第30話:重い依頼

「それで実は、頼みは私でないのです」


 若い男は遠慮がちに声を窄め、喩えでなく腰と頭も低くした。

 しかしうらはらに破浪ポーランの手を強く引き、どこかへ連れて行こうとする。


 破浪ポーランに抵抗する素振りはなかった。

 相手は羽振りが良さそうというほか、平々凡々とした風体だ。彼が警戒する理由はなかろうし、仕事となれば羽振りの部分が重要なのかもしれない。


「あの。どこへ?」


 気づいた時には、男の手首へ触れていた。相手はいかにも慌て、手を引っ込める。

 改めて、男は拝礼で答えた。


「あっ。その、そうですね。事情を何も話さずでは失礼でしょう。とは言え私も使いの身で、詳しくは」

「いえ別に失礼ってことも」


 やんわりと手を振って否定した破浪ポーランの目が、ちらと春海チュンハイに向く。

 案内されてから聞いても同じなのに、どうした。と、おそらくそんな風に考えている。


「使いと言いますのは、私どもの商店が世話になっている、ご婦人のことです。その方のお子様が、予定の日を過ぎても帰ってこないと」

「それを捜して、連れて帰れって? どの辺りまで潜ったのかな」


 探しものと言っていたが、実は人間だったらしい。破浪ポーランは気にした様子もなく、掘り下げようとした。

 しかし男は、首を横に振る。


「いえそれが、ご婦人は取り乱していらっしゃいまして。とにかく助けを、と段取りを進めておるところなのです」

「じゃあやっぱり、その人に聞くのが早いですね」


 恐縮した男が「そうなります」と頭を下げたので、最拝礼に近い格好となった。


「気にしないで。行きましょう」


 気の毒に思ったのか、破浪ポーランは男の腕を軽く叩き、歩き始めた。先ほど男が連れようとした方向に。


「私も行く」


 破浪ポーランにより、若い男に対して言った。屍運びの悪名も知らぬように見えるこの男は、ぽかんと返答に窮した。

 けれども数拍ほどで「もちろんです」と、破浪ポーランの進む前へ走って行った。


「どうかした?」


 せかせかと歩む男を五、六歩先に眺め、破浪ポーランは普段の声で問うた。

 春海チュンハイは隣を歩くのだ、もう少し慎んで言えないのかと不満に思う。


「どうもしないわ。あなたを良く思わない人も多いって知ったから、警戒しただけよ」

「どうもしてるね。そんな心配は要らないと思うけど」


 声を潜めると、破浪ポーランも同じく返した。言葉の通りに案じる節もない口調では、からかわれたようにも聞こえるが。


「まあでも春海チュンハイに心配してもらえるのは、ありがたいよ」


 男は広い通りを選んだ。見失うこともなさそうだが、破浪ポーランの目は主にその背を見つめる。


(そう言うなら、少しは嬉しそうな顔をしたら?)

 決して不機嫌ではないが、笑みの欠片も見つけられない。不安がられても困るが、動じぬ彼を見ていると、面白くなかった。


「心配なんてしてないわ。もしもあなたが罠に嵌められて、死ぬようなことがあったら困るのよ」


 そうだ、そうなれば使命を果たせない。と、自身の感情と関係ないことを強く胸に唱えた。


「またそれは極端だね。でも嬉しいよ」


 ふっ、と。鼻に抜けた笑声が頭に降りかかる。ちょうど春海チュンハイも前を向いた時で、破浪ポーランを見ていなかった。

 急いで見上げる。が、彼はこちらを見ていない。案内をする男の背中に、色も温度も感じぬ視線をただ向け続けた。


 それから男が足を止めるまで、何も話さず歩いた。気まずさを覚えても、他にとなると話題が思い浮かばない。

 強いて口から出したと言えば、もやとしたため息だけだ。


「こちらです」


 男は足を止め、振り向いた。

 概ね、僧院のあるほうへやって来た。破浪ポーランのボロ小屋など何十棟を呑み込むかという屋敷ばかりが集う界隈らしい。


 男の手が、目の前の一軒を示す。朱の門、朱の梁、金色の支え木。近隣と比べれば小ぢんまりとしたが、それでも部屋数は十を下るまい。


 男は躊躇なく門をくぐった。開きっぱなしの正面扉も。

 堂々と着いていく破浪ポーランを見ていると、案内の男のほうが使用人に思える。


(そう言えば、変な感じ)

 これだけの家ならば、来客を待つ専門の使用人くらいは居そうなものだ。けれども現実には、中庭を抜けても誰にも出会わない。

 調度の揃った部屋と、何もないがらんとした部屋と。幾つか行き過ぎ、ようやく人の声が聞こえた。


「屍運びのお方をお連れしました」


 案内の男が、やはり開け放しの扉の奥に拝礼を向けた。

 破浪ポーランが屍運びとは知っているようだが、街の悪評と結びついていないのか。銭持ちとは、そういうものかもしれないけれども。


「おお、早う早う」


 年配の男の声がした。案内の男は「さあ」と破浪ポーランを促し、一歩先を進む。

 斑に黒い背中に隠れ、春海チュンハイも。奥を窺い、時に後ろへ睨みを利かせて。


夫人おくさん、来ましたよ」


 家族用の居間なのだろう。最奥に屏風の立つ他は、衝立の一つもない。

 二、三人でちょうどの円卓と、籐編みの椅子が三つ。揺り籠にもなりそうなゆったりとした一脚に、六十周りの女が座った。


 春海チュンハイよりも小柄で、髪は染めたように総白髪。上品な黄の着物が、少し乱れた。

 半ば卓へ突っ伏し、泣き腫らした顔を上げる。丸々とした表情のどこか、見覚えがあった。


 四十過ぎくらいの恰幅のいい男と、二十歳過ぎの女が二人。都合三人が両脇に立ち、上体を起こした夫人を支える。


「あの夫人が」


 と案内の男は断り、部屋を出ていった。頷いた破浪ポーランが、卓の寸前まで進み出る。


「で、俺は何をすれば?」


 右の拳を左手の平に隠し、形だけは拝礼のごとく。春海チュンハイと話すのと、まるで口調が変わらない。

 案の定、中年男の眉がひくと揺れる。


 しかし咳払い一つで、元通りに夫人を案ずる表情へ戻った。「よろしいですか?」と男が尋ねると、夫人は苦しげに頷く。


「こちらの夫人のお子様が、迷宮から帰らん。五日か六日で戻る予定だったが、今日で九日だ」

「へえ、すると三階層辺りかな。新参なら——いや何でもない」


 三階層と聞くと、破浪ポーランの言いかけたことに予想がついた。

 まだ千の手がうろついていたならば、新参者ではどうもできない。


「新参ということもないが、母思いの兄弟でな。危険の少ない浅い階で仕事をしていたそうだ」


 また咳払い。なぜか気まずげに、中年男は夫人をちらちらと見遣る。

 夫人は疲れた顔を揉みほぐすように涙を拭い、代弁にいちいち頷いた。


「兄弟?」


 僅か、破浪ポーランの声が怪訝に低まる。

 厭な感覚だ。足下から急に、寒気が渦を巻いた気がした。


 中年男も首を動かした。頷くというより、分かるだろと察することを求めて。

 大きく、破浪ポーランが息を吸う。春海チュンハイも息苦しく、震える喉に風を通した。


「そいつらの名前は」

飛龍フェイロン小龍シャオロンだ」

 

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