第96話:決別がゆえの決裂

「気に食わぬか。お前たち人間が、住まう場所に庭を作る。草木や石を置き、うまくできたと悦に入る。我らはそれと同じ。気晴らしなどでなく、それそのものが我らの在る意味で、永遠に続く点が異なるくらいか」


「……つまり、間引かれる草が文句を言うなと。作り方を誤ったと気づけば、根こそぎやり直すこともあると」


 育った僧院の庭を思い出す。神を祀るため、死した者を弔うため。そういう目的に従って拵える、施設と呼ぶべき箇所が多い。

 余裕のある家。たとえば双龍兄弟の家が、鬼徳神ゲドの言うような庭だった。


 しかしそれでも、片隅に母の育てる薬草があった。薬として用いるためだったが、世話を楽しんでもいたはずだ。

 間引いたものは茶にしたり、いよいよどうもならねば腐らせて肥料にした。


「いかにも」

「なるほど、とてもよく理解できます」


 鬼徳神ゲドは頷きもしない。人形の頭越しに見下げ、春海チュンハイの言葉が尽きるのを待つ。間引かれる草ほどの価値しかない、人間の言うことをだ。

 むしろ破浪ポーランが、いつになく濃い感情を見せた。


「ち、春海チュンハイ。きみはそれでいいのかい? 神様の言う通り、従うのかい?」


 困惑しつつ、言葉を選んだ声。動揺してはいるのだろうが、彼らしいと思った。春海チュンハイが首肯すれば、この男が次に何を言うか想像がつく。


 鬼徳神ゲドの言い分も春海チュンハイが従うことも、間違ってはいない。でも協力できない、と。

 出逢ってすぐに言われたのが遠い昔のようで、それでいてはっきりと思い浮かぶ。


「さすが神様のお話は分かりやすくて、よく理解できる。そう言っただけよ」


 首を動かしたのは、地面と水平に。


鬼徳神ゲド、とてもよく分かりました。あなたがた神様も、歩むべき道に忠実なのだと。他の三神と競い、人間の世界を見守っていると」


 高いところへ眼を向けた。

 畏れ多い。春海チュンハイの真ん中へ根付く何かが、顔を伏せさせようとする。けれども堪え、まっすぐに見据えた。


「私たちの世界が庭とするなら、冥土はあなたの家に当たるのでしょう。我が家を富ますため、人間の魂という素材を多く集めたい。天上の神々に負けないため、争う道具と考えている。違いますか」


「違わぬ。が、責めているな。我が守るべき場所を、より良くせんとする。同時にお前たちの眠る場所だ、何がいかんと言うのか」


 怪訝な風もなく言いきられると、自分が我がままを言う気分になる。

 母に言われ、薬草を摘んだ幼い春海チュンハイをも責めるのか。


 そういう思いを、もう一度首を振って追い出す。あの頃の、父や先達の教えしか知らぬ娘はもう居ない。


「良いか悪いか、ではありません。嫌だと言っています。私が昔に千切った茶葉は、口を利きません。けれど人間は生意気にも、それぞれに意思を持っているのです」


(言ってやったわ)

 無意識に浮かんだその言葉で、己が腹を立てていると気づいた。


 手の震えが怒りによるか、怖れによるかは分からない。長年の祈りを無に帰したと、後悔もあっただろう。

 しかしそれ以上に、胸のすく思いだ。


「人間の街には、福饅頭という食べ物があります。本来の目的に使った食材の端切れを集めて作ります。あなたはそれも屑と断じるのでしょう。でも今、一番に食べたいくらいおいしい物です」

「そうか。その福饅頭を拵える職人より、我は劣る。素材の使い方が下手だと言うのだな」


 淡々とした声。人間ごときがなどと憤るでない、聞き届けたという了解の印。

 どうしたところで結果は変わらないと言うのだ、後悔はなかった。だがそれで怖ろしさがなくなるわけでない。


 胸の高鳴るのにつれ、気の遠くなる感覚があった。震えるのも手だけでなく、膝や肩まで。


(また。どうしていつも、いざっていう時。私はこうなの)

 景色がぐると回り、倒れる。どちらが上か下かも分からず、堪えようがなかった。


 しかし、身体の傾きが急激に止まる。どころか引き戻され、硬い柱にでも括られた心地がする。


「お前の言うように、人間には意志がある。ゆえに納得させてやろうと、気遣いのつもりであったが」


 構わず鬼徳神ゲドは答えた。もちろん神の手が延びはしない。

 肩をぎゅっと引き寄せ、支えてくれるのは長身の美丈夫。鋼のごとき破浪ポーランの腕。


「選択を定めたなら、それは良い。我は我の道に従い、粛々と務めを果たすまで」


 人形の後ろに見えた鬼徳神ゲドが薄れていく。素より煙のようであったのが、色をなくす。


「ああ神様。その前に俺の話も聞いてもらえるかな」


 呼び止めたのは破浪ポーラン。商店主に値切りの交渉をする口調で。

 その時既に、人形は動き始めていた。爛れた肌の青白い女が、憎々しげに春海チュンハイを睨む。


「大したことじゃない、ちょっと周りを見てほしい。千の手が居なくなってるだろう?」


 聞いた言葉に、まず春海チュンハイが驚いた。見渡すとたしかに、僅かとなった百足を白蔡パイツァイが潰して回る。


 人形はこちらを睨んだまま、だが律儀に動きを止めた。まだ薄っすらと見える鬼徳神ゲドが、つまらなそうに辺りへ視線を送る。


黒蔡ヘイツァイたちもたしかに手練れだよ。だけど俺には、もっと頼れる友達が居る。紹介してもいいかい?」


 何を言い出したか、真意を図りかねた。見つめる春海チュンハイの目に、懐こい笑みが映る。

 胸の奥をきゅっと鷲づかみにされた心地。そんな中、彼の口が吼える。


「行け、フォウ!」


 名の通り、燃え盛る炎のごとき姿。跳ねるごとに揺れる美しい毛並みをなびかせ、赤犬の巨躯が宙に踊った。

 それは人形の後ろから。肩に乗った赤い蛇を目がけ。

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