第69話:託された選択
天上の三神。
そう、たしかに聞いた。
もう一つ。迷宮から屍を運び出すのが困る、とも。つまり破浪だけの問題でなく、必ずしも彼を死なす必要はないのだ。
(父上が嘘を……!)
聞き違いであってほしかった。しかし
「お教えを、賜れますでしょうか」
「何なりと」
茶飲み話のごとく気安い
今にも叫び、自身を八つ裂きにしてやりたい。そういう思いを堪えて。
「では
尊敬する父が嘘を言ったこと。騙されたのが、自分であること。
ただ、ぐわんと響く耳鳴りに負けていられなかった。己より先に考えねばならぬことがある。
最大に迷惑を被ったのは、他ならぬ
「いや、またそれは別」
横殴りの衝撃が、先と反対から。拳を振るったのは
予定では
「別、と仰いますと」
「運び出すたび、屍の徳を幾らか引き受けておる。数が数だけに、今さら持ち逃げされては困る」
「それは——自然に死ぬるまで待っていただくわけには」
「いかんな。時が過ぎれば徳も目減りする」
(どうしてそんなことに)
脈動する地面へ両手を突いた。でなければ突っ伏すところだった。
どうにか、あの無表情を救う術はないものか。考えても余地のないことを悟るばかりで、ますます頭が下がる。
「どうか、お教えいただけませんか。
自然、ひれ伏す格好となっていた。何やらついでに願ったようで、
けれども他にどうすれば良いか、
「死なすなと言うなら、それでも構わん」
「それは」
あっさりと覆った。
顔を上げかけ、すぐに伏せる。瞬間に見た
機嫌を損ね、皮肉を言っている。とも見えなかった。わけが分からず、次の言葉が出ない。
「我はどちらでも良いと言っている。しかしあの男を生かせば、じきに人間が滅びる。それでも良いのならと忠告をせねばならん」
「それは。それは私の父の偽りでは!」
たまらず二、三歩分もにじり寄った。
「お前の父が、我の言葉を曲げたのは一つ。天上や冥土に近い者ほど、災いを受ける順番も近い。それを伏せただけよ」
「では最初に、皇帝陛下や僧から」
「いかにも」
震えが止まらない。どころか、より酷くなっていく。
なぜ
いや、待て。彼が死なねば人間の全てに災いが起こるとは、それこそ神が直々に手を加えることになる。
(まさか
畏れ多い。が、他に辻褄の合う答えが見つからない。だがこんなことを口にして良いはずもなく、口を開くのさえままならない。
「ああ、きっとお前は思い違いをしている。あの男を死なせねば罰を与える、とは言っておらん。あの男の抱える徳の扱いによって、天上と冥土の均衡が崩れるのだ」
それは上下に挟まれた人界に甚大な被害をもたらし、いずれ滅亡にも及ぶ。「細かな順番までは神にも分からんが」などと、僅かながら
「ではもう、避けようがないではないですか。それなのになぜ、どちらでも良いなどと」
ゆえに、だろう。悲しさに類する感情が起きてこない。代わりに、のぼせたような気怠さが膨れ上がる。
「我らは人間を見守っている。しかし是が非でも繁栄させてやろうと、そういうことではない。手助けはするが、無理なものは無理だ。人間が滅びれば、また新たな何かを
「汲み水が腐れば庭に撒き、泉で汲み直せば良い。と?」
「いかにも」
疑う余地も理由もなく、もはや他に問うことも思いつかない。
ふらふらと立ったのは、無意識だった。「どこへ行く?」と問われ、初めて気づく。
「えっ、いえ……」
問われたのが、何をするでなくて良かった。そうであれば、滅びの時まで何も思いつかなかったに違いない。
しかしこれから行きたい場所であれば、一つだけが思い浮かぶ。すぐさま、はっきりと。
「いや分かった。行くがいい、止める理由もない。お前をここに呼んだのは、頼みを聞いた礼を言いたかっただけだ」
「それは勿体のうございます」
胡座のまま、
ともかく最拝礼で答えた
果てのない漆黒の天も、岩の碗も。
「受け入れるも足掻くも、好きにするがいい」
夢や幻でない証拠に、最後の言葉もまたはっきりと聞こえた。
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