第26話:過去

「ねえ、もし、もしもね。知っていたらでいいんだけど、偉浪ウェイランの足はいつから?」


 問うか否か、迷った。言いかけて詰まった喉を、茶でこじ開けるのを何度か繰り返した。


「んん? さあ、知らねえな。杭港ハンガンへ来て五、六年になるが、もうその時にはだ」

「そう——」


 答えて飛龍フェイロンは、酒盃を卓へ置いた。僅かながら飛沫が散り、彼の声も低まった。


「知ってても答えなかったがな。偉浪ウェイランが自分で武勇伝にするならともかく。足をとられたなんざ、こっちから聞くもんじゃねえ」


 そんなことを言われるかも、とは覚悟していた。春海チュンハイ自身、不在の場所での噂話など好みでない。

 だが聞かねば、当人や破浪ポーランに問う勇気が持てそうになかった。


「うん、分かる。だけど偉浪ウェイランが毒の矢を受けたのは私のせいなの。自分の身は自分で守れって言われてたのに……」


 俯く春海チュンハイを前に、飛龍フェイロンは剃った頭を掻き毟る。弟に向けられた目配せは、救援の依頼に違いない。


偉浪ウェイランほどの男のしたことだ。危うく見えても、十分以上に勝算があったんだろうぜ。もし見込み違いがあったとして、何を春海チュンハイが知ってようが変わらねえよ」

「そう、ね」


 小龍シャオロンの言い分に、否定する点はない。

 しかしそれでも。自己満足と思い知っても、どうにか理解したいと思った。


 ではなぜそこまで知りたいのか。とも、自身のことながら疑問に感じた。

 (破浪ポーランを死なせることに、引け目を感じているのかも)

 そう仮定してみたが、どうもしっくりこなかった。


「うん、困らせてごめんなさい。知らないものは答えられないものね」

「まあ、食えよ」


 考えても、答えは降ってこない。諦めて顔を上げると、料理の皿が突き出された。

 きっと鶏を素揚げにした物だ。ひと口大の作る山から、ありがたく一つを摘んで口に投げ入れた。


「あれ、飛龍フェイロン小龍シャオロンも」


 思った以上に熱の残った素揚げに、口腔の自由を奪われた。よりにもよってそんな中、待ちわびた声が聞こえた。

 恥ずかしさに、逆の方向へ顔を背ける。


「悪いね、思ったより手間を食って」

「オレたちゃ、ちょっかいをかけてただけだ」


 そうだなと破浪ポーランの苦笑する間に、あれこれを鶏肉と共に飲み込む。

 茶で口を漱ぎ、両手で顔を整え、誰もすぐに怒ったふりと分かる声を調整した。


「待ちくたびれたわ。変な人に絡まれたし」

「ええっ?」


 破浪ポーランは一人だった。

 見張った目が、双龍兄弟に注がれる。半分睨んだような怪訝な視線が何か、理解するのに数拍を要した。


「違うわ、二人が助けてくれたの」

「いや違わねえ。どうやって春海チュンハイをからかうか、これからってとこだ」

「もう、そんなこと」


 素よりない話が、ややこしくなる。非難の声を上げると、飛竜フェイロンは意味ありげに笑った。小さく、にやりと。


「そりゃあ俺も見せてもらわないと。春海チュンハイには言い負かされてばかりだ」

「いつよ」


 破浪ポーランが表情を緩ませたのは、冗談に冗談をかぶせただけ。理解して、怒ったふりを続ける。さらに彼は「怖い怖い」と言いつつ、おもむろに飛竜フェイロンの隣へ腰を下ろした。


 (隣に来てくれないと、話しにくいじゃない)

 偉浪ウェイランの足について、諦めたはずだ。だが四人でちょうどの卓でも、対角になったことに不満を覚えた。

 席を譲れと小龍シャオロンに言うほどではなかったが。


「おい破浪ポーラン。お前、いつから迷宮に潜ってる」


 料理が足らなくなれば、その後は破浪ポーランが銭を出す。そう話がまとまり、空いた皿を酒盃代わりに酒が注がれた。

 もはや湯気の失われた酒の水面に破浪ポーランの唇が触れるより前、飛竜フェイロンは問うた。


「どうした、いきなり。手斧を握ったのは八年前かな、十歳だったはずだ」

「いや、どうもしねえ。オレたちが来てから六年ほどって、さっき話した。ついでに聞いただけだ」


 唐突ではあって、破浪ポーランが問い返すのも無理はない。飛竜フェイロンの答えも嘘でなかったが、どうしたかと春海チュンハイも首を傾げた。


「十歳のガキを連れてか。行くお前もお前だが、親も親だな」

「まあな。でも父さんを見てたら、迷宮以外にやることなんて思いつきもしなかったよ」

「まあ親子で離れずに済むって利点はある」


 (まさか)

