余聞

第48話:迷宮あらわる(前)

 十九年前。海賊を滅ぼした偉浪ウェイランは、杭港ハンガンの町に居残った。


「海賊どもの残党や、他の荒くれに狙われるやもしれません。どうか格好のつくまで用心棒を頼まれてください」


 と頼んだのは、賞金の交渉をした若者でなかった。

 厄介が除かれるや否や。それこそ破蕾ポーレイを連れ、街中へ戻った途端、顔役でございと言い放つ破廉恥が気に入らない。


「構わねェ。いくら出す?」

「日に五銀。何ぞございました時には別で」

「悪かねェが、退屈そうだ。倍だな」

「ええ、いいですとも」


 ただこの町に暮らすだけで、銀銭十枚を毎日。田舎でもあり、最寄りの都市の宮仕えより厚遇のはずだ。

 だのに、たるんだ額の汗を拭う初老の男は二つ返事で引き受けた。昨夜の寒風がそのまま残る、秋深まる朝。


「身の回りのお世話を致します。どうか寝床と食事を、お与えいただけませんか」


 まず賞金を受け取り、男は去った。住む場所は、まだ使えそうな廃墟を自由にしろと。

 囚われていた女たちは、多くが杭港ハンガンの者だった。しかし思った通り、破蕾ポーレイは行き場がないと言う。


「故郷に戻るなら、送ってやってもいいが」


 約束したからと、律儀に用心棒を勤めるつもりはなかった。

 近海の魚を一通り食い、日数分の銀銭を持って次の土地へ。賞金稼ぎとして、至極真っ当だろう。


「いえ、到底この身体では耐えられません。それに家の者も、汚れた女の戻ることを喜ばないはずです」


 破蕾ポーレイは自身の丸い腹を優しく見つめ、さすった。


「あの海賊の子じゃねェのか」

「そうかもしれませんし、その前かもしれません」

「でも可愛がるのか」

「この子は私を頼ってしか、産まれることもできませんから」


 言うことは当たり前だが、会話としての意味が分からなかった。しかし、こうしたいとはっきり言う女を嫌いでない。


「何だか知らねェが、好きにしろ」

「好きにさせていただきます」


 雪のように白い肌と、氷の煌めきを湛えた蒼い瞳。

 薄く笑い、小さく頷く様が、冬風に堪えて揺れる牡丹の蕾を思わせた。


 ◆◇◆


 それから杭港ハンガンは、少しずつ人を増やしていった。

 顔役の男は言うだけの力も備えていたらしく、近隣の県令から援助を得て、非公式ながら町の長に収まった。


 四ヶ月近く、ほぼ毎日。年が明けても、偉浪ウェイラン破蕾ポーレイを連れ歩いた。町長まちおさの息がかかる商人や漁師のところを。


 その日食うだけの魚、果物。一つか二つを破蕾ポーレイが遠慮がちに選ぶ。

 支払いの段に銭入れを取り出すと、偉浪ウェイランが割って入る。


「払いは、てめェらの親分だ」

「ええ、ええ。分かっておりますとも」

「ご主人様、いつもそれでは——」


 恐縮する破蕾ポーレイに、近所の小さな子らが纏わる。

 しばらくの子守りを代金に充てるつもり、でもなかろう。彼女も楽しそうに遊んでやった。


「いいんだよ破蕾ポーレイ。あんたの旦那のおかげで、悪さをする奴が居ない」

「ハッ。こんな貧乏臭ェ町、悪党の側もご免ってよ」


 町の外から。増えた住人の中から。悪事を働く者は、少なくとも表向きに現れない。これをまた町長が喧伝すれば、住人の増える率も増していく。


 その儲けに比べれば、二人の食い扶持などないも同然。

 町の者がそう言っても、襲うだけの価値がないのだと偉浪ウェイランは認めなかった。


 町の真ん中を、露店と商店の並ぶ大通りが貫く。対面に誰の使ってもいい集合井戸があって、破蕾ポーレイは買った物をそこで洗う。

 さらに一つ路地を入れば、二人の住処があった。


「おい、俺の後ろを歩くんじゃねェ」

「そう仰いましても、ご主人様ですし」

「奴隷に思ったこたァねェ。後ろで転ばれても、俺の手は届かねェんだ」


 毎日、毎日。同じ会話を繰り返した。決まって最後に「ありがとうございます」と。破蕾ポーレイは嬉しそうに笑む。


 これをされると偉浪ウェイランは、後の言葉をむにゃむにゃとごまかすしかできない。


