第20話
「いやー面白かった!」
スクリーンのある部屋を出た先の通路で俺は背伸びをしながら見たままの感想を漏らすと。隣を歩く陽菜さんが小さく笑った。
「ふふっ、そうだね」
「陽菜さんは、……あんまりでしたか?」
「ううん。面白かったよ。そもそも私から誘ったわけだし。……だから、須郷くんが楽しめてなかったどうしようって」
「俺もこのアニメ好きですし、めちゃくちゃ楽しかったですよ。だからそんなの気にしないで下さい」
俺がそう言うと、陽菜さんは少しだけ顔を紅く染めながら、口に手を当てて「ありがと」と呟いて、微笑んだ。……そういえば陽菜さんの方をチラッと見たんだけど、途中でポップコーンの手が完全に止まってたなあ。
何が言いたいかというと、陽菜さんがかわいかったと言うこと。ずっとかわいいけど。
「あ、そう言えば続編が出る感じでしたね、最後のシーンとか、明らかに黒幕的なのが出てきてましたし」
「あ、それ、私も思った。多分、来年辺りには公開するんじゃないかな。まだ回収してない付箋もいくつかあったし……でも、やっぱりアクションシーンは凄かったね。最後の脱出するところとか、作画もすごく綺麗だったし」
「分かります!俺興奮しちゃいました!声優さんの演技も相まって凄かったです!」
ちなみに俺と陽菜さんが見た映画は本格スパイアクションのアニメ作品の続編で、放送当初から人気が強く、劇場版が公開されたというわけだ。
俺も例に漏れずこのアニメ好きだったから、いずれは見に行くつもりだったけど、まさか陽菜さんも好きだったなんて思わなかったなあ。
そういえば、最初誘った時には、陽菜さん、もう前売り券買ってたんだっけ。
いつも、貰ってばっかりだよな。
今回も俺が勉強を頑張ったからって陽菜さんがプレゼントしてくれたし。……全部ひっくるめて返しきれるか、既に不安なんだけど。
ふと、隣を歩く陽菜さんを見た。さっきまで見ていた映画のことを、楽しそうに話す陽菜さん。
理想のお姉さん系美少女。そんな人が、こんななんの取柄のない、しかも、目付きに難ありの、ぼっちオタクの彼女として、隣にいてくれている。
……改めて考えると、ほんと奇跡みたいなもんだよな。ラノベの主人公かよ。
陽菜さんにふさわしい、理想の自分になりたい。
陽菜さんの隣に、堂々と立てるようになりたい
……でも、それって、具体的にどうなることなんだろう。俺が何になればいいんだろ——
「須郷くん?どうしたの?難しい顔して」
「だ、大丈夫です。その、なんていうか、映画見終わった後って少しするとちょっと虚しさを感じるんですよ。終わってしまったなーって感じで」
「なんとなく分かるよ。最終回とかもちょっと虚しなっちゃうよね」
「はい。なんか急にそんな感じがして」
「でも、それがアニメの魅力なのかも、それだけ心に残っているってことだから」
「そうですね」
——今は、出来ることをするしかないよな。
俺は、自分にそう言い聞かせるように心の中で呟いた。
「あ、そうだ須郷くん、ちょっとだけ寄り道していいかな?」
「はい、大丈夫ですよ」
そう言った陽菜さんの視線を追うと、その先には、ショッピングモール内唯一の本屋があった。大型ショッピングモールに入っているだけのことはあり、隣のアパレルショップを軽々と凌駕するくらいの、大きめの本屋だ。
俺もちょくちょく来るんだよな、町の本屋に置いてない時とかはたまに来たりするし。
「通販使え」とか言われそうだけど、ほら、なんか実際に本屋に立ち寄ってさ、いろいろ見ながら買うのが好きっていうか。
「須郷くんは最近読んだラノベってあるの?」
「ありますよ、この、『押しが俺を好きかもしれない」とか面白かったです」
「そうなんだ、じゃあ私も読んで見ようかな」
「え、でも、陽菜さんに合うかは分からないですよ?」
すると陽菜さんは、シャツ越しに膨らんだ胸元で本を優しく抱きかかえた。
「私が読んで見たいって思ったの。君が面白いって思ったこの作品をね」
