第十一幕:生きる為に必要なこと

第93話:条件の確認

 ごめんなさい、と謝りたかった。置き去りにした事実から、目を背けたかった。けれども堪える。

 か。と眼を開き、問うた。


「お父様、お知り合いですか」

「あァ?」


 端折りすぎたかもしれない。

 偉浪ウェイラン黒蔡ヘイツァイ一家も、もちろん破浪ポーランも、猶予がなかった。誰かの息が切れ、手を止めれば、押し潰される。


 そういえばフォウの姿が見えない。気づかぬうちに呑まれたとしたら。

 いや寸刻先を思うと、憐れむのも滑稽だ。感じた焦りが、言葉を省略させた。落ち着けと自分に言い聞かせ、改めて——


「みんな探索者だ、よ。随分前に帰らなくなった。人ばかりだ、みんな強かったのに」

「やっぱり」


 妙なところで言葉を区切り、答えるのは破浪ポーラン

 人形の貫手をいなし、笞のような蹴りを躱し、よくも話せると感心した。よく分かってくれると胸を熱くした。


 答えながら、春海チュンハイも別の作業をこなす。一人、見知った顔を捜す。

 僧院に集まる多くの門徒から、目当ての人物を探すのには慣れている。好きに動き回られるのは、少し厄介だが。


「居ない。小龍シャオロンは居ないわ」


 見落としはないはず。しかしまだ、これから千の手が産み落とすのかも。

 それでも完璧な推論の立つまでは待てない。


「お父様、それはお父様の知る誰かではありません。鬼徳神ゲドの作った偽物。屍から形を盗んだだけの仮面に過ぎません」

「――あァ?」


 偉浪ウェイランの声は、それがどうしたと聞こえた。

 見てくれだけの作り物なら、傷つける気鬱さくらいは除けると思ったのだが。厳しい顔つき、荒ぶる両腕の動きに変化はない。


(でももう少しなの。)

 意味を成さずとも、戸惑いはしなかった。見聞きしたこと、知っていることを口に出す。できること、やろうとすることをまずはやってみる。

 最初はうまくいかずとも、繰り返せばきっとが見える。僧院の兄弟子たちに教わったのだ。


飛龍フェイロンに出会いました。洒掃の釜チンリィフウの列で、順番を待っていて。その前に鬼徳神ゲドとお会いして、そこにあった物も洒掃の釜だと言われました。しかし行列はありませんでした」


 誰に語りかけるつもりもない。強いて誰かにと言うなら、鬼徳神ゲドに。

 間違いがあれば指摘してみろと。むしろそうすれば、真実に近づける。


鬼徳神ゲドは言いました。天上には三神が御座おわし、冥土には自身だけと。その上に仙人のような例外が冥土になく、不公平だと」


 忘れられた場所となっては、笑い話にもならない。つまり、困る。どう困るか、人間の身に知るところでないが。


「天上より多くの魂を冥土に迎える、それが至上の目的なのでしょう。そういう意味では、屍を運び出してしまう破浪ポーランが邪魔というのは分かります」


 いつの間にか、彼の手に斧はなかった。見ると人形の肩に打ち込まれ、右腕が動かせなくなっている。


「だけど、それはおかしい。なぜ偉浪ウェイランも、とならないのか。あの時はあまりのことに気づかなかったけど、いくら考えても答えに辿り着きません」


 破浪ポーラン偉浪ウェイランも、何も言わない。上がりかけた息を押さえつけ、無機質に繰り返す。


 黒蔡ヘイツァイなど、春海チュンハイの頭を疑っているのでないか。あちらの父子も、声を出すことはなくなった。


「お母様が、人形に取り込まれそうだと仰いました。もしかして破浪ポーランを、その代わりにしようと言うのでは?」


 言って良いものだろうか。

 悩んだのは一瞬。息子を身代わりにと聞いた父親が、より力強く銅塊を振り回したのを見て。


「いえ。この場合、代わりは私なのかもしれません。人形に封じられた人間と、地上に残された人間。互いに執着を持つ者同士が選ばれる。そのために私はここまで呼ばれたのでしょう」


 春海チュンハイ破浪ポーランを。破浪ポーラン春海チュンハイを。どちらにしたところで、そんな執着が? と疑問に感じた。


 しかし、杭港ハンガンを訪れてからを振り返る。

 死なせるなどととんでもない。いつしかそう思わせられた、美丈夫のことしかなかった。


「私はこれからずっと、お父様のお世話をすると誓いました。それは私がご迷惑をおかけしたから、そのつもりで」


 これは事実の確認であって、生き延びるのに必要だ。

 と自身に言い聞かせても、頬が熱くなる。額からは蒸気を噴く気がしたし、首から胸の辺りは沸かしたての風呂よりも。


 腐臭と冷えの世界に、場違いではある。だがどうにも不思議なことに、胸を張りたくなってしまう。


「でも今は考えが変わりました。彼が許してくれるのなら、私は破浪ポーランと添い遂げたい。だからお父様は、私がお世話をして当然と」


 条件を満たしている。隠しだてしても鬼徳神ゲドには通用すまい。ここまで見越していなくては、春海チュンハイを呼ぶこともなかったはずだ。


「だから……」


 鬼徳神ゲドの意図から、概ね外れてはいまい。ただ、ここから先が続かなかった。


春海チュンハイ


 声を細らせると、すぐに破浪ポーランが呼んだ。「は、はいっ」と、肩を窄めて答える。


「俺もきみと飯屋をやりたい」

「ええと……」


 嬉しい言葉には違いないが、喜べなかった。必要なのは、この事実を元にどうするか。ここからの行動だ。

 生き延びた後の展望は、もっとゆったりと考えるものだろうに。


「そのためには、鬼徳神ゲドをどうにかしなきゃならない」

「え、ええ。でもその方法が」


 早合点をして悪かった。思ったより、きちんと伝わっていたらしい。


「心当たりがなくもない」


 さらに思いがけぬ言葉が続けられた。彼にしては迷うような、口ごもる声だったが。

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