余聞
第66話:少年の邂逅
町へ入るなり、落ち着く先も決めず、まず向かったのが迷宮の入り口だった。
あとはあちこち擦り切れた着物というくらいが、傍目に見える持ち物の全て。
「旦那、あたしは随分と田舎者でございましてね。幾つかお尋ねしたいんでございますが」
訝しく「何だ」と。長机へ肘を突く護兵に、
「迷宮の奥底へ行けば、近衛にお取り立ていただけるとか。いえ結構な昔のお触れだそうで、取り消しになっておれば申しわけない。田舎者でして」
珍しい質問でもないのだろう。どこかにある解答例でも読むように、護兵は平たい口調で答えた。
「そうではない。悪しきもの巣食うこの迷宮は、なぜここに生まれたか明らかでない。その真実を持ち帰った者に近衛の待遇を与えると、皇帝陛下の名入りで約束されている」
「それはそれは、ありがたいことで。であれば、今ひとつ。迷宮へ入るには条件などありましょうや? たとえばそう、幼い子でも良いかなどと」
「——人相書きでも回っていれば別だが。その他に条件は設けていない。十歳で一端の子も居るくらいだ」
怪我や命の保障も自分持ちと付け加え、護兵は睨みつけた。人相書きと口にする時が特に。
「母ちゃん。十歳って、オレと同じか?」
「あら
「見えすいたことを。こんなでかい十歳が居てたまるか」
加えて鍛え上げられた腕に、何をせずとも血管が浮き出る。隆々とした筋肉は、繊維の一本ずつまでも数えられそうだ。
「いえ旦那、本当に十一なんでございます」
「嘘を吐くな。お前たち、どこから来た」
実際に住んでいたのは、町の近くにある洞窟だ。
「調べればすぐに分かる。悪党なら、今晩にでも逃げ出すことだ」
「いや旦那、勘弁してください。あたしら、そんなんじゃないんで」
一家それぞれの名も問われ、護兵はすっかり決めつけているようだった。「参ったねえ」と顔を見合わす両親を見下ろし、
「何だ? オレの父ちゃんと母ちゃんに文句があるのか」
机の天板が真っ二つに折れる。身を預けていた護兵は、そのまま前へひっくり返った。
「あ、ああっ。護兵の旦那、大丈夫ですかい」
「申しわけないねえ。うちの子、力の加減をまだ知らないんだよ。何せ十一の子供なもんでね」
急いた声、無駄に腕をばたつかせ、
二人して、汚れもしなかった護兵の身体から土埃を落とす。もちろんそれくらいで、赤く憤った顔色は治せない。
「よく見れば幼い顔つきしてるじゃないか」
と、護兵の座っていた後ろから声が飛んだ。天幕で影を作った中に、休憩中の護兵たちだ。
新参が居なくなれば自分たちも困るのだから、そう決めつけていじめるな。と窘められ、若い護兵は最後に舌打ちで黙った。
その夜。
洞窟育ちがゆえ、子供同士の遊びを知らなかった。
身体を鍛え、巨大な猪を捕まえた時、母の喜んでくれたのが嬉しかった。弓や罠などは理解できなかったので、拾った石と己の身一つで。
父も母も強い自分が好きらしい。そう知ってから、筋肉を盛り上げるのが何よりの愉しみとなった。
「あれ、どこか行くのか」
「ああ
地面に足を着けぬよう、上下すること百回を超えていた。
宿の出入り口から近くはあるが、わざわざになる位置だ。夫妻は、我が子に内緒で出かけることをしなかった。
「もし遅くなっても、心配しないで先にお眠りね。ちょっと、
浮いたままの我が子に手を伸ばし、
痩けた頬が表情をきつく見せがちだが、
「分かった。オレが寝床を守っとく」
「ありがとうよ。あんたが居てくれりゃ、何があっても安心だ。きっと今日が最後だからね」
寂しくはある。だが両親が夜に出かけるのは、いつものことだ。朝遅く、
迷宮へ入れば戦う相手が居て、身体を鍛えられる。その上に両親と離れることがないとは、いいことづくめだ。
翌朝。初めて泊まる宿という施設の、狭いが囲われていて落ち着ける部屋の中。
目覚めるといつも通りに両親の姿があった。街で福饅頭という物を買ってもらい、一度で食いきれない幸せも知った。
迷宮の入り口で、護兵の机に近づくなと言われたり。昨日の護兵が居なくなったと聞いたり。そんなことは、どうでも良かった。
◆◇◆
人の探し方など知らず。唯一知っていた
「
「ああ、ちょうどそこに居るじゃないか」
そんな問い方で五日目に出会えたのは、運が良いほうだろう。頼んだ福饅頭をしっかりと受け取り、指さされた少年を追う。
「ふう、ふう。おい待て」
人ごみをするすると抜けていく少年に、着いていくだけで息が切れた。
商店の並ぶ通りからはずれ、やっとのことで肩をつかんだ。
「誰だあんた」
「
「ええ?」
「戦えって——」
「お前、料理できるのか」
