第21話


「——やけに辛気臭い顔してるけど……何かあったの?」


 唐突に聞き慣れた声がして顔を上げると、セミロングの茶色い髪をなびかせた幼馴染、早川美桜が、訝しげな視線を向けていた。私服姿でドアの前に立つ彼女の手には、湯気で曇ったタッパーがあった。以前のように惣菜を持ってきてくれたのだろうか。


「美桜……いや、なんでもない。それより……悪いな、また分けて貰って」


 俺は視線を外したまま、右手でそれを受取ろうとする。


「……話、聞いてあげるから、早く開けて貰える?」


 しかし、タッパーを引っ込めて、ふんっと、顔を逸らした美桜がそう言った。そんな予想外の美桜の態度に俺は、思わず目を丸くした。


「え、美桜?」


「——なに?」


「文句でもあるの?」とでも言いたげに、冷たく睥睨する美桜。その視線に射抜かれた俺は、「悪い……」と、溢すしかなかった。

 変に断ると余計に怒らせちゃいそうだし、ここは素直に従うか……


 部屋に入ると美桜は「冷蔵庫借りるけど、いいよね?」と俺に視線を向けた。ダメと言えば、一生刻み付けられるような絶対零度の眼光が発動しそうな気がしたので、「お、おう」と返す。ま、まあ、実際何も問題ないんだけどな。……それよりも、まさか美桜に「話聞いてあげるか」なんて言われるとは思はなかったな……むしろ、嫌われてると思ってたし。

