第29話:束の間の日常
「二日に一度は、お買い物に行くわ」
「どうぞ?」
「あなたも行くのよ」
そう決めた時、
「そんなに毎回、買う物なんてないよ」
「一度に買う量を減らせばいいわ。本当にないとして、福饅頭を一個だけでもね」
「まあいいけど」
交渉が成って、既に三度目。
どころか買う物の選択も
「その黒い着物。格好いいと思うけど、たまには違うのも着てみたら?」
「これ? 父さんの知り合いが作ってくれててね。不義理はできないよ」
生地売りの行商人が、露店を出していた。思いつきのふりで着替えを勧めたものの、断念せざるを得ない。
「——じゃあ仕方ないわね」
連れ合って街を歩き、気づいたことがある。
一つは
おそらく
覗くつもりもなかったが、ふとした拍子に見つけた。
もう一つは、
そもそも彼を知らない行商人なら、断られることはない。しかしこの町に根付く商人のおよそ三割は、姿を認めただけで商品を隠してしまう。
残り七割の半分ほども、「悪いけど」と取り引きを断られた。
(こんなだから、出かけるのが億劫になるのかも)
金払いはいい。「私が払う」と言っても、ほとんどは払わせて貰えないくらいに。
するとやはり屍運びとしての不気味さが、敬遠されていると思った。
買い物へ出ず、他に街を歩くこともない。そのために、あいつらどうやって食ってるんだと悪い方向へ噂も立つ。
この悪循環を、どうにかしたかった。
「なんでそんなに世話を焼きたがる? 父さんだけならまだしも、俺のことまで」
「どうしてお父様は、まだしもなのよ」
ふんだんに花のあしらわれた籠を手に提げるのは、恥ずかしいようだ。
「きみはすぐ、長幼だの礼尊だの言うから。どうしたって父さんは年長者だろ」
「あなたをさておく理由になってないわ」
年長者を敬え。どんな相手にも礼儀を尊べ。
しかし間違ってはいない。正解でもなかったが。
竹籠に、福饅頭が二つ。行商人の売っていた、見たことのない赤い酒が一本。
街の人に彼を見せびらかすには、まだ足りなかった。わざと遠回りで、ゆっくりと進む。
「そりゃあ、きみには使命とやらがあるだろ」
「そうね。でも私自身が、あなたをどうこう思ってるわけじゃない。人間は悪くないのに、あんな唄でまで蔑まれるのは気分が良くないわ」
ごまかす必要もない、本心だった。
言いわけも不能な何かを
だが少なくとも町の人々に、とやかく言われる男でない。
「もしあなたが
「愚か者じゃないけどね」
「知ってる。そんなこと、あなたが言わないってことも」
遥か西の山々へ、天道が進む。陽の翳るには、いましばらくの頃合いだ。
当てなく歩いたが、街並みを抜けて浜へ出た。ボロ小屋からは離れて、点にしか見えない。
「ええ、神様があなたを悪と言うんだもの、疑わないわ。だけど、どこがどう悪いのか、私が直に見たわけじゃない。あなたを貶したり嫌ったりは、自分でたしかめてからよ」
これはきっと、神の教えに背いていないはず。確証はなかったが、確信を持って頷く。
僧院で問えば、直ちに答えを得られる。けれどもそうするのは、結論を見届けてから。実は間違いだったとして、構わないと思った。
「へえ」
「へえ、って」
人ごとのように言い、彼はあくびをした。いや
(でもそんな、つまらなそうにしなくても)
やはり僧たる自分とは、根底から違うのか。共感があるとは思わなかったが、どうも
その当てとは何か。考えると、
「俺は神様に認められた悪党なんだ、って思っただけだよ。まあ
これから帰って昼寝でもしよう、というくらいの何でもない口調で
ゆえに
しかし、重要なことを言われた気がした。彼の口から出るはずのない内容を聞いてしまったように思う。
(いえ聞こえたわ、神様に認められた悪党って。
「え……?」
自然、足が止まる。
「どうした?」
「私、言った? 神宣のこと。
使命について、
「聞いたよ、神様が言ったって。
「ええっ……」
呻くしか、声がない。
絶対に洩らさないと誓って来たが、それでも洩らした場合はどうなるのだろう。
まさか神の怒りが、
「あれ、言っちゃ駄目だった? それなら俺、聞かなかったことにするよ」
気遣いのつもりか
抑揚の薄い彼が言うと、本当に記憶を失ったかにも思えた。
「ううん、他の誰にも言うなって。でも聞いたものをなかったことにできないわ」
仕方ない、では済まない。
とは言え、なかったことにできず、対処のしようもない。無責任を痛感しつつ、成り行きに任せるしかなかった。
「なんだ。俺は当事者なんだから、他の誰かじゃないね」
自嘲にも見える薄い笑みで、
心配するなと言ってくれるのはありがたいが、手を握り返す気にはなれない。
「ほら。そいつも大丈夫だってさ」
「え?」
不意にさされた指が、
手を持っていくと、ひやとした鱗の感触がある。背負い袋に居たはずの
「うん。言ってしまったものはどうしようもないわ」
整理はつかなかったが、覚悟を決めた。
素より
「きみは大抵のことをよくするし、真面目だけど。すっぽ抜けてることもよくあるね」
なぜか褒められた、と思った次には貶された。
抗議しようとした瞬間、さっと握られた手が強く引かれた。
「きゃっ! どうしたの、いきなり走って」
「いや。それが可愛いと思っただけさ」
「どういう関係があるの」
(子どもみたいってこと?)
可愛いとは、そういう意味に違いない。むっと憤りの表情を作り、睨みつけた。が、ボロ小屋へ向いて走る彼は気づかなかった。
この男の考え方に異を唱えても、どうせ聞き入れはしない。諦めと共に「そこが面白い人よね」と呟いた。
「ねえ。誰か待ってない?」
さほどの距離でなかったが、砂を走るのは息が切れた。しかし
ボロ小屋の前に若い男が、思案顔で佇むのを目にしても。
「何かご用ですか」
やはり男は
「あ、あの。迷宮で探しものをしてくれると聞いたのですが」
若い男。と言っても、
派手でないが良質の着物を纏い、程よく肉がついている。およそ大きな商人の息子、と当たりを付けられた。
「ええ。俺がそうです」
「ああ良かった! 戸を開けさせてもらったのですが、どなたか眠っているだけだったので」
縋るように、男は
(迷宮へ入るのね)
何から話すか、男が言葉に迷う様子を眺めつつ、
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