世界一のお姉さん系美少女(俺調べ)にそんなことを言われて、一気に熱を帯びた顔が赤くなるのを俺は必死に堪えた。
い、今の発言嬉しすぎるけど、その仕草と声で言われると理性が死にます陽菜さん。
「ひ、陽菜さんはおすすめのラノベとかってあるんですか?」
「うーん、私はやっぱこれかな」
そう言って、陽菜さんは棚から一冊の本を取り出した。それはアニメ化もされた人気タイトルだった。当然、俺もその作品は知っている。ただ、原作は未読であり、気になっていたラノベの一つだった。
「境界のフラットライン」
「私がラノベを読むきっかけになった作品かな。結構シリアスで辛い展開もあるけど、それが凄く刺さって、もし良かったら、須郷くんにも読んで欲しいな」
「ならこれにします。理由は、……陽菜さんと一緒です」
俺はその本を受け取った。表紙には、戦場で戦う主人公とヒロインのイラストが描かれている。
「読み終わったら感想聞かせてね。私も須郷くんが進めてくれたこの作品、楽しみに読むから」
そう言って陽菜さんは小さく微笑んだ。
——オタク彼女、最高だなあ。……だってさ、好きな人と好きなことで語り合えるってこれ以上の幸せなことって、きっとないよな。
俺は陽菜さんの勧めてくれた『境界のフラットライン』を片手に、レジに向かう。途中、ほんの少しだけ、何故かリア充であることに罪深さを感じて、陽菜さんと出会う前の自分を思い出しながら苦笑した。
もし、前の自分が、今の俺を見たらどう思うだろ。……自分とは関係ないって、割り切ってそうだよな。でも、それも俺か。
会計を済ませて本屋を出ると、両手でラノベの入った袋を持った陽菜さんが待っていた。
横から見るとよりわかるんだけど、陽菜さんほんと綺麗だよな。まつ毛長いし、出るとこと引き締まってところのバランスも完璧で、艶やか黒髪ロングが、美しさをさらに引き出してて、上手く言えないけど、……まさに理想のお姉さん系美少女なんだよな。
陽菜さんのかわいさに、思わず心臓が高鳴るのを感じながら、俺は、今この瞬間を噛みしめた。陽菜さんの隣にいるこの瞬間を。
「——お待たせしました」
「あ、須郷くん——」
刹那、振り返った陽菜さんの表情が、一瞬にして青ざめた。
「えっ——」
「す、須郷くんこっち!」
その変化に、俺は思わず無意識に声が漏れたが、すぐに陽菜さんが俺の手を引いて、隣のアパレルショップに駆け込んだ。
俺は何が起きたのか分からずに、陽菜さんを見上げた。
「ど、どうしたんですか陽菜さん!?」
「ご、ごめんなさい。その、高木くん……生徒会副会長が見えて、それで」
「も、もしかして、俺と居るところ見られて——」
「ううん。反対向きだったし、それに友達と一緒だったから、多分気が付いてないと思う」
本屋から見て完全に死角のアパレルショップの角に隠れながら、陽菜さんが申し訳なさそうに呟いた。どうやらばれてはいないようなので、そこは胸を撫で下ろしたが。
「本当にごめんなさい。折角のお出かけだったのに。私のせいでこんな——」
「陽菜さんは悪くないですよ。それに、もしばれてしまったら、陽菜さんに迷惑をかけちゃいますし、気にしないで下さい」
「で、でも……っ」」
袋のまま本を抱いた陽菜さんが、何かを言おうとして、言葉が詰まった。それから、まるで目の前で突き付けられた真実に失望し、全てが抜け落ちたような表情を浮かべた。
「陽菜、さん?」
「……変わらないな、私、いつも自分の事ばっかり」
紡がれ声はひどく冷たく、無機質だった。それは、笑顔が消え失せた瞳も同じで。
「——また、迷惑かけちゃったね。」
それから陽菜さんは、貼り付けたような引きつった笑顔で、そう言った。
「め、迷惑なんて俺は——」
「ありがとね、そう言ってくれて。でも私は、その優しさに縋ってばっかりで……彼女として失格だね。もし私が普通の彼女だったら、隠れたりせずに、君は堂々とお出かけ出来たのに」
自分を責めるように話す陽菜さん。