 事実、美桜と会うのは陽菜さんと二人であって話したあの時依頼であり、当然今日みたいに惣菜を届けてもらったこともなかった。……考えてみれば当然なんだけどさ。

 見ると、美桜は手際よく野菜を切り始めていた。どうやら野菜炒め辺りを作ってくれるらしい。

 俺は、取り合えず座って待っておくことにした。

 ……本当に縋ってばっかりだな、俺。

 沁みる優しさにもどかしくなる。本当なら、美桜には絶対頼ってはいけないはずなのに。

 そんなことを考えていると、ひき肉と野菜の絡んだ香りが漂い始めた。(めちゃ美味そう)……お腹は、正直だった。


「それで?」


「え」


「いや、だから、なにがあったのかって聞いてんの」


 テーブルに野菜炒めと、タッパーに入っていた肉じゃがを皿に移してから、美桜が俺と向かい側の椅子に座った。


「そ、そうだよな……それが——」


 美桜は心配してくれてるんだよな。でも、正直に言っていいのか?美桜にとっても気分のいい話じゃないしだろうし……

 しかし、中々切り出せない俺に痺れを切らしたのか、美桜が嘆息してから言った。


「どうせ、浅木会長のことでしょ?」


「な、なんでそれを」


「あんたが今悩むとすれば、それぐらいしかないから」


「……美桜には、お見通しってわけか」


 流石は幼馴染……美桜にはかなわねーな。


「……それで?」


 躊躇っていた俺に、美桜は腕を組んで呆れたような瞳を覗かせながらも、耳を傾けてくれる。

 正直、美桜に陽菜さんのこと話していいのか戸惑うところだけど、でも、美桜がこうして俺の方を見てくれている。それなら——


「……実は」


 俺は話すことにした。陽菜さんの言葉と、俺の思いを。

 よりにもよって美桜に尋ねるのも、すげーダサいことだって分かっているけど、でも、陽菜さんを幸せにしたいから。——手段は、選ばない。

 俺が話し始めてから、美桜は一度も口をはさむ事はなく、最後までただ静かに聞いていた。それこそ、眉一つ動かさずに。逆に怖い。

 そして、俺が一通り話終えると、美桜は目を伏せてから、一つ息を吐いた。それから。


「——バカじゃないの」


 より一層、攻撃力のました冷徹な瞳でそう告げた。


「うぐっ」


 予想をはるかに超える一撃に、俺の心臓が飛び跳ねる。

 やばい、めちゃ怖いです。ごめんなさい。

 細めた瞳に貫かれて、俺は謎の謝罪を脳内で繰り返し始めた。


「義人は、浅木会長との関係に満足してるの?それとも、もっと普通の彼氏彼女的な関係がいいの?」


「俺は……陽菜さんと一緒にいられるだけで満足だ。普通の恋人みたいにデートとかできなくてもいい。それが俺たちなりの形だって思ってるから」


 そうだ、重要なのは恋人の形に拘ることじゃない。陽菜さんは俺がどこかで我慢してるって思ってるはず。だからその必要はないって、もちろん、それだけ俺の考えて悩んでくれているのは分かってる、だから——


「——それをちゃんと伝えたら?」


 やるべきことは決まった。後は、そのために出来ることをする。


「——ありがとう、美桜」


「——ふん」


 そう言って美桜が席を立った。振り返り、俺に背中を向ける。


「……でも、折角好きになったんだったら、これくらいで挫けないで欲しいんだけど」


「ああ、悪い」


 俺がそう返すと、美桜はそれ以上何も言わずに立ち上がった。それからスタスタと歩き出す。

 俺が慌てて見送りに行くと思いっきり睨まれました。なんでだ……

 背中越しに、「しっかりしなさい」と伝わるのを感じて俺は、小さく「ありがとな」呟いた。

 また、助けられちゃたな。……陽菜さんとこれからも一緒に居るために、まずは陽菜さんに伝えないと。そのためにも、今はテストだな。陽菜さんに少しでも追いつくためにも。もちろん、直ぐに結果が出るほど簡単じゃないって分かってるけど、陽菜さんとの時間を無駄にしたくないから。

 ——やるか。


 テストまで、後二週間。


「うーん、早起きって、案外悪くないな」


 時刻は朝の六時。いつもより一時間早く起床した。まだ低い朝日がカーテン越しに覗き込んで来る。俺は朝食用のパンをかじりながら、ノートを開けた。それから、ワークブックを開くと、ページいっぱいに敷き詰められた問題が一斉に俺を出迎えた。

 ……朝学習をする日が来るなんてな。いや、それだけ本気になれているってことだよな。


「——ふっ」


 俺は一人で、静かに笑った。

 陽菜さんに教えてもらったことを思い出いながら、一つずつ問題を解き始める。ここ最近は授業も粗方真面目に受けていたので、教科書の内容もさっぱりと言うわけではなかった。

 ——よし、これは確か……こう、だよな。

 朝は本当に頭が冴えるのか、思考の巡りがよく、集中出来ていた。分からない問題があれば解説を読みながら進める。それを繰り返しているうちに、気が付けばあっという間に一時間が過ぎていた。


「ん——、そろそろ学校行く時間か。それなりに進められたし、あとはちゃんと継続出来るかだよな」


「継続こそ力なり」とは、よく言ったものである。

 陽菜さんも忙しくなるだろうから、分からなかった所は先生でも聞くか。……驚かれるだろうなあ、学年位一二を争う成績(逆)の奴が質問に来るわけだし。……目つきと、普段の態度で拒否られたりはしないよな? ……と言うか、二年になってから小町先生以外と話すことほとんど無かったんだよな。一年の時も質問とかしたこと無かったし。

 ……大丈夫かこれ。

 何はともあれ学校に行かないと話が進まないので、最後に昼食用のおにぎりとパンを鞄に入れて俺は家を後にした。


 いつものように一人で学校に行き、教室に入る。

 毎度の事なんだけど、ここまで何の会話もないって言うね。まあ、ぼっちだから当たり前なんだけど。どうやら普段の態度と目付きのせいか、俺は一匹狼的な扱いになっているらしい。本当は、ただ、はぶられてるだけなんですけどね。

 いつものように、一瞬の静寂があり、再びそれぞれの会話に戻って行き、俺は静かに自分の席に座る一種のルーティン……の、はずだった。


 ——なんだ?なんかやけにみんな俺の方を見てくるんだけど?……えっ、俺、なんかやっちゃいました?

