言うのもあれだけど」
「そ、そうですね……すみません」
逆瀬川さんに疑問点を聞きながら、問題を解いていく。
そんでもって、今日教わった部分を家で復習するのがローテーションって訳だけど。
「どうかしましたか?」
ふと、俺の視線に、文学系美少女が映り込んだ。飴細工のような瞳が無垢な疑問符を表していた。
「な、なんでもないです!すみません」
「そ、そうですか。ごめんなさい。あ、ここはこっちの公式です」
「えっ、あ、ほんとだ」
やばい、思わず見惚れしまった……勉強に集中しようとしてたから、あんま意識してなかったけど、逆瀬川さんめちゃくちゃ美少女だよな。
陽菜さんがいなかったら、好きになってるよ。だってこんなかわいい女の子にマンツーマンで勉強教えてもらってるんだぜ?……だ、ダメだ、集中しないといけないってのに。
しかし、どうしても気になってしまう。一度気になりだすと、他の事に頭が回らなくなるのが人間って奴で——
「あの、逆瀬川さん」
「はい?」
「その、なんで、俺なんかに勉強を教えてくれるのか気になって、俺、あんま印象良くないと思うし(主に目付き)、逆瀬川さんにメリットがないって言うか」
「須郷さんって、アニメとか好きですよね?」
「えっ?」
「ちち違いましたか!?すすすみません!」
「あ、いや、その……好きだけど、なんで逆瀬川さんが」
「見ちゃったんです、須郷さんが教室で、その、アニメを見ていたのを……」
「……まじで?」
「す、すみませんっ!……たまたま見えてしまって」
……嘘だろ。周りにばれないように教科書たてて死角まで作ってたのに。
「あと、ラノベ読んでいるところも見てしまって……」
完全に筒抜けじゃねーか。まじか、全然気が付かなかった。休み時間に俺に近づいて来る生徒なんていなかったから、絶対知られてないって思ってたんだけど。
「……あの、純粋に、逆瀬川さんは俺が怖くなかったんですか?その、恥ずかしながらあらぬ噂とか立ってるし」
「直ぐにアニメやラノベが好きなんだって分かったので気にしてません。……その、私も好きなんです」
そう言うと。文学系美少女は、一冊のラノベを鞄から取り出して、自身の胸元に抱きかかえた。
「私、オタクなんです。でも、学校ではそれを隠していて……だから私、須郷さんのことが気になったんです。学校でも自分の好きなことを否定しない須郷さんが」
「……俺は、ただ友達がいなかっただけで」
俺は肩を竦める。事実、それくらいしか、独りで時間を潰すことが無かっただけで、我が道を突き進んでるとか、そんな大層な理由があったわけじゃない。
「だから——」
「でも、好きな事には変わりないですよね?」
「そ、それは」
アニメやラノベが好きかと聞かれたら、当然YESって答えるし、オタクであることを否定したりはしないけど。
「私、リアルでオタク話が出来る人がいなくて、いつもこうして一人で図書室にこもっていました。そんな時に出会ったのが須郷さんだったんです。……だからその、もし良かったら、私の、話相手になってくれませんか?」
意外過ぎる申し出に俺は言葉に詰まった。
な、なんて答えたらいいんだ?別にオタク話をするくらいなら全然いいんだけど。でも、それだと逆瀬川さんにも変な噂がたっちゃうんじゃ……
小刻みに震えながらも、俺を見据える文学系美少女。訴えかけるような彼女の瞳に、俺は迷いながらも決断した。
「この、場所でなら」
逆瀬川さんの表情が輝いた。
「ありがとうございます!」
それから彼女は胸元で抱いていたラノベに視線を落とした。そして優しく抱きしめた。
まあ、逆瀬川さんみたいな美少女とオタク話が出来るなんて夢みたいな話だし、嫌がる男子はいないよな。……ただ、俺にはその理想の人がいるだけで。
——これも陽菜さんに出会ったから、だよな
もし、陽菜さんと出会っていなかったら、ここに来ることも無かったかも知れない。当然その場合、俺と逆瀬川さんが知り合うことも無かっただろう。
刹那、校内にチャイムが鳴り響いた、どうやら下校時間らしい。
「すみません。勉強、途中で止まっちゃいましたね……」
「いえ、先に脱線させたのは俺の方ですし、気にしないで下さい」
それから、俺たちは図書室を別々に出た。
オタク話が出来る人、か。俺も陽菜さんに会うまでは誰かとアニメの話で盛り上がれるなんて、考えて無かったし。
……俺でいいなら話相手になってあげたいと思う。それが楽しいことだって、教えて貰ったから。
まあ、その前にテストがあるんだけど。
まずは目の前の目標に全力で挑む。それが俺の最優先事項。
俺は改めて壁の頂を見上げた。
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