第34話:気配を察する
祝符を買い、先に行った
少し空の翳り始めた頃合い、口を開けた洞窟の前に、どっかり座り込むのが見えた。
脇に
表情まではっきり読み取れる距離になると、
「冥土の入り口へ、よくお越しになられました。二度と地上へ戻れぬ覚悟はおありでしょうか?」
向かい合い、目を合わせた
「あの、それ。誰かが通るたびに必ず?」
「ええ。後悔をしてほしくありませんから」
おそらく前に聞いたのと、全く同じ。
(
と思ったが、口にするのは憚った。
「あなた、髪を」
言われて、はっとした。髪を飾ってはどうかと、薄青の紗を貰ったのに忘れていた。
今は皇都での日常と同じく、束に纏めた根元を幅広の麻布で結んでいる。咄嗟に手で隠そうとしたが、間に合うわけもない。
「あの、なんだか――」
「いいのよ。あなたに似合うと思ったから、見られなくて残念だっただけ」
そう言う
たった今、結ったばかりのように。先回見たのと寸分違わぬ、と思わせる繊細さで。
「
(今度、髪の纏め方を教えてもらおう)
天道の下から、洞窟の口へ飛び込む。慣れれば仄明るい迷宮も、直ちには暗黒に思えた。
「何?」
立ち止まればすぐに、落書きも読めるようになる。
目の前には見下ろす
「確認だけど、
「もちろんよ。あなたから目を離すわけにいかないし、双龍兄弟を放ってもおけないし」
こんな間際で? と首を傾げる。しかし
ほんの数拍、今ここに居る理由を考えた。
「足手まといを心配しているなら、当然と思うわ。今回は頑張ると言ったって、信用しきれないでしょうね。だけど迷宮がどんなとろか、少しは理解したつもり」
だから信用しろ、と結局は言っている。
あやふやな言葉になるのも当然だった。当然のように着いてきたことを、
唯一確実なのは
きっとこの町の僧院で茶でも飲んでいれば、迷宮を出入りするたびに顔を見せてくれるはずだ。
「いや、それはいいんだ。父さんも俺も、死ぬ時は死ぬ。そうなると
話すうち、視界の端から
歩きながらでも、意志の疎通はできる。進もうとした
「うん?」
「双龍兄弟は千の手を倒すと言ってた。となると二人を捜すのは、千の手を探すのと同じになる。それをきみが怖がらないかと思って」
死ぬ覚悟を云々してから、単に怖い、怖くないと。何を言っているのだか、意味も意図も分からなかった。
(私が千の手を?)
読み解くに、余計な部分を省けば、彼の言うのはそこだろう。
怖れれば動きを鈍くするから。などでなく、
「もしかして、私を気遣ってくれてるの」
「もしかしないつもりだったけど。良くない?」
「良くないわけがないわ。変な人とは思うけど」
発した言葉の通りに感じた。内訳の半分ほどは、面白いと解釈できる。残りの半分に特段の意識を向けることはしなかった。
自然。くすと笑ってしまったのだから、負の気持ちでないのは明白だ。
どちらからともなく、足を前に向ける。すぐに走って、
ほんの二十歩。前を進んだ
やはり一階層には、魔物の姿が見えなかった。この父子と共に居る限り、いつもそうだろうと
屈強と見えるのには否定しない。しかし魔物たちは、どこで区別をつけるのか。
持ち物、身体つき。それは参考程度で、人間の戦力を測るものさしには頼りない。
「たぶん音と臭いだね」
問うとあっさり、答えがあった。
「武器、鎧、服、履き物。どんな持ち物も、素人と熟練じゃ音が違う。あと俺でも感じるのは、妙な緊張をしてる人は鉄錆みたいな臭いがする。血の臭いとは、また違ってね」
魔物なら、もっと細かく区別できよう。
素直に「分かった」と頷き、音を立てぬように。余計な緊張をせぬように心がけた。
こうか、それともこうか。工夫するうち、ますますぎこちなくなったけれども。
「……妙だな」
二階層へ下りた途端、ぼそり。
「うん、なんだろう」
一瞬遅れて、
すんすんと鼻を鳴らす様に、
「蟲がさ、感覚が鋭いんだ。だから襲ってくるかは別にして、気づかれたなってのはこっちにも分かる。なのに、今はそれがない」
「いつもはあるのね」
(それって、あなたたちも蟲並みってことじゃ?)
とは、後で暇潰しに聞けば良い。
いつもあるものがない、ないものがある。見知らぬ場所、危険な土地で、まず気をつけるべきはそういう異変だ。
皇都で山へ入るのを仕事にする者が、たしか言っていた。
「うん。その代わりというか、ざわざわしてる。声とかじゃなくて」
言われても、やはり感じ取れない。何となく言わんとするところは分かる気もした。
だがここで止まっていても、迂回路はない。
「褌締め直せ」
またぼそっと呟いたのが聞こえ、
すぐに気づき、裾を直すふりでごまかす。
その赤面も治まらぬうち、突如として蟲の気配が高まった。
いや、気配と言っては生温い。
二匹や三匹、どころか十匹でも利くまい。
それでも最初は囁く程度だったのが、耳もとで板に砂をこすりつけたように聞こえる。
さらに重ねて、厭らしい笑い声も。
「チッ。一旦上だ、走れ」
ここまでは罠がなかったらしい。
上る途中、四方の通路から押し寄せる蟲の大群が見えた。
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