陽菜さんが謝ることじゃない。俺の方こそ、陽菜さんに付き合って貰っているのに……ちゃんと伝えないと。俺は今のままで大丈夫だって。この関係の事で、陽菜さんが責める必要はないんだって。
「……陽菜さんが謝ることじゃないです。俺は陽菜さんと付き合って貰えてるだけで十分なんです。それなのに陽菜さんに迷惑かけちゃったら、俺の立場ないですし」
「——そんな風に思わせちゃってたんだね」
「陽菜さん?」
「ううん。今日はごめんね」
ポツンと、沈黙が雫のように落ちた。視線の向こう。瞳に映る陽菜さんはどこか、寂しげに見えた。
——答えを間違えた?でも、俺は。
しかし、正解が分かるはずもなく、理想の答えを紡ぐことは出来なかった。
それから、俺と陽菜さんは、アパレルショップの角から、左右を確認してから店を出た。
日が傾き始めた空の下、俺と陽菜さんはショッピングモールから駅に向かく道を歩いていた。来た時よりも二人の間には距離があった気がした。見た目以上にそれは深く、言葉をためらう程に。
ここまでは、特に知り合いに見つかることはなく、駅までの道のりを進むことが出来ていた。
そしてそれは、まるで時間の狭間に取り残されたように静かな時間だった。
微かに反響するのは靴の音と、見知らぬ誰かの声。雑音にも満たない物理現象の残り香。
気が付くと、俺と陽菜さんは駅の改札前に来ていた。
週末の夕暮れ時ということもあり、多くの若者がICカードをかざして、改札を通り過ぎて行く。
俺と陽菜さんも、その波に飲まれるように改札口を通り抜けた。それから流がれるように電車に乗る。揺れる電車の中で、ガタゴトと鳴る、鉄の乾いた音だけが鮮明に再生されていく。
そして俺は、最後まで陽菜さんに話しかけることは出来なかった。
「——それじゃまた学校でね」
「……はい」
俺と陽菜さんはマンションの前まで帰って来ていた。
最後に取り繕ったような笑みを浮かべた陽菜さん。どこか、遠くに行ってしまいそうな感じがして、俺は呻くように言葉を並べようとする。
「……あの、陽菜さん。お、俺は陽菜さんとこうして出かけたりすることが出来るだけで楽しいです。だからその、陽菜さんが迷惑じゃなかったら、俺は——」
「須郷くんは優しいね。でも、そうじゃないの。……ううんごめんなさい。私はただ」
そこで陽菜さんは言葉を区切ると、日の落ちかけた空を見上げた。
「普通の彼女になれなかった。……君は、「それでもいいって」言ってくれるかもしれない。でも、私は少しだけ苦しいと感じたの。それが自分のせいだって分かっているのに、一番我慢しているのは須郷くんなのに」
陽菜さんは俺に向き直ると、小さく笑って見せた。「ひどいよね」と問うように。
それから振り返ると、背中越しに呟いた。
「だから今日は本当にごめんなさい。……またね」
「あっ……」
エントランスに消えていく陽菜さん。
陽菜さんは俺の事を想って悩んでくれていた。なのに、俺は自分だけ満足していた。
——なにやってんだよ。陽菜さんは俺なんかのために、理想にリスクを背負ってまで付き合ってくれたのに。あの時と同じように俺は何も出来ずに終わるのかよ……
拳を握りしめた。陽菜さんが一番大事だから、俺のことは気にしなくていいんだって。迷惑なんかじゃないんだって。
俺は……
『そうじゃないの』
刹那、陽菜さんの言葉が思考を撫でた。その部分だけが強く、明確に反響する。
——そうじゃないって、それって、俺がこの関係のことをなんとも思ってないことに関係があるのか……でも、それなら一体なにが陽菜さんにとって引っかかる部分が。
しかし、それがなんなのかわかるはずもなく、逡巡を巡らしている間に、陽菜さんだけが遠くなって行く。それは距離というよりも、もっと別のもののように思えて。
あっ……
気が付けば、無知という名の罪名に囚われていて。俺はまた、立ち尽くしていた。
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