「え、料理? まあ煮たり焼いたりするだけなら」
「そうか、凄いな。でもオレのほうが強いぞ」
難しいことは言っていないはず。と信じる
こいつ、オレより頭が悪いぞ。
火を熾すのも禁止された
「ああ
見た目に体格を比べても、勝敗は歴然だ。
唯一。斑に黒い着物が似合っていて格好良く、少し悔しいと思った。
「十一だ。オレと戦え」
「何でだよ。というか、そんなことしたら捕まるだろ」
「捕まる? 何でだ」
悪いこと。が具体的にどういうものか、街中で人を殺してはいけないとしか教わっていなかったが。
「うーん……」
「どうした。武器がないのか? 持ってくるなら待ってもいいぞ」
殺しはしない。この少年の実力次第だが、傷つけたいわけでもなかった。
自分より先に迷宮へ入り、「なかなかやるらしい」と噂の同世代を知っておきたかった。
「分かった。迷宮の入り口に行こう」
「何でだ?」
「行かないなら勝負もしない」
「分かった、いいぞ」
従ってくれるなら、
「お前こそ武器がないけど、いいのか?」
腰から手斧を取り、
広い範囲が酒樽で囲われ、端に木製の人形が据えてあった。おそらく訓練場所だろう。
「あるぞ。お前と同じだ」
目に見えるところへ武器を提げるとは、こいつも大したことがない。
そう思い、見くびった気持ちはあったろう。父も母も「簡単に手の内を見せるんじゃない」と常々言っていたから。
下に隠していたのは袖のない、網目状の着物。魚捕りにも使えるほど丈夫な物で、背に斧を吊り下げても問題なかった。
「でかい斧だ」
「そうだ。お前の小さい斧なんて壊れるぞ」
渾身の力を籠め、叩きつけて、今までに壊せなかった物はない。
「さあ来い」
「ちょっと待て。何で戦うのか、まだ理由を聞いてない」
「理由? そんなの、オレが戦いたいからだ。お前がオレより弱かったらいい。強かったら、オレが勝つまでやる」
うへえ、とため息があった。
気が済んだならすぐにでも刃を交わしたいのに、少年はまた「うぅん」と悩む。
「何だ、早くしろ。こっちから行くぞ」
「待てって。お前はやりたいようにやって満足だろうけど、俺には得がないじゃないか」
今度は
「分からないか。お前は俺と戦いたい。俺は戦いたくない」
「逃げるのか」
「逃げられたくなかったら、俺にも戦う理由を寄越せ」
腹が立ってきた。わけの分からないことを言って、逃げるつもりらしい。
ならば構うものか。雄叫びを上げ、突進する。
「勝手な奴だ!」
ぶつぶつ言っている間に、少年の頭を割った。はずだが、手応えがない。
振り下ろした斧を半回転させ、元通りに両手で構え直す。
「へえ、地面を割ると思ったのに」
「すばしっこい奴も、たくさん殺したからな」
なぜか、あの優しい両親を殺そうとする、わけの分からない人間と多く出遭った。
洞窟暮らしでは、自分で獣を狩るのも当たり前だった。
命を刈るのは、自分と両親の命を守るため。抵抗はない。
そんな経験を以てして、黒い着物の裾も追えなかった。どこかと探せば、すぐ背中で声がした。
振り向きざま、斜めに斧を振る。その場に居れば肩を、躱せば足を傷つけられる軌跡で。
だが、思った通りにならなかった。傷を負わせられなかっただけならば、まだいい。なぜか大斧が、思ったよりずっと上を空振りした。
振り抜いてから、少年の姿を見つけた。どうやったものか、下へ潜り込んで
「それで俺の戦う理由だけど」
「じっとしてろ!」
おかしい。
脚の早い相手なら、人でも獣でも数え切れぬほど仕留めた。鼠のように、小さくて的を絞りづらい相手もだ。
この斑に黒い生き物はどうも違う。
思い直し、足を止め、じっと動きを見つめた。すると生意気に、相手も動かず無駄口を利く。
「俺の得って言ってもな。物とか銭とかは要らないし」
「かかって来い!」
「弱ったな、何かないか?」
「何か欲しいなら、勝ってから言え。何でも言うことを聞いてやる!」
こちらから突っ込んでは、相手のいいようにされるようだ。それなら待てばいい。やってくるものを見失うのは、さすがにあり得ない。
必死に考え、堪えた。両親以外を待つのは、経験に乏しかった。
「じゃあそれでいい」
しかし報われた。今度は
「でええっ!」
横薙ぎと見せかけ、持ち手を握り変えての振り下ろし。
「えっ——」
だのに、振り上げた斧を奪われた。
素早く閃いた手斧が、
彼方で重く跳ねる大斧を視界に映し、肩を極められて地面に顔を着けた。
手も足も、出なかった。
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