第30話:重い依頼
「それで実は、頼みは私でないのです」
若い男は遠慮がちに声を窄め、喩えでなく腰と頭も低くした。
しかしうらはらに
相手は羽振りが良さそうというほか、平々凡々とした風体だ。彼が警戒する理由はなかろうし、仕事となれば羽振りの部分が重要なのかもしれない。
「あの。どこへ?」
気づいた時には、男の手首へ触れていた。相手はいかにも慌て、手を引っ込める。
改めて、男は拝礼で答えた。
「あっ。その、そうですね。事情を何も話さずでは失礼でしょう。とは言え私も使いの身で、詳しくは」
「いえ別に失礼ってことも」
やんわりと手を振って否定した
案内されてから聞いても同じなのに、どうした。と、おそらくそんな風に考えている。
「使いと言いますのは、私どもの商店が世話になっている、ご婦人のことです。その方のお子様が、予定の日を過ぎても帰ってこないと」
「それを捜して、連れて帰れって? どの辺りまで潜ったのかな」
探しものと言っていたが、実は人間だったらしい。
しかし男は、首を横に振る。
「いえそれが、ご婦人は取り乱していらっしゃいまして。とにかく助けを、と段取りを進めておるところなのです」
「じゃあやっぱり、その人に聞くのが早いですね」
恐縮した男が「そうなります」と頭を下げたので、最拝礼に近い格好となった。
「気にしないで。行きましょう」
気の毒に思ったのか、
「私も行く」
けれども数拍ほどで「もちろんです」と、
「どうかした?」
せかせかと歩む男を五、六歩先に眺め、
「どうもしないわ。あなたを良く思わない人も多いって知ったから、警戒しただけよ」
「どうもしてるね。そんな心配は要らないと思うけど」
声を潜めると、
「まあでも
男は広い通りを選んだ。見失うこともなさそうだが、
(そう言うなら、少しは嬉しそうな顔をしたら?)
決して不機嫌ではないが、笑みの欠片も見つけられない。不安がられても困るが、動じぬ彼を見ていると、面白くなかった。
「心配なんてしてないわ。もしもあなたが罠に嵌められて、死ぬようなことがあったら困るのよ」
そうだ、そうなれば使命を果たせない。と、自身の感情と関係ないことを強く胸に唱えた。
「またそれは極端だね。でも嬉しいよ」
ふっ、と。鼻に抜けた笑声が頭に降りかかる。ちょうど
急いで見上げる。が、彼はこちらを見ていない。案内をする男の背中に、色も温度も感じぬ視線をただ向け続けた。
それから男が足を止めるまで、何も話さず歩いた。気まずさを覚えても、他にとなると話題が思い浮かばない。
強いて口から出したと言えば、もやとしたため息だけだ。
「こちらです」
男は足を止め、振り向いた。
概ね、僧院のあるほうへやって来た。
男の手が、目の前の一軒を示す。朱の門、朱の梁、金色の支え木。近隣と比べれば小ぢんまりとしたが、それでも部屋数は十を下るまい。
男は躊躇なく門をくぐった。開きっぱなしの正面扉も。
堂々と着いていく
(そう言えば、変な感じ)
これだけの家ならば、来客を待つ専門の使用人くらいは居そうなものだ。けれども現実には、中庭を抜けても誰にも出会わない。
調度の揃った部屋と、何もないがらんとした部屋と。幾つか行き過ぎ、ようやく人の声が聞こえた。
「屍運びのお方をお連れしました」
案内の男が、やはり開け放しの扉の奥に拝礼を向けた。
「おお、早う早う」
年配の男の声がした。案内の男は「さあ」と
斑に黒い背中に隠れ、
「
家族用の居間なのだろう。最奥に屏風の立つ他は、衝立の一つもない。
二、三人でちょうどの円卓と、籐編みの椅子が三つ。揺り籠にもなりそうなゆったりとした一脚に、六十周りの女が座った。
半ば卓へ突っ伏し、泣き腫らした顔を上げる。丸々とした表情のどこか、見覚えがあった。
四十過ぎくらいの恰幅のいい男と、二十歳過ぎの女が二人。都合三人が両脇に立ち、上体を起こした夫人を支える。
「あの夫人が」
と案内の男は断り、部屋を出ていった。頷いた
「で、俺は何をすれば?」
右の拳を左手の平に隠し、形だけは拝礼のごとく。
案の定、中年男の眉がひくと揺れる。
しかし咳払い一つで、元通りに夫人を案ずる表情へ戻った。「よろしいですか?」と男が尋ねると、夫人は苦しげに頷く。
「こちらの夫人のお子様が、迷宮から帰らん。五日か六日で戻る予定だったが、今日で九日だ」
「へえ、すると三階層辺りかな。新参なら——いや何でもない」
三階層と聞くと、
まだ千の手がうろついていたならば、新参者ではどうもできない。
「新参ということもないが、母思いの兄弟でな。危険の少ない浅い階で仕事をしていたそうだ」
また咳払い。なぜか気まずげに、中年男は夫人をちらちらと見遣る。
夫人は疲れた顔を揉みほぐすように涙を拭い、代弁にいちいち頷いた。
「兄弟?」
僅か、
厭な感覚だ。足下から急に、寒気が渦を巻いた気がした。
中年男も首を動かした。頷くというより、分かるだろと察することを求めて。
大きく、
「そいつらの名前は」
「
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