 視線の理由が分からず、俺が辺りを見渡すと、次々に、急いで視線が逸らされていく。

 ……やっぱ、はぶられてるだけじゃん。そういや前に陽菜さんが、「須郷くんが不良なんじゃないかって噂してる子たちがいたんだけど……」って言っていたような。……いや不良って……俺、喧嘩とかしたことないんだけど。

 そんな噂話を思いだして、俺は頭を掻きつつ、席に向かう。しかし、再び視線が俺の方に向く。心なしか、「おい、お前が行けよ」「え、やだよ、そっちが聞いて来いよ」と、多分、俺の事を押し付けあっているであろう会話がちょくちょく聞こえてくる。

 ……俺、そんな嫌われてんの?それとも不良説のせいで怖がられてんの?……いや、陽菜さんが普通にせっしてくれるから忘れてたけど、俺、目付きがちょっとばかし鋭いんだっけ……

 嘆息して、俺は私物のラノベ、昨日陽菜さんに進められた「境界のフラットライン」を広げた。ちなみにブックカバーをかけているため、ぱっと見た感じはただの小説である。

 周りの視線の理由が気になるけど、こっちから聞くと変な感じになりそうだしな。……ていうか、そもそも聞く勇気がないんだけどね。その、俺、い、陰キャだし……

 しかし、痺れを切らしたのか、一人の男子生徒が俺の机の前に恐る恐るといった感じでやって来た。たしか名前は——


「あ、あの須郷……くん」


「……なにか?」


「ひっ……あ、あの、その……実はき、聞きたいことがあって」


「聞きたいこと?」


 俺、まじで不良と思われてんのか……冷や汗かいてるし……えーと田村くんだったよな。

 ……というか、クラスメイトと話したの、なんか久々な気がする。どんだけ避けられてんだよ。


「その、違うかもしれないんだけど、皆が噂してて……須郷くん、き、昨日、ショッピングモールで、浅木生徒会長と一緒にいなかった?」


「っ!?」


 戦慄が走った。遅れて震えが全身を襲う。先程までのありとあらゆる思考が消失した。

 多分、顔に出たのだろう。俺の前に立つ彼の表情が一瞬で真っ青になった。

 しかし、そんなことはどうでも良かった。

 見られた……?い、いや誤魔化すのが先だ。このままじゃ陽菜さんに——

 後ずさり、怯えるように戻ろうとする彼を俺は咄嗟に捕まえた。


「誰かが見たって言ったのか?」


「え、えっと、さ、さっき安田君たちが先輩から、き、聞いたんだって」


 俺はその安田君たちの方を向く。


「え、と、いや、なんか副会長の人が言ってたって聞いてさ。それで——」


「副会長……あ」


 そうだ、あの時陽菜さんは高木副会長が見えたから、それで……じゃ、やっぱりあの時……いや、ここで肯定したら陽菜さんが。


「多分、見間違いだと思う。俺、昨日はずっと家にいたから」


「そ、そうだよな、悪い忘れてくれ。なんか噂になってから気になっただけだし」


「お、おう……」


 気が付くと、田村くんはすでにj自分の席で蹲っており、他のクラスメイト達も、もう俺の方を見ていない。

 誤魔化せたのか?

 どうやらこの場はなんとかなったらしい。はぁーっと大きなため息が漏れた。

 あっっっぶねー!!!まじで終わったかと思った……でも、噂の出どころが副会長なら、陽菜さんが上手く交わしてくれるはず。とりあえず一安心だけど……やっぱりお出かけは控えた方が良さそうだよな。まあちょっとは残念だけど、陽菜さんの理想が最優先だし、それに昨日言われたからな。