「この子にもずっと、優しくしていただけますか?」


 そういえば最近、この問いも加わったな。

 と怪訝に、面倒を装いつつも、必ず答えてやった。


「ああ、ああ。当たり前だ」


 すると必ず破蕾ポーレイが、買った物で見えなくなった。

 構わず、二人のねぐらへ潜り込む。十人も抱えられそうな商家の、外れた扉を捲って。


 店構えと土間の辺りは、十二分に使える。それより奥は割れた瓦から腐って崩れた。

 大鹿の革を敷き、破蕾ポーレイの膝で酒を一合。彼女は自身と偉浪ウェイランの口へ、交互に飯を運ぶ。


 引き摺り出した綿入れを二人でかぶり、いつしか朝日に目覚める。そんな日々を、退屈と感じることはなかった。


 ある日。

 町長の男が住処を訪ねた。頼みごとや謝礼を持参するのに、それは珍しくない。


「町の者が、お二人の家を拵えたいと」

「あァ?」

「いえね、夫人おくさんもそろそろでしょう。それに恩人を、いつまでこんなところへ住まわすのかと」


 町長だけでなく、破蕾ポーレイを妻と呼ばぬ者はなかった。聞くたび、彼女が茹だって赤くなるのも、もはや風物詩だ。


「産婆は頼んである。産むのにも障りねェとさ。そろそろってんなら、今じゃねェだろうよ」


 新しい家を用意する話は初めてでない。都度、「面倒臭ェ」と追い返す男が居たのだ。


「そりゃあ、もちろんです。でも建てるとなって、明日ってわけにはいかない。お子の産まれた後、寝床も湯も存分に使えたほうがいいでしょう。ねえ夫人おくさん


 幼い子がどう育つか、これまで偉浪ウェイランの身近に例がなかった。


「そういうもんか?」

「……それはまあ、あるに越したことは」


 両手の奥で、ぼそぼそと。だがそう聞けば否はない。


「分かった、頼む。銭がかかるようなら俺が出す、破蕾ポーレイの思う通りを拵えてくれ」

「それはもう。いや、銭は結構でございますよ」


 私の希望なんてそんな。などと遠慮をする彼女の手を引き、連れ出す。既に候補地は決まっているので、見に来いと言うのだ。


「ん。また新しい宿か」

「で、ございますねえ。皇都の大店だそうで、肉料理を食わすとか」

「へェ。それなら福饅頭もあるな」

「ああ、そう聞いております」


 杭港ハンガンに特段の不満はなかった。強いて言うなら大勢を見込んだ店がなく、ゆえに余り物で作る福饅頭もないことだけだ。


 訪れた頃と比べると、千人単位で住人が増えた。ようやく町と自称して恥ずかしくない。


「福饅頭、ですか?」

「知らねェのか」

「ええ、おそらく故郷には」


 真新しい表扉を開け放し、店の者が慌ただしい。その様子を珍しげに見つめる破蕾ポーレイに、町長が故郷を問う。


 彼女の答えは、やはり遠い西の土地だった。ジンが国の一部と言うものの、役人が赴いたと聞いたことはない。

 代わりに聞くのは、付近での小競り合いの話ばかり。


「あちらにはないんですなあ。よろしい、店が開いたら持って行くよう伝えておきます」

「ええっ。いえそんな、畏れ多い」


 半歩にも満たぬ歩幅で、ゆっくり、ゆっくり。話す間は幾らでもある。

 しかし破蕾ポーレイの興味を示した物を、町長に用意さすわけにいかない。次の言葉の前に、さっと差し挟んだ。


「だな。持ってくるこたねェ、こっちから行かせてもらう。なあ破蕾ポーレイ

「え、ええ。ご主人様がそう仰るなら、その通りに」


 左様で、と町長。意味ありげな苦笑から、破蕾ポーレイは目を逸らす。


「あ、あのっ。お隣も新しいお店では? 生地を扱うのでしょうか」

「そのようですなあ。やはり皇都からと聞きましたが、はてさて」


 腕組みをして見せる町長だったが、さほどに案じた風でもなかった。


「なんだ?」

「いえね。生地ってものは、土地ごとのやり方や流行りってものがあります。皇都に出回る物は、ある程度の素地が似てくる」


 防具はともかく、普段の着物に頓着を持たない。町長の言い分も、そうかと頷くだけだ。


