第61話:不調法な男

「いい女だ。引いただけで折れそうな腕をして。少しは太れと飯をやれば、先に俺が食わなきゃ自分も食わねェって言う偏屈な」


 細面の美人を褒めるのかと思えば、どうも苦笑交じりに、ご愛嬌という口調だった。


「だがな、眼がいい。返り血に染まった俺を見ても——どんな時も。怖れて取り乱すってことがねェ」


夫人おくさんも武器を持つ人だったの?)

 普通の妻は家に居て、血みどろの夫を見る機会はない。宿屋などは仕事を手伝うだろうし、烏鴉ウヤのような例外はあるけれども。

 しかしそれなら、気に食わぬくらいに華奢なのがおかしい。


破蕾ポーレイは海賊にとっ捕まってた。俺が助けた。弱みにつけこんでも、俺の物にしたかった。結局俺も、あの野郎と同じだ。生地商人のな」


偉浪ウェイランの語るのは、順序良く目的地へまっしぐらとはいかなかった。

 元々ではないはずだ。意識があやふやなのかもしれない。


 ただしどんな中身であれ、きっとこれは珍しい。

 邪魔をしたくない。と思った理由の半分は、春海チュンハイの余力も乏しかったからだが。


破蕾ポーレイの飯は旨い。食いたい物を、食いたい加減で作る。俺と同じだけ食えば言うことねェが、まァしょうがねェ」


 殺伐とした偉浪ウェイランにも、過去には幸福な家庭があったらしい。なくなった結果の今であれば、悲しいことだ。


(それから?)

 食事について言ったなら、他にもあるだろう。春海チュンハイのよく知る家とは父と母以外になく、僧院の外の暮らしが明確には思い浮かばなかったけれども。


 棺桶の蓋にべたりと頬を乗せ、小窓の縁を指でなぞる。声のかすれた偉浪ウェイランを、急かしはしない。

 だがそうして待っていても、次の言葉がなかなか聞こえなかった。


 まだまだ疲労の回復には程遠いはず。もし眠ったのなら仕方がない。

 そう思い、自身は眠らぬように顔を上げた。すると目の前を、大きな壁が塞いだ。


「ひっ」


 小さく声を洩らしたが、すぐにそれは白蔡パイツァイの脚と気づいた。

 見上げると、棒立ちの巨漢が拳を突き出す。


 あまりの勢いに、殴られると思った。両手で庇ったものの、何らも意味を成すまい。

 だが白蔡パイツァイに、殴るつもりはなかったようだ。鼻先で止まった拳に、何か握られている。


「お、女。腹、減っただろ。食え」

「くれるの?」

「やる」


 開いた手に、握った跡も明らかな福饅頭があった。四分の一になった切り口の一方は、丁寧に刃物で。もう一方には、はっきりと噛み跡が残る。


「お父様とお母様に叱られない?」

「お前が黙ってればいい。破浪ポーランは、お前を大事にしてた。だからオレも」

「そうなの。ありがとう」


 両手でそっと受け取ると、細い白蔡パイツァイの眼が糸のごとくに見えなくなった。頬が赤いのは焚き火のせいか。


 くるり。それ以上には言葉を接がず、鎧姿の巨漢は元の位置へ戻っていく。見るともう、焚き火は消えて煙もなかった。


黒蔡ヘイツァイをお父様なんて呼ぶんじゃねェ、口が腐る」


 白蔡パイツァイが離れ、座ると、すぐに偉浪ウェイランの声がした。

 小窓を覗くと、不満げに目を瞑った顔が見える。


「福饅頭を貰いました。食べられますか?」

「寄越せ」


 間髪入れぬ返答。しかし目は開かず、春海チュンハイは笑声に至らぬ程度、ふっと息を洩らした。

 福饅頭を二つに割り、切り口の綺麗なほうを偉浪ウェイランに渡す。


 鞘を食ったおかげで、腹の虫は少し黙っている。隠し持っておくことを考えたが、やめておいた。

 見つかって奪われれば悲しいし、白蔡パイツァイの厚意にも申しわけない。


「町の人たちは、何も知らないのですね。迷宮のこと、魔物のこと、福饅頭のおいしいことも」


 杭港ハンガンに益をもたらす迷宮と、巣食う魔物。そこに潜る破浪ポーラン偉浪ウェイランは、どうして蔑まれるのだろう。

 少なくとも双龍兄弟は恐れられこそすれ、馬鹿にされることがない。


破浪ポーランは飯屋さんをやってみたいと言ってました。そういう道は選べないのですか?」


 差し出がましいことだ。分かっていても、問わずにおれない。

 偉浪ウェイランが迷宮に潜れなければ、破浪ポーランが一人でとなる。それは悪口も危険も、彼だけが負うことにならないか。


 きっと彼は、父親がそうしろと言えば従う。ここで言質を取るつもりもないが、進む方向を変えられるか、可能性を知りたいと思う。


「ねェな」


 上半身を棺桶に預け、眠ったふり。目を見て話せば、問い詰めてしまう。

 ゆっくりと、柔らかい声を選ぶ。


「——どうしてでしょう」

「連れて帰んなきゃいけねェ奴が居る」

破浪ポーランが、その人の代わりになってしまったとしてもですか」


 双龍兄弟とは別の依頼がある、という話ではなさそうだ。

 きっと偉浪ウェイランが、ずっと迷宮へ潜り続ける理由。赤子を連れてまでだ、生半ではあるまい。


「まさか迷宮のどこかに——」


 答えはない。が、それが何よりの答えと感じた。違うのなら違うと言ったはず。


「でも。それでも破浪ポーランを失ってしまっては……」


 妻を、母親を、地上へ連れ戻したい気持ちは当然だ。

 だがそれには危険が大きすぎる。現に生きた者と、既に亡くなった者と、どちらが大事なのか。

 喉もとまで込み上げた言葉を、必死に呑み込む。


「さァな。そいつはあの馬鹿が自分で決めるこった」

破浪ポーランも知ってるんですね」

「いや知らねェ」


(どういうこと?)

 わけが分からなかった。事情を知らないのなら、決めようがない。

 どうにか理解しようと、春海チュンハイは唸る。


「お前なら言えるのか」


 と、低い偉浪ウェイランの声はまた続かない。

 迷宮のどこかに母親が居る。とは、そうなった事情があるはず。


「迷宮の生まれた日だ。死んだ破蕾ポーレイの腹から、破浪ポーランを引き摺り出した。ちょいと油断した隙に、俺の女は連れていかれた」


 高く、悲鳴を上げるところだ。まだ手にあった福饅頭を口に詰め込み、栓をした。

 意味が分からない。

 偉浪ウェイランの言った言葉は分かるが、どうしたらそんなことが起こるのか。


「まァついでだ、話してやらァ」


 杭港ハンガンに迷宮が現れ、魔物に襲われた日。ありのままを、春海チュンハイは聞いた。

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