第82話:迷いと攻防

 それでも一瞬、避けようとはしたのだろう。いずれかへ勢いのついた烏鴉ウヤの身体が、もんどりを打って倒れた。


「こいつ!」


 素早く。白蔡パイツァイの平手が蝿叩きに、人形の指を打った。

 宙へ浮き、ひとりでに動く指も堪らず、地面へ叩きつけられる。


 二、三度も跳ね、しかしすぐさま飛んだ。次に指が狙うのは、金属鎧に包まれた二本の巨木。

 白蔡パイツァイも察した様子で、わざと右足を前に出した。空を駆く軌跡を読み、寸前で左右を入れ替える。回転の勢いまま、今度は蹴り飛ばそうというらしい。


 けれども人形の指は、その上を行った。読み合いについてでなく、現実の通りみちがだ。

 回し蹴りの上をやり過ごし、白蔡パイツァイの背へ回り込む。


「ちょろちょろするな!」


 文句を言われて、従うはずもない。ぐるり、からかうように巨体の周囲を二度巡る。

 じっくりと見定めた白蔡パイツァイは、自身も回転しつつ手を繰り出した。


 と。背中の側で、がしゃがしゃと賑やかしい。負っていた荷束が崩れ、人形の部品が撒き散らされる。

 何を思ったか白蔡パイツァイは、「くそっ」と手近な一つに手を伸ばす。細く長いその部品を掲げ、己の膝に振り下ろした。


 乾いた音が小さく、あっさりと折れる。どうだとばかり、白蔡パイツァイは手に残った部分を落とし、踏み躙った。

 砂を噛むのが、耳に心地いいとは言えない。しかし人形の一つの部品は、たしかに失われた。


大癒ダァユ


 僧にしか用い得ぬ術の名が、耳に届いた。さっと見れば、丸まって倒れた烏鴉ウヤ黒蔡ヘイツァイが寄り添う。

 彼の男の手に祝符はなく、だがたしかに神通力の発された光が残った。


 まだまだ春海チュンハイには達し得ない、高僧の域にあるらしい。

 それどころでないという事実を忘れ、唖然とした。ほんの僅かな間だ。

 だのに目ざとく、黒蔡ヘイツァイの怒声が飛ぶ。


「お嬢ちゃん、ぼうっとしてるんじゃあないよ!」


 同時に何か投げつけられ、顔の直前で受け止めた。球状に丸めた布の塊に、嫌な予感がする。


「これ、祝符。畏れ多いことを」


 非難しようにも夫婦は既に立ち上がり、息子の援護へ走っていた。

 しかも解毒や大癒の祝符ばかりがそこにあり、文句を言う筋合いさえないようだ。


破浪ポーラン、気をつけて!」


 代わりに、慎重に回り込む美丈夫へ祝符を示す。

 彼は目線をくれて頷いた。直ちに散らばった人形へ戻っていったけれど。


 それでいい。

 もちろん怪我のないのがいい。だが傷ついた時は、すぐに治す。そう願って言ったのだ。


「おい破浪ポーラン、いつまでも負ってんじゃないよ!」


 黒蔡ヘイツァイの喝が破浪ポーランにも飛んだ。

 人形の危うさを知り、背負ってなどいられぬと判断したのだろう。既に当人の荷束も投げ捨てられ、夫婦で踏みつけて回る。


「父ちゃん、こいつらきりがないよ」


 白蔡パイツァイも錘を抜き、最初の指も含めて幾つもの部品を粉砕していた。

 けれども人形は、人間と同等以上の関節を持ち、それぞれがてんでに動けるようだ。


 一つずつならまだしも、複数が別の宙へ浮かぶ。どうやら元の姿へ戻ろうとして、黒蔡ヘイツァイ一家は文字通り、阻止に走り回った。


破浪ポーラン!」


 いい加減にしろと、黒蔡ヘイツァイの怒号。

 あの男からすれば、そうもなろう。破浪ポーランは荷束を下ろすことなく、繋がっていく人形に手を出すでもない。


「……ああ」


 いや、そのつもりはあるに違いない。手近な部品に手を伸ばしかけ、逃げられるだけで。

 いつもの彼の機敏さなら、容易に捉えられるはずではあるけれど。


(だって、お母様だもの)

 とは推測だが、間違いあるまい。父母を愛する白蔡パイツァイも、立場が替われば同じだろう。


「ちぃ、もうどうしようもないねえ」

「いっそ纏まってくれたほうが、読みいいんじゃないかい?」


 離れたあちこちで、腕、脚、胸がおよその形を成した。足らぬ部分が黒蔡ヘイツァイ一家の戦果だ。


 しかし胸を中心に集まる部品が、行きがけの駄賃とばかり皮膚を切り裂く。もはや黒蔡ヘイツァイ小癒シャオユを用いるのに手一杯となった。


 さらには機能し始めた腕が踊り、脚も舞う。

 羽虫のごとしの部品単体と、一個の魔物に相当する腕と脚。烏鴉ウヤの言うように、別個にしておくのはむしろ悪手なのかもしれない。


 黒蔡ヘイツァイの判断は早く、妻と息子へ「手出しは最小限だよ」と、身を守るよう告げた。

 すると早速、別々だった脚と胴が繋がり、腕も定位置へ収まる。残るは頭と、あちこち欠けた小さな部分のみ。


破浪ポーラン——!」


 不足がどこにあるかと言えば、美丈夫の背に纏めてだ。

 もう諦めて捨ててしまえ。残酷な決断をそのままは言えなかったが、春海チュンハイが名を叫んだのはそういう意図だった。


 彼も理解している。結んだ縄に手をかけ、あとは打ち捨てるだけという格好で腕が固まっていた。

 もう人形と呼ぶのに抵抗ない姿まで戻った青白い身体が、破浪ポーランを追い始めた。


 その後ろを黒蔡ヘイツァイ一家が追い、一斉に攻める機会を窺う。

 ただ、さらに後ろを取る存在があった。粉々に砕かれたはずの部品が元の形を戻し、宙へ浮く。

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