第22話
放課後、俺は生徒会準備室には行かずにそのまま帰宅した。噂になってしまった以上、学校で会うのは危険だと判断したからだ。
だから、俺と陽菜さんは、メールでこの二週間。即ちテスト期間は、いつものように他人のふりをする。生徒会準備室で会うのも避けることにした。
最後に陽菜さんから貰った「テスト勉強、頑張ってね」を励みに、俺は勉強に向き合う。陽菜さんは、「分からない所があったらいつでも聞いて」と言ってくれたが、流石に陽菜さんにも自分の勉強時間が必要なはず。だから、質問は基本的に先生にすることにした。
正直、今まで遠ざけて来た勉強を、一人でやり切れるか、不安と言えば不安だけど。
ちゃんと陽菜さんに、もう一度、思いを伝えるために。
俺は、今一度覚悟を決める。無理だと、避け続けてきたことにも向き合えるきっかけをくれた、憧れの人に追いつきたいから。
——しかし、俺はまだ知らなかった。陽菜さんが俺の想像以上に、張りつめていたことに。
次の日の放課後、俺は一人である場所に向かっていた。
入学してから一度も訪れたことが無かった、普通の学校なら必ずある一室。
……ここか。本当に初めて来たけど、空いてるよな。
俺はその部屋の入口の前に立って視線を上げる。図書室と書かれた札が、静かに来訪者を出迎えていた。
——図書室。なんだかんだ来ることがなかったんだよな。どっちかっていうと、ほら、真面目で成績優秀な人たちが勉強したりしに行く場所って感じがしてさ。明らかに場違いっていうか。それに、普段ここに来る人達が俺が来たことで、変な空気になったりしたら、申し訳ないし。
……てな感じで、今まで一回も図書室には行かなかったんだけど。
勉強するだけだし、隅の方でなら大丈夫だよね。
俺は、扉の持ち手に手をかけて、ゆっくりとスライドさせた。
正直、どんな反応をされるか、すこし気掛かりだったが——
……あれ、誰もいない?
室内、視野の届く範囲に人影は見当たらない。静寂だけが部屋の中に取り残されている。しかし。
電気は付いてるし、準備室のほうにいるのか?
よく見ると、カウンターらしきスペースには先程まで誰かがいた形跡がある。どうやらたまたま外していた時間に来たらしい。
別に入っても問題なさそうだし、むしろ驚かれずに済んだから好都合かも。
俺は、一応辺りを簡単に確認してから、一番奥の座席に腰を下ろした。背後には俺の身長よりも高い本棚が、並んでいる。ここなら直ぐに見つかりはしないだろう。
……別に隠れてるわけじゃないんだけどね。
俺は鞄から教科書やノートなど勉強に使うあれこれを取り出して、机に並べる。
うーん、今日は現代文から始めるか。朝は数学やったし。多分、もっと計画にやらないといけないんだろうけど、今は取りあえず提出範囲の問題集をやらないと成績がやばいし……
テスト範囲の問題をやってから、基礎的な所を徹底的に復習する。限られた時間の中で陽菜さんが考案してくれた勉強法。
テストは付け焼刃で挑むことになるかも知れないけど、今はとにかく土台を作って総崩れを起こさせないようにする。簡単な道じゃないけど、陽菜さんに「君は努力が出来る」って言って貰ったから。
一番上にあった現代文、通称現文のプリント俺の正面に置いた。今日の授業で配られたもので、テスト対策用の問題が印刷されている。教科書を読みながら解く、まさに国語らしい問題である。
……っし、読みながらやってくか。
俺は教科書と問題を交互に見ながら、問題を解き始めた。
——どれくらい経っただろうか、窓の外に視線を遣ると、山並みに沈む灼熱の恒星の輝きに目を細めた。それから、そのまま時計を探して、図書室全体を見回した。
……六時過ぎか、二時間半ぐらいは集中出来てたってわけか。
ここ明翔高校は、部活以外での居残りは、許可がない場合は六時半までと決められている。
まだ、ちょっと時間はあるけど、そろそろ集中切れてきたし、今日は帰るか。
……うん?
