第39話:深層へ

 間もなく四階層へ下りたのは、春海チュンハイの指摘とは無関係だろう。もと来た方向へ帰る道すじも何度か見えたが、既に踏んだ地面を二度踏むことはなかった。


 三階層と同じく、偉浪ウェイランは宝部屋を巡る。十ヶ所へ赴いたうち、宝袋のあったのは六ヶ所。


「手袋か、要らねェ」


 六ヶ所め。

 手細工に使うような短刀で、偉浪ウェイランは宝袋を切り裂く。

 図々しく、手もとを覗き込みはしない。が、地面へ打ち捨てられたのは、たしかに手袋だった。


「誰かの——?」

「だね。護兵の使うのと同じだよ、馬の革を貼り合わせたやつ。深層へ行く連中は使わないかな」


 千の手の所在には繋がらない。回収しても儲けにならない。

 ゆえに捨てる。するとまた迷宮が呑み込み、新たな宝袋としてどこかへぶら下がる。


 この暗がりで、どれだけ繰り返されたか分からない循環。見つけた物を、何もかも持ち帰ることは不可能。

 だから、良い悪いの判断を挟む余地はない。


(斃れた屍から剥ぐのとは違うって言うのね)

 父子には、明確な境界があるらしい。春海チュンハイにも朧げに、見えなくもなかった。

 落ちた革の手袋に背を向け、立ち去るのに抵抗を覚えただけだ。


 五階層へ下り、また同じことを繰り返した。当然に順路は違ったが、粗く焼いた陶器のごとき壁や地面は変わらない。

 もう一つ違うのは、姿を見せる魔物たち。


「百足も黄金蟲も居ないのね」


 階段から、気配も感じなくなった。代わりと言っていいものか、蜥蜴がうろついている。

 首の後ろへ隠れるファンに、「親戚よ」と戯れを言ってみた。無視を決め込まれたが。


 実際、手の平へ乗るファンとは比べ物にならない。何しろ春海チュンハイよりも大きな図体で、通路の右から左を瞬きの間に移動する俊敏さを見せた。


「見かけることはあるけど、稀だね。たぶん幼いうちに、こいつらに喰われるんじゃないかな」

「説得力があるわ」


 弱肉強食に難を示すほど身の程知らずでない。ただしここで言われると、今までにない感情はあった。

 地上で。少なくとも皇都で暮らす間、そんな野生の理は、獣や蟲にだけ当て嵌まると思っていた。


 何となくではなく、人間は枠組みの外へ居ると。父、義海イーハイからも聞いたはずだ。

 だが迷宮では違うと、今の春海チュンハイには言える。


「この辺りは、食料の心配をしなくていいから助かるよ」


 と、破浪ポーランは大蜥蜴の皮を剥ぐ。見た目よりも食いではないが、それでも一匹で三人の腹を満たす。


 食い、自然の摂理に従ってくれたことに礼を言う。だからか、黄金蟲に感じた心持ちは芽生えなかった。

 それにもまた、なぜ? と自問する。けれども答えに、辿り着けそうもない。


 それから八ヶ所めの宝部屋を訪れ、やはり実力の高い者の死を確認できなかった。

 では九ヶ所めに向かうか。それとも六階層へ下りるのか。どうであれ、偉浪ウェイランの足が向くまま、従うだけだ。

 しかし、どちらでもなかった。


「どうする。まだ捜すのか」


 得たばかりの翠石エメラルドを、息子に投げ渡す。受け止めた弾みで砕けるくらい、罅だらけのクズ石だ。

 だが売りようはある。破浪ポーランは小袋を取り出し、粉のようになったのも残らず収めた。


「どうして? 絶対に連れ帰るんでしょ」


 偉浪ウェイランの言い様は、もうやめようとしか聞こえなかった。当人に直接は勇気が出なかったが、破浪ポーランに真意を問うた。

 聞こえた舌打ちには、びくびくと素知らぬふりで。


「そうだね、もう六日目にかかる」


 返答は偉浪ウェイランにだけ、された。けれども彼の視線が、意味ありげに見つめる。


(六日目……)

 過ぎた日数が関わるとすれば、思い出すのは依頼の理由だ。五日か六日で戻る予定が、その時点で九日過ぎたと。


「予定通りなら、これ以上に潜ってないってこと?」

「ってことになるね」


 破浪ポーラン偉浪ウェイランと、捜索に来て六日目と言った。ここから地上へ戻るには、同じくらいの時間がかかる。

 すると短く見積っても十日。


 双龍兄弟は母親との約束を必ず守っていたはずだ。でなければ、ああまで取り乱さない。

 その予定から、およそ二倍。たしかに捜す意味がないのかもしれないと思えた。


「でも、じゃあどこを捜すの。居そうになかったから、ここまで下りたんでしょ。まさか諦めるの?」


 あくまでも春海チュンハイは部外者だ。分かっていながら、責める声を抑えられない。

 どんな仕事にも失敗はつきものだ。とも理解していて、双龍兄弟だけはと願う。


「うん、俺もそう思うよ」

「え?」


 まさか諦めるのかと責めたはずだが、その返答にはおかしい。

 捜索の中断という事態に出遭い、動転したろうか。


「ど、どういうこと?」

「双龍兄弟はいい奴らだから、必ず見つけようって言うんだろ? なら、俺も同じって言った」


 気遣いのつもりなら、微笑むくらいはしてもらわねば分かりにくい。いつもの読めない表情で、破浪ポーランは頷いた。


「父さんも、ここで引き返そうって言ったわけじゃない。どうやら千の手は深層へ戻ったみたいだから、このまま順に階層を下りなくてもいいんじゃないかって」


(早とちり、した?)

 火の噴く音が聞こえたように思う。瞬間に顔が熱くなり、目をどこに向ければ良いか分からなくなった。


「あァ」


 構わず、偉浪ウェイランは歩き始める。舌打ちもされなかった。

 ほっと息を吐き、速まった胸の鼓動に手を当て、どうにか後をついていく。


「——あの、ところで」

「うん?」

「順に下りないって、どういう意味?」


 黙っているのがつらかった。父子ともに言外に責める性格ではなさそうだが、春海チュンハイ自身が、先の光景を脳裏に浮かべてしまう。


 ゆえに直近の気になる言葉を拾い上げた。       口にしてみると、本当にどういうことかと気にもなった。


「うーん。ひと息に行けるってことだけど、説明が難しいな。まあ見れば分かるよ」

「ひと息に行ける?」


 階層を下に向けて、順番にでなくひと息に。どうすれば実現できるか、想像に頭を働かせた。

 おかげで顔の熱さを気にせずに済む。


(……落ちるってこと?)

 推論が一つしか導き出せなかった。火照っていた頬や首すじに、今度は鳥肌が立つ。

 まさかね。と根拠のない楽観論でごまかし、正解を得るのは先延ばしにした。


「ここだよ」


 今までと、この先と、何ら変わらぬ通路の途中。飛び越えるのは至難の技と言える大穴が、地面に口を空けた。

 当たってほしくなかった推測の通り、下の階層の通路が覗き見える。


 しかも一つ下だけでなく、さらに下へも。そこから先は、視界の外だったが。


(何を暢気に——!)

 指さす破浪ポーランの顔を、思いきり引っ掻いてやりたくなった。

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