第88話:ここへ在る意味

(私にしかできないって、何?)

 黒蔡ヘイツァイ白蔡パイツァイの背に、それから横たわる烏鴉ウヤに問う。


 やって来た金魚ジンユにも。脇へ立つ長身を見上げた。

 だが答えはない。


 春海チュンハイがしたことと言えば、ここまで破浪ポーラン偉浪ウェイランに守られて訪れた。

 何もしなかったわけではないが、そも春海チュンハイが居なければ、父子に必要のない労苦だ。


 極めつけ、飛龍フェイロンを犠牲に戻った。あれが洒掃の釜チンリィフゥへの行列なら、気づかねばならなかった。


(これでどうして僧になれるというの。小龍シャオロンに何て謝ればいいの)

 自身が未熟とは百も承知。けれども取り返しのつかぬ失敗を前に、言いわけにもならない。


破浪ポーラン


 戦う男の背を見つめる。

 せめて彼の願いを叶えられまいか。もし尽く潰えたとして、彼だけは無事に帰せまいか。


(ああ、そうね。私が最初に迷惑をかけたのは、あなたにだわ)

 罪滅ぼしをするなら、順番としてそれが正しい。飛龍フェイロンには極めて近いうち、直に謝ることと決めた。


鉄槌ジィジュウ!」


 破浪ポーランの対する人形へ、火砲を撃つ。神通力を練り込み、ひと塊としてぶつけるのだ。


 これも見習いの春海チュンハイでは、実際に金槌で打つ数倍という威力しかあるまい。

 しかし彼の邪魔をせず、直ちにできることが思いつかなかった。


破浪ポーラン、傷は?」


 彼は斧を構えながら、ほとんど使っていない。残像を追うのがやっとという人形の動きを見極め、反対の手で捌く。


 春海チュンハイには違いも分からないが、これはという攻め手を斧で受けている様子だった。

 即ち防戦一方で、破浪ポーランからの攻めは一手もない。


「平気だよ」


 衣服のあちこちが破れ、血を滲ませている。しかし短く答えたのに嘘はあるまい。どの血河も筆で撫でた程度、せせらぎにまで至ったものはない。

 許されるなら、すぐにも手当てしてやりたかったが。


鉄槌ジィジュウ!」


 彼の死角を狙うと見えた腕に、先制を行う。人形の殻に傷一つつかないが、どうやら作戦の中止には成功した。


春海チュンハイ、きみが疲れてしまうよ」

「でも」

「いざという時は頼るから」


(でしゃばりだったみたいね……)

 十歩にも足らぬ先、破浪ポーランの背中が見える。左右へ気を配る時、横顔が見える。


 春海チュンハイを顧みることはない。もしそんなことをすれば、危ないからやめろと言っただろう。

 しかし、それならどうして良いか分からない。


 大癒ダァユの祝符を握りしめ、天界の門シャンタンを押さえ、固唾を飲む。

 傍観者であることが恥ずかしい。だが下手な手出しが危険とも知っている。


 残るは破浪ポーランを見ることしかなかった。

 よくも躱すと感心ではある。確実に増えていくかすり傷と過ぎ去る時間を思えば、楽観の材料にもならないが。


 瀕死で倒れていたのは、やはり一人だったからか。この人形と千の手と、一度に相手をするなど無理に決まっている。

 むしろ一度は逃げ果せたのが、奇跡に類するのではないか。


 そんなことを考えるうち、状況が移った。囲んでいた千の手が、残り一体にまで減る。

 破浪ポーランは肩で息をするありさまだが、黒蔡ヘイツァイ一家が加わればきっと問題ない。


「お父様、千の手が居なくなりました。どうにかなりそうです」


 棺桶の中で、状況の知れない偉浪ウェイランに伝えた。

 終わるのは良いことに違いないが、役立たずのままだ。そう思うと自然、声も沈んでしまう。


 人形だけになっても、どうすれば地上へ戻せるかは別の話だ。

 これから考える状況を作れたという意味で、もちろんこれも良いことに違いない。


「言うことを聞くんじゃねェ。喋らす前に叩き壊しちまえ」

「えっ?」


 偉浪ウェイランの声は太く、はっきりしている。それでも聞き誤ったと思い、疑問で返した。

 しかしもう一度、より厳然とした声が告げる。


「あれは破蕾ポーレイなんかじゃねェ。二度と動けねェように、粉々にしろ」

「でも……」

「でもじゃねェ。馬鹿息子に言え」


 もし伝えねば、どうなるだろう。

 もし、どうにかして人形を。破蕾ポーレイを地上へ連れ戻せた時、父子はそれぞれどう思うだろう。


「人形を」


 破浪ポーランに向け、口を開く。彼に届けるには、発した声が小さかった。もう一度だ。


「人形をどうするか。破浪ポーランに任せることはできませんか」

「あァ?」


 もう一度、はやめた。彼の背中を眺めたまま、その父親にだけ問う。

 遣り口が卑怯とは自覚したが、くぐってきた場数が違う。


「お父様はずっと戦って、諦められたのですよね。十八年、でしたか。長い時間、苦しまれたのだと思います」

「あァそうだ、だから——」


「だから、破浪ポーランにも悩む時間をいただけませんか。お父様の言うまま、お母様を迷宮に封じる。それは一生、消せない闇になる気がします」

「ぶっ壊さねェと、その一生がないってんだよ」


 気紛れじみた春海チュンハイの我がままと、偉浪ウェイランの覚悟では迫力が違う。


(やっぱり僭越よね)

 聞いた破浪ポーランがどう思うか、彼に口添えするか。

 それはまた別の話、伝えるだけ伝えよう。観念し、改めて口を開く。

 その時だ。


「うふふっ」


 人形が笑う。さも愉快げに。

 最後の千の手が霧散する。白蔡パイツァイの錘に打たれて。


 膝を突く。いまだこれという傷もない、破浪ポーランが。

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