第38話:支えるもの

「そんな馬鹿なこと……」

「あり得ないね、普通は。でも迷宮は少しずつ広がってる。この硬い地面に鍬を突き立てる誰かを見たなんて、聞くこともないのに。見覚えのある道具が宝袋から出てくるのも、しょっちゅうだ」


 冗談や脅しでないと声色で分かる。それはこういう現象だ、と種明かししてやれば、きっとすんなり受け入れもするのだろう。

 しかし彼の、あるいは数多の探索者たちの妄想より、説得力を持つ正解は出てこない。


 春海チュンハイ自身、初めて見た迷宮を、一個の化け物へ入るようだと感じたくらいだ。すると昨日、春海チュンハイの食べた小魚も、身体のどこかへぶら下がっているのか。


 馬鹿馬鹿しいと思いつつ、迷宮を生き物と考えるならそういうことと、想像を膨らます。

 いくらやっても、証明も反証も不可能だったが。


「すると私たちは、胃袋へ向けて下りてるのね」

「ん? ああ、うまいこと言うね。最下層を尻の穴とすれば、五階層くらいが胃袋かな」


 短く「はは」と、愛想笑いの域を出ない。笑わすつもりもなかったが、それはそれで苛とした。


「お尻の話なんかしてない。おぞましいと思わないの? 死んだら呑み込まれるって、生きたまま呑まれない保証はないでしょ」


 こうして暢気に話すのさえ、迷宮という生き物の気紛れに許されているだけ。

 だとしたらどうする。と破浪ポーランに自覚を求めるつもりが、より明確な想像を自分に与えた。


 ぶるっと震え、次の足を地面へ下ろすのに躊躇した。あいにく、浮いて進む神通力は持ち合わせなかった。


「悍ましい? うーん、ないね。腹の中って思ったことはあるけど」

「どうして……?」


  なぜそう思える、いや思えないのか。

 迷宮についてだけでなく。黄金蟲を屠ること、人の顔を持つ百足をもだ。

 黒犬を可愛がれはするのに。


 恐れる、ためらう、胸を痛める。そういう感情を、この男から感じたことがない。

 どこへどんな風に心を置けば、そうなるのか。春海チュンハイには、まるで理解が及ばなかった。


(人間じゃないの? 私と違う、別の生き物なの?)

 そうは思わない。だがそう仮定すれば、理解が楽だ。破浪ポーランというこの男自身を、理解する必要がなくなる。


「どうしてって言われてもね。ずっとそんなこと、起きてないし」

「これから先も?」


 しかし投げ出さなかった。

 逆になぜ、そうまで知りたがるか。問われれば困る。春海チュンハイも自分を不審に思い、答えられなかった。

 強いて言えるとすれば、知らねばならない気がする。それだけだ。


「だね、ないとは言えない。だけどその時はその時だよ」

「恐ろしくはないのね」

「うん、まあ。春海チュンハイと同じだよ」


 またおかしなことを。恐れたから、こんな問いかけをしているのに。


「何が?」

「俺がどう思おうと、十八年も戦ってきた歴史には何も言えないよ。逆らおうとも思わない、勝てるわけないからね」


(笑った?)

 たしかに聞いた。幾らも聞いた笑声と異なり、自然に噴き出して揺れた声を。


 爽やかで、自嘲めいた湿り気はない。

 彼の先達を。父を敬う気持ちが零れ落ちた、心からの言葉。


「そう。理解したわ」

「それは良かった」


 もう、問う理由はない。細かな説明など必要なかったのだ。

 おかげで春海チュンハイの抱く恐れも、鳴りを潜めた。


(そうよ。父上に託された使命を果たせない他に、怖いことなんてないわ)

 間違いない、と思い込んだ・・・・・。頷いた拍子、まだ僅かに手が震えたけれど。おそらく余韻のようなものだ、と呑み込む。


「それでどうするの。双龍兄弟の持ち物が見つかるまで、宝袋を探し続けるの。彼らが死ぬまで待つと言うようなものだけど」


 少し声を大きくした。つもりが、大きくなりすぎた。先ほどまでの声は、不安に潰されそうだった。


 聞き違いか、後ろで「良かった」と言われた気がした。少し振り向いてみたものの、彼は怪訝に首を傾げるだけだ。


「もちろん違うよ。まず探してるのは、あの二人の持ち物じゃない。むしろ見つからないよう祈ってる」

「じゃあまさか、捜すついでに銭儲け?」


 ここまで、破浪ポーランが棺桶に収めた品々を売れば、金銭一枚に届くかもしれない。

 どうやって暮らしているか不思議だったが、どうも宝の回収が収入源らしい。


 杭港ハンガンの繁栄も同じ理由だろう。純度の高そうな鉱物を探索者が集めてくるなら、たくさんの鉱山を抱えているようなものだ。


 ゆえに、責めてはいけないと理解していた。しかし口調が強くなるのを抑えられなかった。


「まあ、見つけたからにはね。地面へ放ったら、また迷宮が食うし」

「ああ……」

「探してるのは、双龍兄弟以外の持ち物だよ。深層へ行く連中のは、だいたい覚えてる。いやそれも見つかるなと思ってるけど」


 最も下層へ潜るのは、双龍兄弟や破浪ポーランたちと聞いた。それには及ばない探索者の持ち物、つまり実力者が死んでいないかを調べている。

 そう理解して、解説の続きは必要なくなった。


「つまり捜してるのは双龍兄弟じゃなく、千の手ってことね」

「その通り。無事なら追い続けてるだろうからね」


 無事でなかったら、は互いに声に出さなかった。

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