第80話:思いのほか

 総勢六人と一頭にかかれば、大蜥蜴はあっという間もなく消えた。臭みのある臓物もフォウが片づけた。

 肉を食う前に、と差し出された生き血を飲んだ。喉を潤し、気つけにも腹の足しにもなる万能の食事と破浪ポーランは言う。


 肉を食ううち、身体がぽっぽと熱くなった。うらはらと言うべきか、辺りが急に冷え込んだように思う。

 空腹が過ぎれば、当たり前の感覚も失うと聞いたことがある。雪でも降りそうな風に、これがそうかと身を縮ませた。


 暖かそうな毛玉が、破浪ポーランに背を押しつけて寝そべる。大蜥蜴の頭骨をしゃぶりながら、楽しそうに。


「助かった。また礼はするから、今日は帰ってくれるか」


 妬ましく眺めていると、不意に破浪ポーランは言った。赤い耳の後ろを掻き毟りながら。

 けれどもフォウは、小さく唸り声を詰まらせる。そんなことを言われても、と困って見えた。


「どうした?」

破浪ポーラン、無理を言ってはかわいそうよ」

「無理って。俺は――」


 今度は破浪ポーランが声を詰め、「あ」と。少し前まで黒蔡ヘイツァイ夫妻が開こうとしていた、帰り道の方向を見つめて。


「抜けてるわね」


 何度も言われた悪口を返す。いい機会と考えた、そう指摘されれば否定できない。

 意地悪く、噴き出して笑って見せもした。


「まったくだよ」

「その子。フォウにも手伝ってもらうつもりと思っていたわ」


 笑っている段でないのはもちろん。彼が釣られて笑うとも考えていない。

 頭を掻く破浪ポーランの手が、またフォウの首すじを撫でる。そういう動作さえ、どうも重苦しいのが気になった。


「私なんかより、よほど役に立てそう」

「そんなことは。いや、強いけどね」


 春海チュンハイが祝符もなしに術を用いるより、フォウが体当たりでもするほうが手っ取り早い。


「探索者なんて酔狂はいいとして、春海チュンハイフォウに手伝わせるのはどうかと思うんだよ」


 彼の目は赤犬に向けられたまま。どうして今さらそんなことを、と不安に思う。


「——私は、あなたのお手伝いをするつもりはないわ。使命を携えた者として、自分自身の尻拭いよ」


 こう言えば、彼の重荷が減るだろうか。咄嗟の思いつきにしては、意味ありげなことを言えた。

 また少しの間、破浪ポーランフォウを撫でる。


(いいな)

 と思ったのが何に対してか。春海チュンハイ自身、気づいていない。


「……うん、助かるよ」


 この男でも、弱気になることはあるらしい。静かな声の最後、やっと視線が交差した。

(うん、助けたいわ)


 考えた言葉は呑み込み、腰を上げた。赤犬と抱き合う格好の腕を探し、強く引いて立ち上がらせた。

 フォウも伸びをして、軽やかに立つ。と思うと、長い舌が春海チュンハイの頬を舐めた。


「きゃっ」


 驚く声に、フォウも目を丸くした。

 すると破浪ポーランの笑声が「ははっ」と小さく聞こえる。


「仲良くしようってさ」

「う、うん。ごめんね、突然で驚いてしまったわ」


 ここぞと赤毛に抱きつき、「ありがとう」と。同時に、春海チュンハイの重みでは微動だにせぬ強靭な体躯を頼もしく思った。


 それからすぐ、再び十三階層へと下りる。今度は偉浪ウェイランも、黒蔡ヘイツァイ一家もだ。

 声をかけても返事をしない金魚ジンユに悪態を吐いたが、彼女が先頭を進むのには異論がなかった。


「居る」


 二番手を行く破浪ポーランが、声を潜める。

 既に真正面で、こちらから見える以上はあちらも気づいているはず。それでも。


 およそ三十歩四方の部屋まで、あっけなく辿り着いた。金魚ジンユの道案内あってこそではあるが。

 大蜥蜴を食っていた時、どんな相手かを黒蔡ヘイツァイ一家に話していて良かった。

 道中では、時間が足らなかった。


「たしかに人間みたいな、人形みたいな奴だねえ」

「でも動かないじゃないか」


 一見には徒手空拳と見える夫妻が、部屋へ踏み入った。しかし言う通り、青白い女の人形は動かない。

 やって来た通路以外に出口のない、真四角の部屋。およそ中央の地面にくずおれる格好で。


「千の手は居ないみたいだけど——」


 目に見える壁は当てにならない。これも伝えていたが、春海チュンハイでさえ壁沿いに回り込むことに幾ばくかの安心感を覚える。


 棺桶を牽く破浪ポーランは左回り。黒蔡ヘイツァイ一家は白蔡パイツァイを前にして右回り。

 不可能だろうが、捕獲することを試みたい。破浪ポーランの願いに従い、各々が進む。


「行くよ!」


 甲高い烏鴉ウヤの合図で、金属鎧の白蔡パイツァイが飛び出す。武器は握らず、人形の攻め手を引き受けることが役目だ。


 半歩遅れ、破浪ポーランが背中側へ。やはり斧でなく綱を握り、縛り上げるために。


 難なく、二人ともが間合いへ入った。

 二歩を遅らせて飛び込んだ黒蔡ヘイツァイが鎖を打ち、並ぶ烏鴉ウヤの笞も飛ぶ。


 鎖が胴を、笞が腕を拘束した。強く引き寄せた拍子に、人形の全身が浮き上がる。

 本当にただの人形のごとく、がしゃがしゃとやかましい音を立てるだけで。


「何とも手応えのないことだねえ」


 嘲って言いながらも、さすが。烏鴉ウヤは笞を引く手を緩めなかった。

 動かぬままの人形を、破浪ポーランは厳重に縛る。腕と足を繋ぎ、首と腰を結び、普通の人間はもはや身動き叶わない。


「ええと、父さん?」


 あまりの肩透かしに戸惑いながら、破浪ポーランは父を呼ぶ。棺桶を守る役目の春海チュンハイは、彼の代わりに人形を睨みつけた。

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