第54話:届かぬ境地

「私は皇都の、僧正の娘です。この国に、ジンに滅びが迫っていると。嵐、蟲、疫病、天変地異。千万の人々が生き残るには、破浪ポーランの犠牲が必要と知って、やって来ました」


 無関係の者に話してはいけない、という禁を犯せばどうなるか分からなかった。

 今までの春海チュンハイなら、偉浪ウェイランに話すことを絶対にしない。


 だが今は、話さない選択肢などあるものかと思う。

 必要と知った。とはどうやって知ったか、そこのところを話すのに、まだ勇気を振り絞れずにいたけれども。


「あァ、神宣か。蛮族を狩れだの、北の部族の神殿を焼けだの。飽き足らずに、今度はたかが一人を? 笑わせる」

「え——」


 なぜ神宣と分かったのだろう。発した言葉を思い返しても、言っていないはずと確信を持てた。

 それに物騒な例ばかり。偉浪ウェイランの言うような神宣を、春海チュンハイは聞いたことがない。


「何だ」

「いえ、私まだ神宣とは」


 横たわったままの偉浪ウェイランがまぶたを閉じた。

 棺桶の中とあって似合いすぎるが、深く皺の寄った眉間に違和感がある。まだどこか痛むのかもしれない。


「お前は馬鹿なのか? それとも俺を馬鹿にしてんのか」

「えっ、ええ? どうして私がお父様を」


 知らぬうちに柿を食ったかと思う、渋い顔。でなければ憐れむ風に、偉浪ウェイランは見下ろす。


「僧正の娘が国の大事なんぞと騙されて、遥々と五百里も歩こうってんだ。神宣以外にありゃしねェ」


(そう、なの?)

 考えても、当の僧正の娘には、そうでない者がどう考えるか分からなかった。

 しかし何より、騙されてとは聞き捨てならない。


「あの、お父様。私、騙されてなんて」


 歳上であり、破浪ポーランの父親に異論を唱えるのはつらい。だが言わねば、義海イーハイを嘘吐きにしてしまう。

 小さく、首を横に振った。長幼に反する行いが、手を震わせた。


「あァ、そうか。で、お前は何が言いたい」


 あっさりと、偉浪ウェイランは頷く。まだ難しげな表情であっても、痛みのせいでもなさそうだ。


「ありがとうございます。白状しますけれど、たしかに神宣を負っています。ゆえに破浪ポーランは必ず自死を引き受けてくれると思いました。結果、お父様も喜んでくださると」


 そうならないこともある。とは学んだが、どんな場合かはまだ不明だった。

 神の意志に背く破浪ポーランに、偉浪ウェイランは憤るかも。という予測を捨てきれない。


「引き受けるわきゃねェな」

「はい、お父様より先に死ぬのは親不孝と言われました。神に従い国を救うほうが、お父様は喜ぶはずと言ったのですけど」


(そうよ、先に死ねないって。それなのに)

 言うこととやることが違う。気づいて、ますます分からなくなった。


「今は分かったのか」

「いいえ。何となく分かった気がするだけで、実際のところは」

「何となくって何だ」


 偉浪ウェイランの答えには、間も淀みもない。

 義海イーハイもそうだったが、どうも違うように思う。何が違うか、また分からないことが増えた。


破浪ポーランに着いて歩いて、私はものを知らないと気づきました。ご存知ですか? 右腕に十皿、左腕に十皿を持って運ぶと、卓に料理が幾つ載るかを」


 偉浪ウェイランの眉間に彫られた皺が消えていく。

 つらそうな雰囲気が薄れたものの、窪んだ眼が儚そうに見せた。神通力では削れた体力までを戻せない。


「飯屋の話なんぞするんじゃねェ。腹ァ減ってきたじゃねェか」

「すっ、すみません。食べられるなら何か」


 背負い袋を探ると、油煎の豚肉があった。春海チュンハイだけなら三日分、二人で食えば一日分に足りるかどうか。


「あァ、塩が利いてやがる」


 偉浪ウェイランの背負い袋には、食料があるのか。意地汚くも気になった。

 いつも破浪ポーランが用意していたから、ゼロとも考えられる。


「正解は知らねェ。お前は二十皿って答えるんだろうが」

「——ですね、前の私はそうです。誰かに取ってもらわないと卓に置けない、なんて答えは想像もつきませんでした」


 拳二つ分の肉塊を、偉浪ウェイランに渡した。細かく裂き、しゃぶるように噛み締めている。

 先の心配はともかく、しっかりと食えるのは良かった。


「でもこれは難しすぎます。破浪ポーランの命と、ジンの民の命と。彼や彼を大切に思う人の思いと、神様のご意思と。たぶん他にも」


 春海チュンハイ自身に残したのは、拳一つに足らない。小指の先ほどをもぎ取り、倣って裂いてみた。

 疲れた身体に塩が染み渡る。


「そいつァ難しい。俺にゃ到底、答えられねェ」

「そう、ですか……そうですよね、難しいです」


 あわよくば、代わりに答えを出してもらえないかと目論見はあった。口に出さないだけで、きっと偉浪ウェイランは答えを知っているとも思う。


 ただ、それは我がままというもの。そもこの話をしたのは、聞かせることそのものが目的だった。

 話すうちに甘えが出てしまったと、己の脚を殴りつける。


「あの。もう一つ聞いても?」


(そうよ、どうして?)

 図々しい問いをなかったことにするため、話題を変えるだけの新たな問いを捻り出した。

 けれどもそれはそれで、全く理由に思い至らない。


「答えられるか知らねェが」


 と偉浪ウェイランは、すぐさま応じてくれる。

 ほら、どうして。そう疑問に感じずにはいられなかった。


「なぜお父様は、こうして私と話してくださるんでしょう」

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