「しかしあの店には、それが感じられない。皇都からというより、この辺りと、南や西。あちこち掻き集めてきたって言われたほうがなるほどと思う」


 見ていると、店の者らしき男が外へ出た。偉浪ウェイランも見上げるほどの大男で、生地商人が似合いとは思えない。


「良くねェのか?」

「いえ。品物をどう集めようが、ここで真っ当にしてくれさえすれば」


 何らか、悪事の産物ならばいつか足がつく。賞金稼ぎの仕事にもそういう向きはあったが、面倒で偉浪ウェイランは受けたことがない。

 それでも町長の言う通りとは知っている。


「さて、ここでございますよ」


 と。突然に言われた。

 集合井戸の二軒隣。昨日までは完全に崩れ落ちた廃墟のあった土地。

 どんな神通力を使ったやら、今はすっかりと乾いた黄色の地面を晒した。


「通りの真ん中じゃねェか」


 大通りに面し、買い物をした女たちの使う集合井戸に近い。

 これからも人口を増すはずの町で、どれだけ賑やかになっていくか。想像すると、偉浪ウェイランに歓迎する理由がない。

 今の住処は一つ奥まっているだけで、随分と静かなものだ。


「左様です。裏は私の家で、偉浪ウェイラン様はすぐに仕事を受けられる。表は夫人おくさんの買い物に便利が良く、庭でお子様を遊ばせられる。最高でございましょう?」


 言う通りではあった。だがやはり、自身の利点と考えると良し悪しが分からない。


破蕾ポーレイ、どう思う?」


 問うてみた。が、返事がなかった。彼女は口を半開きに、敷地へ片足を踏み込んでいた。

 大小の庭石、石灯籠。築石で囲った池に、橋もかかる。


 それらを眺める頬に、感心と書いてあった。無論、関心とも。

 もはや考える必要はなくなった。


「ここでいい。頼む」

「それは良かった。実はもう、案は作らせております。後で図面をお持ちしますので、夫人おくさんのご希望を取り入れましょう」


 もう一度、頼むと頷いた。それでようやく我に返った破蕾ポーレイが、慌てて振り返る。


「こ、こんな土地に、良いのですか」

「くれるってんだ、いいじゃねェか。お前も気に入ったんだろ」


 先、多少の無理を言われた時、一つか二つは聞いてやらねばなるまい。

 けれどもたったそれだけで、破蕾ポーレイが喜ぶのなら安いものだ。


「もちろん気に入らないはずがございません。でもただ——」

「あん?」

「私だけがいい思いをして、申しわけなく」


 浮かべた笑みが萎れていく。両手を胸に抱き、まだ建たぬ我が家に破蕾ポーレイは向く。


「お前だけってことはねェ。破蕾ポーレイが満足すりゃァ、俺も満足だ」

「あっ……ありがとうございます。でも今、申したのは別で。妹のことを」

「妹?」


 海賊に拐われた女の過去を聞くことはしなかった。故郷の名だけは聞いていたが、家族がどうしているとかは知らない。


「私と一緒に連れ出されました。私は運良く生き延びましたが、あの子は……」


 そんな自分を運良くと、掛け値なしに言うところを愚かと思う。おかげで出逢った偉浪ウェイランが、悪党のように感じられる。


「運がいいってのは、旨い饅頭でも食った後に言うもんだ。また落ち着いたら、弔いに連れてってやる」


 いつの間にか、町長は背中を向けていた。

 振り返った破蕾ポーレイの頬が濡れているのを、見ることはなかったろう。

 彼女は声なく、深く頭を下げた。破蕾ポーレイの故郷に、拝礼の習慣はない。


「さァ、腹が減った。破蕾ポーレイ、今日は何を食う?」

「ご主人様のご希望は?」

「お前の食いたいもんだ」


 偉浪ウェイランの希望を言えば魚、若しくは肉というだけ。どう料理するかも、塩を振って焼く以外は分からない。


「では、お豆腐を」

「腹の足しになるか?」

「米が幾らあっても足らないほどにしてみせましょう」

「そりゃァ楽しみだ」


 来た時と同じにゆっくり、二人で戻る。町長は土地の前で見送っていた。

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