第83話:憎き声
「後ろ!」
叫ぶだけの自分が歯痒い。けれども動けぬ
「なんだいこりゃあ!」
振り返った
あわや夫妻の残像を切り裂くように、白い影が数十も飛ぶ。指、橈骨、腓骨などなど、色も形も人間の骨格と見紛う。
「むぅ……」
だが、突き立つ。
鉄でも銅でもなく、布きれだったか。そう思うほどたやすく、広い背が白木の枯れ林の様相を作した。
一瞬、慎重に歩む
巨漢の膝が地面に着いた。
「きいぃっ!」
引き千切れた悲鳴で
息子に手を伸ばすのは
「くっ、
人形の本体越しに眺め、
助力を頼んでも、結果として一対一。これではまた血みどろになってしまう。先刻、彼を見つけた時の感情が心臓を握り潰そうとした。
「お父様、申しわけありません」
だが棺桶の中へしかと目を落とし、許しを乞うた。強い光を宿す眼が、ぎろと睨む。
それだけで、声はない。
ならば遠慮するなということだ。勝手に解釈し、背負い袋から
門の向きを人形に。両手を合わせ、自身の内の神通力を高める。
屍鬼には違いないのだ。何人を喰い、いかほどの怨憎を織り重ねたか。それはきっと
ゆえに、安らかに眠ってもらおうなどと驕った気持ちは捨てた。
(でも
「腕でも脚でも吹き飛ばすわ。これは火砲よ」
小さく、はっきりと言った。誰に聞かせるためでもなく、己の弱気に向け。
「うあぁっ!」
いつにない雄叫びが
青白い姿の母は、息子と抱擁が望みか。そう思わす動きで、距離が詰められた。
武器の扱いは素人の
しかし人形の左腕が、肘の先で切り離された。
落ちた腕を蹴り、彼は右腕を狙う。と、また。あっけなく肩口から腕が飛んだ。
最初に人形を見た時の、目にも止まらぬような素早さがない。右腕を踏みつける間に、左腕が元の位置へ戻りはするが。
(頭がないから?)
違うとすれば、そこだろう。それからも
ただし人形が怯むこともない。何度、どこを切り離しても復元する。
「どうすれば終わる?」
相対する
問うたところで、誰が答えられるはずもない。彼自身、答えがあると期待してもいまい。
しかし、答えはあった。
「返せ!」
ひたすらに喚くような、悲鳴のような声。それは男と女と、多くの声が束ねて聞こえた。
「返せ、私の子を!」
硬い天井と壁に跳ね、どこから聞こえるか分からない。
「憎い」
一転、低まった声。老若男女、大勢が揃えた唸りの所在に目を向ける。
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い」
「私の子——!」
一拍、繰り返した声が止まる。が、すぐに絶叫が戻り、荷束の暴れようも激しさを増す。
背負う
「
金属鎧を貫くものが、彼の背で自由となってはどうなるか。脳裏に浮かびかけた未来を振り払い、高めた神通力を解放する。
白く眩い光が砲弾と化し、強力な縄を引き千切った。
無論、束ねられた人形の欠片も粉々となる。白い靄のごとく
「
「いいの。でも、良くなかったかも」
どれほどの力を抑えようとしていたか、
それを見ると、決断は正しかったように思う。直ちに集まっていく靄を目の当たりにすると、すぐに思い直したけれど。
「頭が」
「仕方ないよ」
粉砕した欠片が頭骨となり、他に欠けたあちこちを埋めるのに、まばたきの三度ほどしかかからなかった。
青白く痩けた顔に、蒼く光る双眸。干し魚のごとく、あるいは焼け爛れたように硬く乾いた皮膚。
骨格の標本かという姿から、人形もどきの風体が戻る。
「冥土へ」
最初に聞いた人形の声がした。大勢で紡いだものでない。
なぜか。意味は。と考える間はなく、絶望的な現実が目に映る。
広間の壁沿い、千の手が並ぶ。四方の全てにだ。
「見るな!」
即座の忠告。しかしどこを向いても、居ない方向がなかった。
流れに揺れる川藻に似て、数えきれぬ腕がなびく。こっちへ来い、と数えきれぬ手招きが見えた。
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