第63話:親と子と

「オレ……ええ……?」


 鉄鎧に身を包む巨漢の戦士は、己の頭に平手を叩きつける。鋲付きの手袋と鉄兜が、歯軋りに似た悲鳴を上げた。


「いいんだよ白蔡パイツァイ、答えなくて。こんな馬鹿な娘と、いちいち口を利いてやることはないのさ」


 右へ左へ頭を転がす息子に、烏鴉ウヤは気怠く吐息をかける。結婚した相手は黒蔡ヘイツァイでなかったのだなと錯覚しそうな甘い声。


「そうそう。お前はそれだけの身体を持って生まれただけじゃなく、あたしの言いつけ通りに鍛錬を欠かさなかった。天下一の息子だよ」


 その黒蔡ヘイツァイも我が子を褒めちぎる。


「へ、へへっ」


 にんまりと無邪気な白蔡パイツァイの笑み。父と母の賞賛が何よりと分かる。

 福饅頭をくれたのは、気紛れだったのだろう。隠れて犬や猫を可愛がるような、そんなところだ。


(あっ)

 と、息を呑んだ。

 破浪ポーラン偉浪ウェイランを目の当たりにしすぎて、どうも感覚がおかしくなっていたらしい。


 子が敬い、従う限り、親は子を守る。たとえどんな過ちをしてもだ。

 春海チュンハイもそうして育てられた。なぜ今よその家の子に、親をどう思うかなどと聞けたやら。


「私、思い違いをしていたみたい。こんなこと、あなたに問うてはいけなかったわ」


 心からの謝罪を、拝礼で示す。

 するとなぜか、白蔡パイツァイはびくっと首を動かし、枝先の蜻蛉かというほどこちらを見つめた。


破浪ポーランなんてね、お父様に逆らうのよ。きっといつもはお父様が聞き入れてくださるから、うまくいくのね」

偉浪ウェイランに?」


 いつも逆らう、ということはない。あの美丈夫も、偉浪ウェイランを大切にしている。

 どこかへ行ってしまった現状に説得力がなく、苦笑で頷くしかなかったが。


 白蔡パイツァイが、母の尻の下へ目を向けた。それから何か、察するに破浪ポーランを探すように辺りを見回す。


「まるきりの馬鹿じゃないらしいね。その賢いところでさ、どうするのかそろそろ答えてもらえないかねえ」


 烏鴉ウヤは子を大切にしても、春海チュンハイ偉浪ウェイランへの気遣いはないようだ。

 護兵にはそれなりの口を利いていたが、相手によって出したり引っ込めたりするものなど、礼でも尊でもない。


「ご親切にここまでお連れいただきましたのに、ご質問の答えを遅らせまして申しわけございません」


 拝礼のまま、黒蔡ヘイツァイに向き直った。さらに腰を直角に折り、最拝礼の姿勢を見せる。


「へえ? 殊勝なことだねえ。それはあれだね、何かとびきりのご褒美をくれるってことだね」


 伏せた目に、黒蔡ヘイツァイ夫婦の姿は映らない。しかし満足げに噴く鼻息で、およそ知れた。


「いいえ」

「何だって?」


 もう、何度も言葉を重ねるのは嫌だと思った。だからかなり意識して、はっきりと言ったつもりだ。

 烏鴉ウヤも聞こえなかったのではあるまい。低まった声に、明らかな怒気が籠もった。


「いいえ、とお断りを申しました。既に差し上げた物は、どうぞお持ちください。でもこれ以上、お世話になることはありません。お渡しできる品も、そもそもありません」

「やっぱり馬鹿だねえ。あんた、いいところの娘だろう? 親に宛てた書でもくれりゃいい話じゃないか」


 なるほど、たしかに思いつかなかったと頷く。だが、その通りにする気持ちは湧いてこない。


「それには及びません。あなた方に出会わなければ、十階層で果てていた身です。ここまで来れただけでも良しとして、駄目で元々、この先を考えようと思います」

「ふうん。自分の首を絞めようってのを、止める義理もないけどさ」


 まだまだ会話が必要かと身構えていたが、意外に烏鴉ウヤはそれで引き下がった。

 腰を上げ、「帰ろうかね」と夫を促す。

 黒蔡ヘイツァイもまた頷き、無遠慮に棺桶の蓋を蹴り開ける。


「おい偉浪ウェイラン、聞いていたろう? 約束通り、ここまで連れてやったよ。あたしの優しい烏鴉ウヤが、もっと先まで着いていこうかって言ったのに、恩知らずにも断られたけどね」


 まあそれはなかったことにしてやるさ。などと恩着せがましく、黒蔡ヘイツァイはしゃがみこむ。


「で、お前さんの約束も果たしてもらおうか? 迷宮の生まれた理由と、千の手の倒し方だ」


(なんて——)

 胸に浮かべかけた思いを、慌てて打ち消す。きっと図々しいとか、そういう類の言葉だった。


 冷静に考えれば、年長者同士の交渉に口出しはできない。偉浪ウェイランの顔を見れば、それも我慢できなくなりそうで、覗くには遠いこの位置から動かなかった。


「ふざけんじゃねェ、二枚目の扉の先なんだろうよ」

「はあ? お前さんが一番知ってることだ、間違いなくすぐ先だよ。役目が案内なら、十分な仕事さ」


 一本道というのが本当なら、案内は不要だ。ものは言いよう、というやり口なのは否めないけれども。


「ハッ。どう言いわけしたって割引き仕事に違いねェ。なら俺も割引かせてもらうまでだ」

「何だいお前。天下の偉浪ウェイランともあろうものが、払いを渋ろうってのかい」


 実力者を立てるような言動が、これまであったか。考えるのはやめておいた。

 もう少し続きそうな交渉を耳に入れるのも苦痛で、先のことを考えようと思った。


 待っていれば小龍シャオロンが戻ってくるかもしれない。あるいは破浪ポーランと再会できるかも。

 光明があるとすれば、その二つの可能性だ。階段と奥へ続く扉とを、交互に見比べる。


(あれ?)

 見間違い。若しくは思い違い。はたまた記憶違いを疑って、目をこする。

 遠くに見える扉が透けて見えた。

 そこに、求める姿も。


破浪ポーラン!」


 魔物は見えない。扉の向こうへ居たとしても、彼を呼ぶくらいはしなければ。

 全力で春海チュンハイは走る。

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