第29話:束の間の日常

「二日に一度は、お買い物に行くわ」

「どうぞ?」

「あなたも行くのよ」


 そう決めた時、破浪ポーランは渋く顔を歪めた。が、反論もなかった。


「そんなに毎回、買う物なんてないよ」

「一度に買う量を減らせばいいわ。本当にないとして、福饅頭を一個だけでもね」

「まあいいけど」


 交渉が成って、既に三度目。破浪ポーランは嫌がることもなく、食料街を着いて歩いた。

 どころか買う物の選択も春海チュンハイに任せ、「楽でいいや」と言い始めた。


「その黒い着物。格好いいと思うけど、たまには違うのも着てみたら?」

「これ? 父さんの知り合いが作ってくれててね。不義理はできないよ」


 生地売りの行商人が、露店を出していた。思いつきのふりで着替えを勧めたものの、断念せざるを得ない。


「——じゃあ仕方ないわね」


 連れ合って街を歩き、気づいたことがある。

 一つは破浪ポーランが、思ったより多くの銭を持っていること。


 おそらく杭港ハンガンでも最も貧しい者たちが集うボロ小屋へ住みながら、彼の銭入れには金色が入っている。

 覗くつもりもなかったが、ふとした拍子に見つけた。


 もう一つは、破浪ポーランが買い物をできる店は限られている。

 そもそも彼を知らない行商人なら、断られることはない。しかしこの町に根付く商人のおよそ三割は、姿を認めただけで商品を隠してしまう。


 残り七割の半分ほども、「悪いけど」と取り引きを断られた。春海チュンハイ破浪ポーランの連れと確認した上で。


(こんなだから、出かけるのが億劫になるのかも)

 金払いはいい。「私が払う」と言っても、ほとんどは払わせて貰えないくらいに。

 するとやはり屍運びとしての不気味さが、敬遠されていると思った。


 買い物へ出ず、他に街を歩くこともない。そのために、あいつらどうやって食ってるんだと悪い方向へ噂も立つ。

 この悪循環を、どうにかしたかった。


「なんでそんなに世話を焼きたがる? 父さんだけならまだしも、俺のことまで」

「どうしてお父様は、まだしもなのよ」


 春海チュンハイが持つのに良かろうと買った竹籠を、破浪ポーランが抱えて隣を歩く。

 ふんだんに花のあしらわれた籠を手に提げるのは、恥ずかしいようだ。


「きみはすぐ、長幼だの礼尊だの言うから。どうしたって父さんは年長者だろ」

「あなたをさておく理由になってないわ」


 年長者を敬え。どんな相手にも礼儀を尊べ。ジンで重んじられる心構えを、それほど口にしただろうか。

 しかし間違ってはいない。正解でもなかったが。


 竹籠に、福饅頭が二つ。行商人の売っていた、見たことのない赤い酒が一本。

 街の人に彼を見せびらかすには、まだ足りなかった。わざと遠回りで、ゆっくりと進む。


「そりゃあ、きみには使命とやらがあるだろ」

「そうね。でも私自身が、あなたをどうこう思ってるわけじゃない。人間は悪くないのに、あんな唄でまで蔑まれるのは気分が良くないわ」


 ごまかす必要もない、本心だった。

 言いわけも不能な何かを破浪ポーランがしでかしたなら、やむないこともあろう。

 だが少なくとも町の人々に、とやかく言われる男でない。


「もしあなたが飛竜フェイロンを愚か者って言っても、あなたはそう思うのねとしか私は考えない」

「愚か者じゃないけどね」

「知ってる。そんなこと、あなたが言わないってことも」


 遥か西の山々へ、天道が進む。陽の翳るには、いましばらくの頃合いだ。

 当てなく歩いたが、街並みを抜けて浜へ出た。ボロ小屋からは離れて、点にしか見えない。


「ええ、神様があなたを悪と言うんだもの、疑わないわ。だけど、どこがどう悪いのか、私が直に見たわけじゃない。あなたを貶したり嫌ったりは、自分でたしかめてからよ」


 これはきっと、神の教えに背いていないはず。確証はなかったが、確信を持って頷く。

 僧院で問えば、直ちに答えを得られる。けれどもそうするのは、結論を見届けてから。実は間違いだったとして、構わないと思った。


「へえ」

「へえ、って」


 人ごとのように言い、彼はあくびをした。いや春海チュンハイの使命に対する気持ちを話したのだ、人ごとに違いなかった。

(でもそんな、つまらなそうにしなくても)


