第99話:終わりの時は敢えなく

「母さん……」


 季節外れの雪山へ、おもむろに破浪ポーランは腕を突き込む。

 探るように動かし、ため息を一つ。抜いた手に握られるものは何もなかった。


「やってくれる。人形を壊し、あとにお前の母が残ると思ったか。短慮の報いは、人の滅びのみよ」


 鬼徳神ゲドの声。青褪めた美丈夫の姿は見えず、砂山の頂上へ赤い蛇がとぐろを巻くのみ。


 ちろちろと舌の出入りする口で喋ってはいまい。だがやはり、蛇の方向から聞こえるようになんとなく思う。


「仕方ないさ、そりゃあ連れて帰りたいと思ったけど。どんなに願っても、どんなに頑張っても、叶うことのほうが少ない——って、あんたの迷宮で教わったんだ」


 ゆっくりと立った破浪ポーランは、蛇を見ない。掬った砂を手から落とし、自身の作る白糸のような滝の流れを見つめた。


「それが本心であろうが虚勢であろうが、知ったところでない。やがてこの迷宮も潰える。我は釜焚きに戻るのみ、近しく用済みとなる釜のな」


 熱さも冷たさも感じさせぬ声。それは最初から変わらないし、鬼徳神ゲドの言う立ち位置からも当然だろう。

 人間という花壇が全滅したとて、神にとっては次への経験値に過ぎない。


 全滅する人間の側としては、見過ごす選択はなかった。

 回避する方法はないものか。例えば破浪ポーランの代わりに相当するだけ死者を冥土へ送り込むとか。


 いやもちろん、それはできない。人間としてもとる行為だ。

 だから他に、何かあるはず。人間の自分には無理でも、神々には可能なはずだ。さらには破蕾ポーレイを返してもらえないか。


 決別した神へ無限の期待を抱く己に、春海チュンハイは気づかない。


鬼徳神ゲド!」


 これが最後の機会。緊張に震え、呼ぶ。

 すると親しくファンと名付けた蛇が、愛らしいまん丸の目を向ける。


 さあ何から言おう。声を発する瞬間まで、話す順番を悩み続けた。

 しかしまずは破蕾ポーレイについて。人間の全てがどうこうよりも、破浪ポーラン偉浪ウェイランの望みを叶えるのが先だ。


「お話を……」


 見つめ合ったまま、蛇の形が崩れる。人形と同じく砂と化し、雪山に溶岩が流れたかの模様を作った。


「えっ」


 一瞬のこと。何が起きたか、何を意味するか、理解が追いつかない。

 咄嗟に伸ばした手は、引き留めようとしたのだろうか。虚しく宙を引っ掻き、地面に落ちる。


鬼徳神ゲド? あの、お話を……鬼徳神ゲド!」


 何度呼びかけても、返答は聞こえてこなかった。辺りを押し潰すような感覚も消え、神の去ったことを肌で知る。


「そんな、無責任よ……」


 人形が屠られ、迷宮もなくなると。ゆえにこの場所へ、この人間たちに関わる理由もなくなった。


 たしかにそんなことを言ってはいたが、始めたことの結末を放り出していくのか。責めたところで、もう聞く神は居ない。


「さあて、いったい何がどうなってるんだい? こっちの手が離せないのをいいことに、あれこれ気になることをさ」


 うなだれた後頭へ、疲れた黒蔡ヘイツァイの声が投げ込まれた。

 そうだ。雪崩式に巻き込んだ彼らに、話さぬという不義理はない。


「どこから話せばいいか……」


 黒蔡ヘイツァイ一家が知るのは、破蕾ポーレイが人形に取り込まれたことだけ。


 どこまで伝えていいやら迷う春海チュンハイに代わり、偉浪ウェイランが答えた。

 迷宮が生まれた日のこと。連れ戻そうと迷宮へ潜り続けた日々のこと。


 鬼徳神ゲドに関しては、破浪ポーランが引き継いで話した。

 本来は冥土へ送られねばならない屍の徳を、彼が負ってしまっていることも。


「たいそうな話だねえ」


 言葉とうらはら、黒蔡ヘイツァイはあくび混じりに言った。


「何だ。あんたなら、お前が死ねば済む話とでも言うと思ったのに」


 春海チュンハイが胸に浮かべただけで収めたことを、破浪ポーランは口に出した。半ば以上、驚いた声で。


「言ってほしいなら幾らでも言うよ。実際、そうだとも思うしねえ。でもまあ、お前が嫌だってのを無理やりにさすほどじゃない」

「それがどうしてさ」

「さあてね」


 曖昧にごまかし、黒蔡ヘイツァイは自身に付いた埃を払う。伸ばしっぱなしにしていた鎖も引き戻し、どうやら帰り支度らしい。


烏鴉ウヤ白蔡パイツァイ、戻ろうか。迷宮の秘密は仕入れたんだ、たんまりと銭をふんだくれるよ」


 妻と息子も、特に何を言うでない。「あいよ」「分かった」と、いつも通りに応じる。


「武術指南役じゃなかったのか」


 じゃあなとも告げず、黒蔡ヘイツァイは歩き始める。破浪ポーランが問うと、振り返らずに答えた。


「気が変わったんだよ。お前たちの居ないところへ居たほうが儲かるし、楽だろうってね」

「そうか」


 どういう意味か、春海チュンハイには分からなかった。彼が納得しているならと、わざわざ問いはしなかったが。


破浪ポーラン


 黒蔡ヘイツァイが先頭を行き、烏鴉ウヤが続く。白蔡パイツァイも尻へ着き、首だけを返して言った。


「オレは負けてないからな。また勝負に来るからな」

「ああ、待ってる」


 たったそれだけで、黒蔡ヘイツァイ一家は去った。

 春海チュンハイが彼らとまみえることは、この先も二度となかった。

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