第83話:憎き声

「後ろ!」


 叫ぶだけの自分が歯痒い。けれども動けぬ偉浪ウェイランを放ってもおけない。棺桶の縁に爪痕が付く。


「なんだいこりゃあ!」


 振り返った烏鴉ウヤが横飛びに逃れ、黒蔡ヘイツァイも倣う。

 あわや夫妻の残像を切り裂くように、白い影が数十も飛ぶ。指、橈骨、腓骨などなど、色も形も人間の骨格と見紛う。


 白蔡パイツァイは振り向かない。

 春海チュンハイの声にも両親の動きにも気づかなかった、のではなかろう。きっと背面も金属の板に守られ、刺すだの切るだのは通用しないという判断だ。


「むぅ……」


 だが、突き立つ。

 鉄でも銅でもなく、布きれだったか。そう思うほどたやすく、広い背が白木の枯れ林の様相を作した。


 一瞬、慎重に歩む白蔡パイツァイの足が止まる。震え、よそから糸で引かれたかにぎこちなく、一歩。また一歩。

 巨漢の膝が地面に着いた。


「きいぃっ!」


 引き千切れた悲鳴で烏鴉ウヤは走った。いまだ宙へ在る、人形の欠片たちに向かって。

 息子に手を伸ばすのは黒蔡ヘイツァイ。駆けつつ、大癒ダァユを用いるための祈りを口にした。


「くっ、白蔡パイツァイ。悪い」


 人形の本体越しに眺め、破浪ポーランも大きく声を発した。負う荷束はそのまま、手斧を抜いて構える。


 助力を頼んでも、結果として一対一。これではまた血みどろになってしまう。先刻、彼を見つけた時の感情が心臓を握り潰そうとした。


「お父様、申しわけありません」


 偉浪ウェイランを守るに徹する。そのためには余計な手出しをすまいと決めていた。

 だが棺桶の中へしかと目を落とし、許しを乞うた。強い光を宿す眼が、ぎろと睨む。


 それだけで、声はない。

 ならば遠慮するなということだ。勝手に解釈し、背負い袋から天界の門シャンタンを取り出す。


 門の向きを人形に。両手を合わせ、自身の内の神通力を高める。

 屍鬼には違いないのだ。何人を喰い、いかほどの怨憎を織り重ねたか。それはきっと春海チュンハイごときに、諭せるような代物でない。


 ゆえに、安らかに眠ってもらおうなどと驕った気持ちは捨てた。

(でも破浪ポーランを傷つけるなら、それだけはさせない)


「腕でも脚でも吹き飛ばすわ。これは火砲よ」


 小さく、はっきりと言った。誰に聞かせるためでもなく、己の弱気に向け。


「うあぁっ!」


 いつにない雄叫びが破浪ポーランから。大きく両腕を広げた人形に斧を振る。

 青白い姿の母は、息子と抱擁が望みか。そう思わす動きで、距離が詰められた。


 武器の扱いは素人の春海チュンハイにも、まずは牽制の大振りと破浪ポーランの斧を見た。

 しかし人形の左腕が、肘の先で切り離された。


 落ちた腕を蹴り、彼は右腕を狙う。と、また。あっけなく肩口から腕が飛んだ。

 最初に人形を見た時の、目にも止まらぬような素早さがない。右腕を踏みつける間に、左腕が元の位置へ戻りはするが。


(頭がないから?)

 違うとすれば、そこだろう。それからも破浪ポーランが傷つけられることはなかった。

 ただし人形が怯むこともない。何度、どこを切り離しても復元する。


「どうすれば終わる?」


 相対する破浪ポーランが、誰にともなく呟いた。

 問うたところで、誰が答えられるはずもない。彼自身、答えがあると期待してもいまい。

 しかし、答えはあった。


「返せ!」


 ひたすらに喚くような、悲鳴のような声。それは男と女と、多くの声が束ねて聞こえた。


「返せ、私の子を!」


 硬い天井と壁に跳ね、どこから聞こえるか分からない。


「憎い」


 一転、低まった声。老若男女、大勢が揃えた唸りの所在に目を向ける。


「憎い憎い憎い憎い憎い憎い」


 破浪ポーランの背。荷束の中。きつく縛った縄が、荷の内側から揺れていた。


「私の子——!」


 一拍、繰り返した声が止まる。が、すぐに絶叫が戻り、荷束の暴れようも激しさを増す。

 背負う破浪ポーランが、たたらを踏むほどだ。もはや縄が外れるのも時間の問題でしかなかった。


鉄槌ジィジュウ!」


 金属鎧を貫くものが、彼の背で自由となってはどうなるか。脳裏に浮かびかけた未来を振り払い、高めた神通力を解放する。

 白く眩い光が砲弾と化し、強力な縄を引き千切った。


 無論、束ねられた人形の欠片も粉々となる。白い靄のごとく破浪ポーランの周囲へ漂い、彼は咄嗟に口を押さえて飛び出た。


春海チュンハイ、助かった」

「いいの。でも、良くなかったかも」


 どれほどの力を抑えようとしていたか、破浪ポーランの息が乱れた。

 それを見ると、決断は正しかったように思う。直ちに集まっていく靄を目の当たりにすると、すぐに思い直したけれど。


「頭が」

「仕方ないよ」


 粉砕した欠片が頭骨となり、他に欠けたあちこちを埋めるのに、まばたきの三度ほどしかかからなかった。


 青白く痩けた顔に、蒼く光る双眸。干し魚のごとく、あるいは焼け爛れたように硬く乾いた皮膚。

 骨格の標本かという姿から、人形もどきの風体が戻る。 


「冥土へ」


 最初に聞いた人形の声がした。大勢で紡いだものでない。

 なぜか。意味は。と考える間はなく、絶望的な現実が目に映る。

 広間の壁沿い、千の手が並ぶ。四方の全てにだ。


「見るな!」


 即座の忠告。しかしどこを向いても、居ない方向がなかった。

 流れに揺れる川藻に似て、数えきれぬ腕がなびく。こっちへ来い、と数えきれぬ手招きが見えた。

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