第62話:最深層
おそらく
そう感じられてなおさら、何も言えなかった。話すどころか呼吸の仕方さえ忘れた思いで、しばらくの息苦しさを味わった。
やがて
数多の探索者たちには到達さえ叶わぬ最深層。そこへ自分が行って大丈夫かと案じる気持ちも、それどころでないと思えてしまう。
(
世にそういう例は珍しくない。皇都で親しくする親子でも、あの家とこの家と、と指折り数えられる。
ただこの屍運びの父子ほど、互いに命を預け合うような親子を知らない。
しかも
「小娘、何してんだい!」
小窓を閉じた棺桶を透かして見る神通力は持ち合わせない。声を発さずに他人と話すのもだ。
(どうして私に教えてくださったのですか)
聞いてすぐ、問わねばならなかった。しかし疑問に感じたのは、ようやく今。
とは言え、その時に思いついていても、やはり問えなかったろう。
「すみません」
ため息を深呼吸に装い、
一段ずつ、慎重に。でなければ動揺に震える膝を御しきれない。
六段目を踏むと、十二階層の景色が視界に入った。途端、鼻を衝く臭気が襲う。
眉をひそめる、だけで済まない。僧に許された広い袖を腕に巻きつけ、鼻と口を覆った。
刺すのとも叩きつけるのとも違う痛みの、鼻腔を冒す感覚が忌まわしい。
だが落ち着いて思えば、似た臭いを知っていると気づく。度合いは桁違いだったけれども。
(これ、戦場の……)
それも夏の陽射しに腹わたを晒したまま数日も放られ、沸騰した肉の溶けかけたような。
僧院で対面した時には香が焚かれたし、表面の汚れは拭き取られていた。
しかし喉の奥へ腕を突っ込まれ、臭いの苗を植え付けられるがごとき痛烈な臭気。それが一つどこからかでなく、十二階層の全体に漂っていると見えた。
「おやおや。ぬるま湯の中じゃ、こんな臭いはしなかったかねえ? いいんだよ、逃げ帰ったって。それでも約束の物は貰うけどさ」
挑発に乗ることはない。が、片腕を封じたままでは危ない。
臭いだけでなく、十二階層は今までと違う場所ということが見た目にも分かる。
縦にも横にも三十歩ほどの広い部屋。その中央へ階段は下りた。
赤黒く、硬い壁や床は上と変わらない。階段から正面の壁に、奥へ伸びる通路があった。
その長さはまた三十歩ほどあろうか。突き当たりに、扉が見えた。
木製か金属製かまでは、遠くて分からなかった。しかしもちろん、そんなことは大した問題でない。
扉のあることそのものに、
ものさしで引いたように、直線で形作られる迷宮。木の根で吊り下げたような、宝袋。
何者かの意思を否定することは難しいが、逆にその者の存在を感じることはなかった。
(この先に居るの?)
あそこから先は誰かの部屋だ。扉とは、そういう物だろう。
誰が。あるいは何が。想像もつかないのに、なぜか確信めいて感じた。
「見ての通り、あの先が死の回廊さ。一本道だけど同じ扉が四枚あってね、四枚目の前には千の手が待ってる」
扉へ首を向けつつ、にやにやと声なく
様子はなるほど、よく分かる。けれど言い方が気に食わない。
「あの。
「二枚目の向こうだね」
短刀の鞘と福饅頭と、腹に入れていて良かった。でなければ、きっと「そうですか」などとぼんやり答えたに違いない。
「そこまで連れていっていただけるんですよね?」
「何のためにだい?」
やはり。
約束を違えようとする
「何のって、そう話したでしょう? 祝符と銭を全部あげれば、
「そうだねえ。だからあそこに見える扉の、もう一つ向こうの扉と教えてやってるじゃあないか。あたしらも万全じゃないんでね、これが限界ってとこだよ」
ただの道案内なら、それで構わない。一歩先に死の待ち受ける迷宮で、通る理屈でなかった。
「そんな」
と弱気を声にしたのも良くない。くけけと嘲笑を撒きながら、
「あんた、可愛いお嬢ちゃんが困ってるじゃあないかさ。あんまり酷いことをお言いでないよ」
笑いを堪えるふりもわざとらしく、彼女は棺桶の蓋を小突いた。
階段を下りるのにかなり揺れた、
「でもさ、万全じゃないってのも本当だよ。それを押そうってんだ、もう少しご褒美をねだってもいいんじゃないかねえ?」
もう出せる物などないのに、この夫婦は何を言っているのか。
必死に理解しようとしたが、どう受け止めて良いやら見当もつかなかった。
(父上やお父様より歳上のようなのに、そんな人が無理を言うなんて)
こんな時に従うべき道を、父から教わっていない。頼れる誰かもこの場になく、
「……ねえ。あなたはどう思うの?」
苦し紛れではあった。助けてもらおうというより、考える時間を稼ぐ意味が強かった。
母親の脇で、感情の読めぬ細い目で見下ろす
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