 やはり僧たる自分とは、根底から違うのか。共感があるとは思わなかったが、どうも当て・・の外れた心持ちがした。

 その当てとは何か。考えると、春海チュンハイも首をひねらざるを得ない。


「俺は神様に認められた悪党なんだ、って思っただけだよ。まあジンそのものに関わるらしいし、納得もするけど」


 これから帰って昼寝でもしよう、というくらいの何でもない口調で破浪ポーランは言った。

 ゆえに春海チュンハイも「そうね」と、ほぼ返答をした。


 しかし、重要なことを言われた気がした。彼の口から出るはずのない内容を聞いてしまったように思う。

(いえ聞こえたわ、神様に認められた悪党って。ジンそのものに関わるって)


「え……?」


 自然、足が止まる。破浪ポーランは三歩を進んでから、振り返った。


「どうした?」

「私、言った? 神宣のこと。ジンが危ういって」


 使命について、義海イーハイは言った。他の誰にも洩らしてはならない、と。


「聞いたよ、神様が言ったって。ジンに関しては、最初に会った時だね」

「ええっ……」


 呻くしか、声がない。

 絶対に洩らさないと誓って来たが、それでも洩らした場合はどうなるのだろう。

 まさか神の怒りが、春海チュンハイのうっかりによってもたらされるのか。


「あれ、言っちゃ駄目だった? それなら俺、聞かなかったことにするよ」


 気遣いのつもりか破浪ポーランは、あさっての空を向いて「何の話だったっけ」などととぼける。

 抑揚の薄い彼が言うと、本当に記憶を失ったかにも思えた。


「ううん、他の誰にも言うなって。でも聞いたものをなかったことにできないわ」


 仕方ない、では済まない。

 とは言え、なかったことにできず、対処のしようもない。無責任を痛感しつつ、成り行きに任せるしかなかった。


「なんだ。俺は当事者なんだから、他の誰かじゃないね」


 自嘲にも見える薄い笑みで、破浪ポーランは手を伸ばした。

 心配するなと言ってくれるのはありがたいが、手を握り返す気にはなれない。


「ほら。そいつも大丈夫だってさ」

「え?」


 不意にさされた指が、春海チュンハイの首に向いていた。

 手を持っていくと、ひやとした鱗の感触がある。背負い袋に居たはずのファンが、いつの間にか首を巻いていた。


「うん。言ってしまったものはどうしようもないわ」


 整理はつかなかったが、覚悟を決めた。

 素より春海チュンハイに、全てがかかっているのだ。任せた人間の不手際くらい、いちいち咎めるなどすまい。


「きみは大抵のことをよくするし、真面目だけど。すっぽ抜けてることもよくあるね」


 なぜか褒められた、と思った次には貶された。

 抗議しようとした瞬間、さっと握られた手が強く引かれた。


「きゃっ! どうしたの、いきなり走って」

「いや。それが可愛いと思っただけさ」

「どういう関係があるの」


(子どもみたいってこと?)

 可愛いとは、そういう意味に違いない。むっと憤りの表情を作り、睨みつけた。が、ボロ小屋へ向いて走る彼は気づかなかった。


 この男の考え方に異を唱えても、どうせ聞き入れはしない。諦めと共に「そこが面白い人よね」と呟いた。


「ねえ。誰か待ってない?」


 さほどの距離でなかったが、砂を走るのは息が切れた。しかし破浪ポーランは速度を合わせ、手を繋いで走り続ける。

 ボロ小屋の前に若い男が、思案顔で佇むのを目にしても。


「何かご用ですか」


 やはり男は破浪ポーランの住み処の前に居た。構わず話しかけるのを「ちょっと」と、咎める声で手を引き剥がす。


「あ、あの。迷宮で探しものをしてくれると聞いたのですが」


 若い男。と言っても、破浪ポーランより少し年長に見えた。

 派手でないが良質の着物を纏い、程よく肉がついている。およそ大きな商人の息子、と当たりを付けられた。


「ええ。俺がそうです」

「ああ良かった! 戸を開けさせてもらったのですが、どなたか眠っているだけだったので」


 縋るように、男は破浪ポーランの手を取る。

(迷宮へ入るのね)

 何から話すか、男が言葉に迷う様子を眺めつつ、春海チュンハイは心に氷を落とした。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る