第28話:妥協はしない
「死ぬかと思ったわ」
双龍兄弟を見送った、翌々日。
朝から
ともかく彼を、家から離したかった。
「俺がぐうたらしてたって、きみが退屈で死んだりはしないだろ。それに嫌なら、一人で散歩にでも行けば良かったのに」
「私は忙しいの。天界の三神だけじゃなく、冥土の
これまでの人生、あれほど寝たきりの人間を見たことがない。病人を除いては。しかも二日、連続で。
ずっと動き回れと言うつもりもなかった。物作りの職人でも、昼までしか作業をしないような者は居る。
一日のどこで、どのように、何に注力するかは人それぞれで良い。
稼業でも家事でも、自身を気遣っての散歩でも。とにかく動かなくては、きっと身体が腐ってしまう。
「でもあなたを見てたら、私もまだ怠けすぎじゃないかって思えてくるのよ」
「それは
「良くない」
手を引き、先日も行った賑やかな通りへ。抵抗するのは口だけで、
「おいしい福饅頭を教えてくれるんでしょ。それに食べ物だって買わなきゃ。頼む人が居ないと仕事もないのは分かるけど。懐が心細いなら、私が払うから」
(そんなことで、お返しにもならないけど)
健康を案じたのもたしかだが、命を救われた恩を少しでも返したかった。でなければ使命を果たすのにも、迷いを生みそうで。
「ねえ、お父様の好きな物は?」
「酒だね」
「それ以外よ」
本当のところ、
あれほど自在に迷宮を歩くのだ、義足だからと遠慮する必要はないだろう。それだけに、暇さえあれば酒を飲んで寝ているのが心配になる。
けれども寝言で「なんで俺の言うことを聞かねえ」と。壁越しに、あの声を何度も聞いた。
誰に向けた言葉か。何だか怒りの陰に、悲しさの見える気がしてならない。
なおさら誘うべきだったが、言えなかった。
「何だろうね、空腹は動けなくなるから嫌いだって聞いたことがあるけど。そうでなけりゃ何でもいいって」
好みが云々という以前の答え。
戦いの疲れを酒で癒やす日々がそう思わすのか。そもそもの価値観が戦いに駆り立てるのか。
人通りの増していく中、
「迷宮以外の道はないの?」
思いもしなかった言葉が口を衝いた。
死を商売の道具とした仕事が良くないなら、辞めればいい。
今まで候補にも思いつかなかったものが、最善の策と感じた。
「うん?」
「屍運びや探索者でなくたって、他に仕事はあるでしょ。飯屋さんを開きたいって言ってなかった?」
立ち止まり、振り返る。
ちょうどこの辺りだ。双龍兄弟と話す中で、
「そうしたら、
感情の読めない顔を傾ける男に、少しばかり苛とした。
(死なずに済むのを喜ぶとか、残念がるとか。色々あるでしょうに)
「分からない。でももう
それで済む話なら、まずはそう仕向けよと
手を繋いだまま、彼は
威勢よく、荷車が向かってきた。避けなければと手を引けば、
なぜか笑って。
「そういえば忘れてたよ」
「何?」
人の流れから外れた横道で、
銭入れを取り出し、銀銭を十枚数えた。この男なら、
「迷宮へ潜った分け前。一昨日、広場で待ってもらってる間に、報酬の残りを貰ったんだ」
「えっ。あんな状況で、依頼を果たしたの? それに私は着いていっただけよ」
「いいんだよ。手伝ってもらったのに変わりないし」
当然のように頷き、握った拳が受け取れと突き出された。
応じねばそのまま地面へばら撒きそうで、仕方なく両手を揃えて皿を作った。
「それに千の手まで呼び寄せて、むしろ迷惑をかけたわ」
「名人と呼ばれる職人だって、最初は失敗しか作れなかったよ」
(それは喩えが違うと思うけど)
往来で剥き出しの銭が恐ろしい。しかしそのまま収めるわけにもいかない。
「それにしたって十枚じゃ、あなたたちの分がないじゃない」
「いや? 頼まれた通り、死んだ人の持ち物を一つ。三階層まで行ったから、銀銭三十枚。一人分だろ?」
「ああ、そう数えるのね」
計算は合う。ならば余計な問答は後回しに、銭を見えなくするのが先だ。
「あれ。でも準備した物を考えたら、損じゃない」
祝符だけでも、十枚で銀銭十枚だった。彼が何枚買ったか見ていないが、他に食料や油などを用意したはずだ。
しかし気づいても、また銭入れを出す気にはなれない。やはり彼の買い物を肩代わりすることで返そうと誓う。
「そうそう。たぶん言うのを忘れてたけど、祝符は迷宮から出ると次は使えない。無駄にさせたのを補っただけで悪いね」
銀銭十枚あれば、きちんとした宿屋で一、二泊ができる。無駄にして惜しくないとは言わないが、ここで目くじら立てるほどでもない。
ただし祝符の件は気になった。
「そうなの? 何ヶ月も経った祝符が力の薄れるのは聞いたことがあるけど。迷宮へ持って入っただけで?」
「へえ。他がどうか知らないけど、
詳しく問うても、事情を把握してはいないらしい。また僧院へ行った機会に尋ねてみるしかないだろう。
「よし、福饅頭を買いに行こう」
進んでいた通りへ戻るのでなく、店があるとは
ぎゅっと、繋いだ手が力強い。あともう少し加減を間違えれば、痛みを堪えられまい。
指圧や按摩を意識してはいまいが、心地良い圧迫感だった。
「迷宮へ潜るのはやめないよ」
人通りの薄れていく中、聞こえたのは誰の声かと聞き流しそうになる。
だが紛れもなく
「父さんが迷宮へ入るのには、目的があるらしいんだ。それを遂げるまでは、俺から辞めようって言うことはない」
何と答えるべきか、正解の見当がつかない。三十程も数えられる間を空けて、ひと言を零すのがようやくだ。
「……そう」
あと何日。
この男の手に触れ、福饅頭の店はいくつ教えてもらえるだろう。
きっと次の依頼者が訪れ、また迷宮に潜るまでだ。
(そうしなきゃ、私が無理だわ)
勝算は何もない。けれど自分を追い込むことで、終わらせようと誓った。
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