第六幕:終わりを見届け

第33話:応じられぬこと

 ボロ小屋へ戻った破浪ポーランは、すぐさま偉浪ウェイランを叩き起こした。

 まだ酒の抜けぬ父親から拳を貰っても、構わず事情を話す。


 どう受け止めたものか、「あァ」とだけ。立ち上がるなり偉浪ウェイランは着物を脱ぎ、褌姿となった。

 慌てて逃げ出した春海チュンハイに、後の会話は分からない。


「お母様のお世話をしてるって、あの人。何か妙なことを考えてなければいいんだけど」


 それから迷宮へ向かう道々。双龍兄弟の母親と、世話を頼まれている商人について問いかけた。

 今ひとつ、話が噛み合っていなかったと思えて。


「よく母ちゃんって聞くだけで、俺も事情は知らなかったけどさ。あの人、嘘は言ってなかったと思うよ。双龍兄弟の稼ぎを、そりゃあ手放したくないだろうから。あのお母さんだけのために、使い切れる額じゃない」


 いつかは返すとして、目の前に大きな金額がある。商人ならば、増やすことを考えぬわけがない。

 既に利益を得ていても、これからの原資が途絶える。悲しむ母親の前で、その心配はできなかった。


 ゆえに怪しげな態度になったと言うなら、理屈として分かる。

 たった今だけでも捨て置けないのか、と思うほうが春海チュンハイの感情として強かったけれども。


「あからさまには言えないってこと? じゃあ、お母さんは? 双龍兄弟って呼び名も知らなかったみたい。あんなに顔を知られてて、強いって評判なのに」


 商人の得た額と、母親のために使われた額と。差を不審に感じさせぬため。

 そう仮定したものの、据わりが良くない。迷宮の最深部まで潜っていることを、双龍兄弟自身が伝えていなかったようだから。


「それも聞いてはないけど——」


 尻窄みに、破浪ポーランの声は途切れた。見上げると、彼の目は父親へ向いた。

 十歩ほど前を、のしのしと。あれが義足とは信じられぬほど力強い。


「褒められたくない、って奴も居るんだよ」

「どうして? 褒められたら嬉しいし、もっと頑張ろうって思えるじゃない」


 十数歩を進み、抜けた魂が突如として帰ったように、破浪ポーランは続けた。

 だが、頷けない。


 春海チュンハイが僧を志したのは、褒められたからだ。皇都の僧院では、誰もが褒めてくれた。

 叱られることもあったが、全てに納得がいった。


 父、義海イーハイに褒められた記憶は少ない。けれども僧見習いになる条件を満たした時など、節目ではよくやったと言ってもらった。


「理由というか感じ方は、人それぞれだろうね。余計な心配をさせたくないとか、口出しされるのが嫌とか」

「それは分かるけど、いつまでも内緒にしておけないじゃない。お母様が知ったら悲しむし、きっと私の父上なら『的確な助言ができない』って怒るわ」


 親密な相手に嘘を吐き続けるのは、礼を失する。まして親なら、長幼の精神にも反する。

 子である春海チュンハイにしたところで、義海イーハイが重大な隠しごとをしていると知れば悲しむはずだ。


春海チュンハイがそう言うのは分かるよ。でも誰にも、向き不向きはあるだろ」

「お母様に実際を話すのに、不向き?」


 どういうことかと首を傾げた。悪さをして言い出せない、という話なら分かるが。

 また、隣の美丈夫を見上げる。スッと視線が下りてきて、春海チュンハイの視線とぶつかった途端に前方へ逃げた。


 僅か口角の上がったのは、苦笑か失笑か。どちらにしても、腹を立てるべきだ。

 しかし双龍兄弟を案ずるはずの破浪ポーランに、少しでも余裕を与えたのかもしれない。

(それならまあ、いいか)


「誰かの望む自分になれるのは凄いよ、でもやっぱり無理ってことはある。言ったのが親でも、神様でも。それをせめて取り繕おうってのを、頭から間違ってるとは言えない。俺にはできないことだし」

「神様?」


 今日は彼の言葉が理解できない日なのかもしれなかった。神様と双龍兄弟と、並べられた意味が。


(きっと焦ってるのね)

 問い返したものの、今はやめておくことにした。平静に見える破浪ポーランも、内心は濁流の只中かもと察して。


 案の定、春海チュンハイが黙れば、破浪ポーランも無言で居た。

 広場に並べられた卓と長椅子を横目に、双龍兄弟の無事を願う。


「父さん、ごめん。まだ祝符を買ってない」


 次に口を利いたのは、迷宮の入り口である鉄門を目前にしてだ。

 用意を済ませていないと偉浪ウェイランの機嫌を損ねると聞いたが、その通りに大きな舌打ちが聞こえた。


「先ィ行ってる」


 ただそれ以上のことはなく、一人で鉄門を抜けて行った。酒の臭いがすると護兵に言われ、「うるせェ若造」とのやりとりは、見なかったことにした。


「おや、破浪ポーラン。最近よく会うじゃないかさ。まさか、うちのおこぼれを狙おうってのかい?」


 高く引きつらせた、皮肉に満ちた笑声。視界の外から聞こえた声に、聞き覚えがあった。

 見ればやはり、黒蔡ヘイツァイ一家の夫婦だ。護兵の天幕から出るところで、破浪ポーランと向き合っている。


「いや? 暇が惜しいんだろ。俺も今日は急いでる、早く行きなよ」


 開いて干したイカのごとく、平面な破浪ポーランの声。

 関わりたくないのは分かるが、悪手だろう。そう予測した通りに、夫のほうが破浪ポーランに詰め寄る。


「なんだぁ、木偶の坊。あたしの女房に言い掛かろうってのか」

「どこが? あんたたちの用が済んだなら、早く行けって言っただけだよ」


 見上げて睨む黒蔡ヘイツァイに、破浪ポーランは応じない。返答も視線も、天幕の脇へ立つ護兵に向けられた。


 迷宮の奥底へ潜るふた組のいざこざに、春海チュンハイと同年くらいの護兵は、どんな気分でいるものやら。

 役目に殉じた鋭い目をしても、すぐには何を言うでもない。


「……覚えときな」


 護兵より先に、黒蔡ヘイツァイが退いた。道を開け、鉄門へ向かう。「何だい何だい」と喚く、妻の手を引いて。

 目で追うと、鉄鎧の男と合流した。偉浪ウェイランが通った時には居なかったはずが、今は門のところで待っていた。

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