俺はふと視線のような何かを感じて、振り返った。しかし、人の気配はない。夕陽の光のせいか、部屋全体の木の床が煌めいて見えた。
……気のせいか。
それか図書委員でもいたのだろう、俺は、机の上を片付けて、教科書類を詰め込んだ鞄を肩に掛けた。今まで置き勉常習犯だったので、結構重い。
そういえば鍵とかはどうするんだろ。自分で言うのもあれなんだけど、割と真剣にやってたから、人の出入りがあったかどうか見てないんだよな。
まあ、来た時は空いてたし、多分委員の人が施錠してくれるよな。
俺は、そのまま図書室を出ることにした。……ちょっと罪悪感があるような、無いような……
しかし、誰かに呼び止められることも無かったので、普通に下校しました。
翌朝、俺は図書室に向かっていた。昨日見た張り紙には、平日は七時四十五分から空いていると書いてあった為である。
昨日までは、家で勉強していたんだけど、行ってみた感じ、図書室の方が集中出来る気がするんだよな。それに、多分、こんな朝早くから訪れる人なんてあんまいないだろうから、勉強には打って付けの場所だよな。
意外なオアシスの発見である。……ベタな気もするけど。
……そういえば陽菜さんはいつもどこで勉強してるんだろ。家ではもちろんだろうけど、やっぱりめっちゃレベルの高い塾とかに行ってるのかな。陽菜さんなら一人で難なくこなせそうな気もするけど、教えるのも超うまかったし。……いや、俺が気にしてもしょうがないか。そもそも誰かの心配してる場合じゃないよな。ましてや陽菜さんだぞ。どの口が心配とか言ってるんだって話だな、ははっ……
俺は、一人で苦笑してから、持ち物を確認して家を出た。
流石にちょっと早いため、人の数は少ない。……朝練のある部活なら逆にちょっと遅いぐらいだし。
部活か……俺とは無縁だったな、まあ、スポーツあんま得意じゃないし、それに部活って嫌でも誰かと関わらないといけないし、俺とは合わないって近づかなかったんだよな。
……まあ、本音はアニメを見たりする時間を取られるのが嫌だったって言うのが一番なんだけど。
——まあ、それでぼっちのまま、現在に至るって分けだけど。……正直、興味ないことに、無理に時間を割く必要はないとは今でも思ってる。そこは譲れない。でも、見て来なかったもの中に、出会いがあるっていうのは、……今なら否定はしないかもな。
——前の俺なら考えもしなかったなあ。まあ、俺も成長してるってことなのかな。
「彼女が出来たぐらいで自惚れんな」って袋叩きにされそう。そうですね、調子乗ってすみませんでした。
……今は、テスト勉強頑張るか。話はそれからだし。
俺は、少し冷たい朝の澄んだ空気の中を歩いた。
図書室に着くと、鍵はかかっておらず解放されていた。
これ、俺が締めずに帰って開けっ放しだった分けじゃないよな?
俺は、心なしか慎重に扉を開けると、首だけ突っ込んで室内を見渡した。
「あら、こんな時間に珍しいわね」
奥の方から女性と思われる声が聞こえて、俺は自然と視線を声のした方を向いた。
本棚と本棚との間にいる人物と目があった。背中にかかる栗色の髪、女性用の背広姿から伺えるすらっとした細身ながら、しっかりと胸には膨らみがある。凛とした表情と佇まいからは大人の魅力が垣間見え、造形のような無機質さのある瞳が、アクセサリーのように光っている。つまり、なにが言いたいかと言うと。
うわあ、すげー美人な先生。
仮称、美人な先生は本を棚にしまいながら、俺の方に首だけを向けている。
「あ、お、おはようございます。ちょっと図書室で勉強しようかなと思いまして」
「おはよう。いいわよ、好きに使ってくれて。私はこっちで作業しているから」
「あ、はい。ありがとうございます」
あ、そういえば、図書室の先生が美人だって前に誰かが言ってたっけ。確か名前は。
……まあ、いっか。好きに使ってくれていいって言ってくれたし。
俺は奥に進んで、昨日と同じ隅の席に腰を下ろした。
提出範囲のとこから始めるか。
俺はシャーペンを右手に持って左側に問題集、右側にノートを置いた。席も含めて昨日と同じ光景だが、時間帯が違うため、どこか新鮮な感じがした。
どうやら図書室の美人先生は宣言通り奥の方に行ったのか、姿は見えず、作業の音は聞こえなかった。まさに、勉強のために用意されたような空間だ。
よし、集中。
俺は気合を入れて、頭と手を動かす。鳥の鳴き声だけが、かすかに耳に届いていた。
風の音が窓ガラスを掠めた音がして、俺は一度赤ペンを手離した。
採点が終わり、正解と不正解の問題が、乱雑に並んでいる。解説を見ていくつかは解き直す必要がありそうだ。
でも、思ったより丸が付いてんだよな。これも陽菜さんのおかげだな。
今は、それぞれの時間を過ごしている理想のお姉さん系美少女の姿を思い浮かべていると。
「そろそろホームの時間よ」
後ろから声がして、俺は教科書を閉じながら振り返る。
「はい、ちょうどひと段落着いたので」
「そう、はかどっていたみたいで良かったわ」
「そ、それなり程度ですけど」
「見ていたら分かるわ。凄い集中していたから」
「ありがとうございます」
「また、来たかったらいつでも勉強しに来てくれていいわよ」
「はい、ありがとうございます。そうさせてもらいます。えーと」
「中野、中野聡美。非常勤だけどね」
思いだした。中野先生。去年転勤してきた先生だよな。一時めちゃくちゃ美人って噂で一部の男子がこぞって話してたな。いつからか聞かなくなったけど。
「はい、中野先生。それでは失礼します」
俺は一瞥してから図書室を出た。少しだけ背中に汗を感じる。
やっぱり美人な人と話すと緊張するなあ。陽菜さんのおかげで多少は慣れていたのかも知れないけど。
でも、図書室、結構いいな。静かだし勉強するにはちょうどいいな。まだ、テストまでは日にちはあるから、陽菜さんに教えてもらったように基礎をしっかり作る。暗記も含めてだけど。
壁は高いし、底辺の俺が登るには絶壁だけど。
だが、それでも俺は挑もうと思う。その先に掴みたいものがあるから。
朝日が映える廊下は、登校してきた生徒たちで賑わっていた。
テストまで、あと十日。
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