第61話:不調法な男
「いい女だ。引いただけで折れそうな腕をして。少しは太れと飯をやれば、先に俺が食わなきゃ自分も食わねェって言う偏屈な」
細面の美人を褒めるのかと思えば、どうも苦笑交じりに、ご愛嬌という口調だった。
「だがな、眼がいい。返り血に染まった俺を見ても——どんな時も。怖れて取り乱すってことがねェ」
(
普通の妻は家に居て、血みどろの夫を見る機会はない。宿屋などは仕事を手伝うだろうし、
しかしそれなら、気に食わぬくらいに華奢なのがおかしい。
「
元々ではないはずだ。意識があやふやなのかもしれない。
ただしどんな中身であれ、きっとこれは珍しい。
邪魔をしたくない。と思った理由の半分は、
「
殺伐とした
(それから?)
食事について言ったなら、他にもあるだろう。
棺桶の蓋にべたりと頬を乗せ、小窓の縁を指でなぞる。声のかすれた
だがそうして待っていても、次の言葉がなかなか聞こえなかった。
まだまだ疲労の回復には程遠いはず。もし眠ったのなら仕方がない。
そう思い、自身は眠らぬように顔を上げた。すると目の前を、大きな壁が塞いだ。
「ひっ」
小さく声を洩らしたが、すぐにそれは
見上げると、棒立ちの巨漢が拳を突き出す。
あまりの勢いに、殴られると思った。両手で庇ったものの、何らも意味を成すまい。
だが
「お、女。腹、減っただろ。食え」
「くれるの?」
「やる」
開いた手に、握った跡も明らかな福饅頭があった。四分の一になった切り口の一方は、丁寧に刃物で。もう一方には、はっきりと噛み跡が残る。
「お父様とお母様に叱られない?」
「お前が黙ってればいい。
「そうなの。ありがとう」
両手でそっと受け取ると、細い
くるり。それ以上には言葉を接がず、鎧姿の巨漢は元の位置へ戻っていく。見るともう、焚き火は消えて煙もなかった。
「
小窓を覗くと、不満げに目を瞑った顔が見える。
「福饅頭を貰いました。食べられますか?」
「寄越せ」
間髪入れぬ返答。しかし目は開かず、
福饅頭を二つに割り、切り口の綺麗なほうを
鞘を食ったおかげで、腹の虫は少し黙っている。隠し持っておくことを考えたが、やめておいた。
見つかって奪われれば悲しいし、
「町の人たちは、何も知らないのですね。迷宮のこと、魔物のこと、福饅頭のおいしいことも」
少なくとも双龍兄弟は恐れられこそすれ、馬鹿にされることがない。
「
差し出がましいことだ。分かっていても、問わずにおれない。
きっと彼は、父親がそうしろと言えば従う。ここで言質を取るつもりもないが、進む方向を変えられるか、可能性を知りたいと思う。
「ねェな」
上半身を棺桶に預け、眠ったふり。目を見て話せば、問い詰めてしまう。
ゆっくりと、柔らかい声を選ぶ。
「——どうしてでしょう」
「連れて帰んなきゃいけねェ奴が居る」
「
双龍兄弟とは別の依頼がある、という話ではなさそうだ。
きっと
「まさか迷宮のどこかに——」
答えはない。が、それが何よりの答えと感じた。違うのなら違うと言ったはず。
「でも。それでも
妻を、母親を、地上へ連れ戻したい気持ちは当然だ。
だがそれには危険が大きすぎる。現に生きた者と、既に亡くなった者と、どちらが大事なのか。
喉もとまで込み上げた言葉を、必死に呑み込む。
「さァな。そいつはあの馬鹿が自分で決めるこった」
「
「いや知らねェ」
(どういうこと?)
わけが分からなかった。事情を知らないのなら、決めようがない。
どうにか理解しようと、
「お前なら言えるのか」
と、低い
迷宮のどこかに母親が居る。とは、そうなった事情があるはず。
「迷宮の生まれた日だ。死んだ
高く、悲鳴を上げるところだ。まだ手にあった福饅頭を口に詰め込み、栓をした。
意味が分からない。
「まァついでだ、話してやらァ」
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