第42話:深層にて
「深く潜ると、いいことがあるの?」
耳をそばだてなくとも、気配の追ってくるのが分かる。
年長ばかりの
「三つ、いや二つあるかな」
そのせいか
ほぼ横並びで、半歩下がって。
彼がそうして、話せば答えてくれるのが心強い。
「迷宮の生まれた理由を明かした者は、近衛に取り立てる。そういう触れがあるんだ」
「ええ、双龍兄弟に聞いたわ」
「一番に深いところで分かるんだろうって。確証はないけどね」
頷く
手がかりがないなら、より深くへ。とは合点がいくし、
「あとはこれだよ」
斑に黒い着物を捲り、
投げつけるふりをしてから、
「特別な物?」
「いや、反対。
包丁と言うなら、たしかに渡された短刀は包丁としても使えるだろう。しかしそもそもの問いとどう関わるか、「んん?」と首をひねるしかなかった。
「浅い階層だと、宝袋から幾らでも出てくる。探索者なら必ず持ってる物だからね、それはハズレなんだよ」
「ああ——」
なるほど、とは答えたくない。他に適当な言葉はと探すうち、別のところへ思い至った。
包丁十本。福饅頭。価値の低い物を並べて屍運びを貶す、子供たちの遊び唄。
皿や鎚、他の日用品でも良かったはずだ。あえて包丁としてあるのは、作り手の悪意に違いない。
「深層へ行くほどハズレがなくなって、当たりにいい物が多い。十階層だと、そのまま銭にできるような金の塊が平気で出てくる」
「だから三つじゃなくて二つ、なのね」
深層では儲かる率が良い、とひと言に纏められる。そういうことかと問うたのだが、
「まあそんなとこ、かな」
「他にも?」
「ううん、それだけだよ」
今度はきっぱり、横に首が振られた。
気のせいらしい。当人のないと言うものを、どうにか出せと言うつもりはなかった。ちょうど
「先ィ行け」
また、地面に穴が空いていた。先の、五階層へ戻ったかと思うほどにそっくりだ。
しかし
垂らした縄を顎で示す父親に、息子は「うん」とだけ。けれども次に
「父さんと居れば間違いないから。下りる時、もし落ちても今度は俺が受け止めるし」
「もう落ちないわ」
冗談のつもりだろう。彼の手が柔らかく、
元凶は後ろへ居るのだ。落ちる理由がないし、冗談にもなっていない。
だが気遣いとは認めた。だから分かりやすく憤慨の顔を作り、
(これでおあいこね)
ということにした。
今度は
「着いたよ。
直に、見通せぬ底から声が届いた。大きく叫んでいるようだが、遠い。
「あの、四つ下りるんでしょうか」
「あァ」
首肯でなく、早く行けと
「行きます」
もう足手まといの評価は覆るまい。けれど意気地なしと付け加えられぬよう、臆す気持ちに気づかぬふりで縄に飛びついた。
(迷うからいけないのよ)
闇を覗こうとし、見極めようとしなくとも、たしかなものが行く手にある。
しかと見開いた眼を、足下にだけ向け。
「怖くなかった?」
途中、魔物の姿が見えたかも分からない。ともかく十階層へ足を着けた。
「怖かったわ」
「えっ」
自分から問うたのだろうに、
「どうして驚くの」
「いやきみがそう言うとは」
「怖いものなんて、いくらでもあるわ。でもここにあなたが居るから、何とか頑張れた」
偽りのない、素直な気持ちだ。ゆえに恥ずかしさに類する感覚はなかった。
むしろ、
「ええと……」
「一番に安全って学んだのよ。この迷宮ではね」
「それは父さんのほうが」
「ええ。でもいつも一緒でしょ」
なるほど魔物に対する強さには、差があるのだろう。
(傍で安心できるのは、あなたのほうよ)
と、
「まあね」
普段と変わらぬ、抑揚に乏しい声。見上げて父を待つ
「ねえ」
「ん?」
親を敬うのはいいことだ。
それとも、
何かそんなことを言って、褒めたかった。しかし次の言葉を発する前に、
「父さん、何かされたの」
「さァな」
縄を伝うというのに、抜き身で鉈を携えた父の姿。
諦め顔で、
「がめつい奴だな、てめえの縄を人さまが使おうってのも嫌なのか」
(がめついって)
思わず浮かべかけた言葉を、慌てて打ち消す。極太のため息の
「縄は私も持ってるわ。関わらないで行きましょう」
彼は抗わず「ごめんね」と。「何が?」と問い返せば、
「
「ううん。あなたのところへ勝手に押しかけたのは私よ」
関係ないとは、
首にかけた念珠を握り、己への失笑を噛み殺した。
「おい」
それからどれほどもなく、
十階層を捜してみるのか、まだ下層へ進むのか、
「どうしたの、何か——」
地面に飛び散る、まだ赤みの残る血痕を。
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