第102話:成したこと
感情の薄い顔から、彼の思いを察することはできない。もしかすると
「父さん、終わったよ」
すぐ、
「ごめんよ」
何についてか言わぬまま、
それでも父は息子に視線を向けず、どこか宙を見つめる。
「帰ろう。
どうこうを言っても、すぐに気持ちの決着が着くはずがない。おそらくそう考えた
応じてくれるらしい。
しかし
「俺ァ、いい」
「いいって、そんなわけにいかないだろ」
「帰ろうったって、帰れねえだろうよ。寝床は一つしかねェんだ」
寄りかかる棺桶を、
そうだ
「じゃあ帰るのはいいんだね。方法は考えるよ」
「ああ構わねェ。先にそのでかいのを連れて帰れ。俺ァゆっくり待ってる、また連れに来いや」
馬鹿げたことを、いかにも面倒そうに
ここまで片道で十日以上をかけて来たのだ。食料もなしに、また往復分を待てるはずがない。
「ここで母さんの後を追うってことかい」
「帰る方法がねェって言ってんだろ」
きっと
彼の目が、
犬の歩みは運搬に向かない。どうにか縛りつけることはできようが、既に
(それなら)
「お父様、どうか私にやらせてください。至らぬ女ですが、どうか」
謝るべきは自分だと思った。だがそうすれば、おそらく
ゆえに頼みごとだけを口にした。小賢しくとも、これが最良と信じて。
「お前が?
「では。私にできるのなら、一緒に戻ってくださいますね?」
逃げ道をなくす物言いが罪深く、早口になった。
「……あァ、できるもんならな」
「ありがとうございます!」
口車に乗ってくれたことを、心から感謝した。これも
気の変わらぬうち、すぐに取りかかった。自身より大柄の男を運ぶ目処はついていた。
「これ、飾りを外したいの」
「ええ? ——ああ、なるほど。いいのかい?」
「もちろん。お父様を運ぶより優先することはないわ」
僧として、あるまじき行為。数日前までは、思いつきもしなかったろう。
今はむしろ、誇らしかった。意図を汲んだ彼が手際よく、門の形を崩していくのが。
最後におよそ背負い子の格好となり、観念した様子のため息を吐く。
「考えたもんだが、それにしたって行けるのか」
「武僧としての鍛錬もしました。お任せください」
背負い袋を被せ、少しは座り心地も良くなったか。屈んで待ち構えた
「ありがとう
「そんなことないわ。私がかけてしまった迷惑こそ、どうしたって消せないもの」
いつか、三人ともに含むところなく笑い合うことができようか。
これからの新しい、そして長い年月の始まりを感じた。
「
「私はここへ残ります。冥土へ戻るのに近いですからね」
多少、冗談のつもりがあるのかもしれない。
「纏め髪のやり方を教えてもらいたかったわ」
「ああ、そうでしたね。またいつか」
「またいつか」
すらとした長身を伸ばし、
振り向けば
(どんなに恥ずかしくても、
せめてこの誓いだけでも貫くために。
そういえば戻れなくなっていたのだった。すっかり忘れていたが、これなら普通に歩いて行ける。どうやら屍鬼の姿もない。
先頭を行く
しかしその先、階段を下りたところへ座り込む誰かの姿がある。
「知っている人?」
「いや、深層へ潜る連中には見ない顔だよ。構わず行こう」
密かに話し、進む。
彼の口調に警戒の雰囲気があった。背負い紐をしっかりと握り直し、僧服の男を横目に盗み見て。
「まあまあ、そう怪しむな」
ちょうど真横の位置で、男は言った。若者のようにも年寄りのようにも聞こえる声、おかしな抑揚で。
「待って
「そうなのかい?」
そう言っても、彼は警戒を解かない。自身も後退りながら、
「察しの通り」
男は言った。三十歳前後と見える顔は、見覚えがあるようなないような。皇都の僧院に居たと言われれば信じたが、名前は出てこない。
いや、居たはずがないけれども。
「あの。察したと言っても、お三方のどなたかは」
「良い良い、些細なことよ。人間の道にあり得ぬことを成した。その者の顔を見たかったのだ」
「すると——
「然り然り」
男はにこやかで、機嫌良く酔っ払っているようにも見える。
だがそれなら、整って話す言葉はあり得ぬものだ。
「さて我の目的は、お前と話すことそのもの。しかしついでに、教えてやれることもある」
「それは?」
「
それはまさか。耳を疑い、
改めて同定する必要もない。聞いた言葉は、同じものだ。
「さ、先行きを延ばすとは、いかほどでしょう」
「そこまでは教えられぬ。しかしまあ、努めて生きよと言っておこうか」
人間が滅びる運命は、先延ばしにされた。眼前の男がただの人間で、酔狂を言っていることはあり得ない。事実を知るのは、他に
「あ、ありがとうございます!」
「なんの。人間の自ら起こす奇跡というものを、見せてもらった礼でもある。
最拝礼の頭上に、信じられぬ言葉が降った。信心など意味がないと、投げ棄てたことを悔やむ。
「ついでのついでだが、少しばかりの土産も用意した。幾つあるかは教えてやらん。努めて探せ」
「は、土産でございますか」
探せと言うからには、ここで渡してくれぬのだろう。さらには手で触れられる物のはず。
何であれ、神に似合わぬ遊び心の利いた計らいだ。疑うでもないが、俄に信じられぬ思いで顔を上げた。
だがそこに、男の姿はない。
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