 俺たちなりの関係で、進んで行ければいい。

 ……今は、陽菜さんとは合わない方がいいよな。このことも、連絡するのは帰ってからの方がよさそう。もし見られたら大変だし。

 刹那、チャイムが頭上に鳴り響いた。それと同時に、ガラっと扉を開けて担任の小町先生が入って来た。ホームルームが始まる。

 俺は、スマホの電源を落とした。


 ★★★


「あの……浅木会長」


「どうかしましたか?」


「い、いえ……その、大したことではないのですが」


「何か気になることでも?」


「……会長、昨日、隣町のショッピングモールにいませんでしたか?」


「えっ……」


 後輩の生徒会役員の子にそう聞かれて、私の心臓は、それこそ口から飛び出すんじゃないかと思うくらい大きく揺らいだ。脈打つ鼓動が胸の中で嵐の如く荒れ狂う。


「……いえ、昨日は家にいたので。見間違いではありませんか」


 私は、できる限りの平然を装う。上ずらないように、必死に声を押さえ付けた。しかし、早まる鼓動は、徐々に平静さを奪って行く。

 落ち着いて、私——


「そう、ですよね。浅木会長がショッピングモールなんか行きませんよね」


「……え、えぇ。その、誰からそんな話を聞——」


 ズキッと、脈打っていた心臓が痛んだ。

 え、なに、今の——

 身に覚えのない痛みに、私は胸を押さえた。


「あ、えっと、確か高木副会長が言ってて、見間違いかも知れないけど。……確か不良の噂のある須郷義登と一緒にいたって」


 決定的な単語に、一瞬、硬直する私。でも、必死に思考回路に電源を入れて、状況整理に神経を研ぎ澄ます。

 ……やっぱり見られて、で、でも高木くんが噂を流す必要性が……それに見間違いかも知れないなら、嘘の噂を流したって思われる可能性だって考慮するはず。。

 でも、もし、確信を持っていたら——

 ズキッ。

 また胸が痛んだ。さっきよりも強く、握り潰されるように。

 うっ!……

 予想外に苦しさに呻きそうになった。


「浅木会長?」


 私の表情に疑問を感じたのか、彼女は無垢な瞳で私を見ていた。

 ——理想の私が求められている、浅木陽菜という、完成された姿としての私が。

 私は、締め付けられた胸をそっと撫でおろした。痛みは消えていないけど。それでも、なんとなく、理解した。

 ——きっとこの痛みと苦しさの向こうには、彼がいる。


「——何でもありません。私が後で高木副会長に確認を取ります。あなたは……いえ、いつも通りでいてください」


「わ、分かりました。すいません、変な事聞いちゃって」


「構いませんよ、学生はこういうのに敏感なものですから」


「でも良かったです。あんな不良の噂のある人と、浅木会長が一緒じゃなくて」


「っ!?」


 切り裂かれるような痛みに全身が締め付けられた。

 頭に彼の姿が過るたびに、感情が悲鳴を上げる。


「でも、なんで高木副会長はあんなこと言ったんでしょうか?」


 ……ごめんなさい。

 私は心の中で謝罪する。


「……なんで、でしょうね」


 ごめんなさい。

 君のいない所で、君を否定してしまう、最低な私を。


「あ、そろそろホームルーム始まっちゃいますね。朝から押しかけちゃってすみません」


「構いません、簡単な書類整理をしていただけですから」


「一応噂のこと聞かれたら、それとなく否定しておきますね」


「お願いします。表立って否定すると、余計怪しまれるので。もし、高木副会長に何か言われたら、私が否定したって言っておいて下さい。あとは、私が彼に話を聞きますから」


「了解です。それでは失礼します」


 彼女が出て行き、扉が閉まるのと同時に、私は膝から崩れ落ちた。


「ごめんなさい……ごめんなさいっ……」


 そう言葉が零れた。繰り返す懺悔が、朝日の映える一室に広がり、消えていく。

 涙を流すわけには行かない。当然だ。だって私の都合で、彼の事を否定したのだから。

 私は、なんて最低なのだろう。


 ——私は、君の理想にはなれなかった。一番なりたかったはずの理想に。


 大好きな彼の笑顔を思い浮かべながら。私はただ、謝り続けた。

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