 飛龍フェイロンの意図を察し、肩を窄めるしかなかった。もういい、と春海チュンハイが止めれば、おかしな話になる。


「するとあれか、偉浪ウェイランの足はお前を庇ってか。それにしたって、相当の魔物だったんだろうが」


 己の恥部を突きつけられた心地で、固く目を瞑った。

 だからと耳を塞ぎはしない。自身の破廉恥さに顔が熱くなる。


「いや、どうだか知らないんだ。俺も気づいた時には、ああ・・なってた。赤ん坊の俺を背負って潜ってたらしいから、その時かもな」

「赤ん坊の時って——筋金入りか」


 答えは得られなかった。目論見が外れたことに、安堵の息を吐く。

 また意図せぬ情報が飛び出し、飛龍フェイロンと同じようには続ける言葉を見つけられない。


「しかし双龍兄弟が昔話とはな。もう引退を考える歳か?」

「馬鹿言え。オレたちゃ、ひ孫を背負ってでも現役だ。げははは」


 即答で笑い飛ばす飛龍フェイロンに、弟のほうは「ええ?」と、迷惑げな顔を作る。


「なんだてめえ」


 文句があるのか。という実力行使は、素揚げを投げつけて行われた。事前に稽古でもしているかという絶妙の間合いで、小龍シャオロンの口に素揚げが収まる。


「あははっ」


 笑うなと言われても無理だった。笑いの壺の底が抜けたがごとく、しばらく苦しい思いをした。


「孫どころか、兄者を待つような女は母ちゃんしか居ねえ。もうしばらくは付き合ってやるぜ」

春海チュンハイの隣を陣取って喜んでる奴に言われたかねえ」


 隣に座ることがどうだと言うのか。意味は分からなかったが、この二人を好ましく思う。

 だから素直に、そのままを言葉にした。


「私は待ってるわ」

「お?」

「いいのか春海チュンハイ、そんなこと」


 また面白いやり取りを見せてくれるのか。飛龍フェイロンがあからさまな喜色を見せ、小龍シャオロンは眉根を寄せて苦言めく。


「良くないの? 迷宮に入っても、怪我をせずに戻ってほしいわ。またこうやって、四人で食事ができたら楽しいもの」


 四人とは限らない。嫌うかもしれないが、偉浪ウェイランも来てくれればもっといい。双龍兄弟の母親はどうだろう。


 などと思いを巡らせていると、飛龍フェイロンが悲しそうに眉を下げた。反対に小龍シャオロンは堪えきれぬ風で笑い始め、破浪ポーランも続く。


「どうしたの?」


 わけが分からなかった。自分がおかしなことを言ったか、考えても思い当たらない。


「いや、何でもねえ。春海チュンハイに待ってるなんて言われちゃ、何があろうと戻ってこようって思えるぜ」


 力強く、飛龍フェイロンが腕に瘤を作って見せた。

 楽しい。感じたままが、声になった。


「ええ。私もずっとここに居たいわ」


 言って、「そいつは良かった」などと答えがあって。ふと気づいた。

 はっと、発言した唇を指で押さえた。

 自分に嘘は吐けない。許されるならずっと、たしかにそう思った。


 (そうね、楽しいわ。私の生きてきた短い月日が、本当に短かったと知れるくらい)

 認めて、それで終わりにした。もう二度と考えなければ、なかったことにできる。

 その為に、話題を変えなければならない。


「あっ、その。お、お母さんと言えば、破浪ポーランのお母さんは?」


 迂闊を重ねたことに、すぐには気づかなかった。問われた破浪ポーランが、薄く笑って答えたせいもある。


「俺の母さん? 知らないんだ。一度だけ父さんに聞いたことがあるけど、『さあな』って。良くない別れ方をしたのかな」


 赤子を負った父親が、危険な迷宮に入る。そこに平和な家庭の事情があろうはずもないのに、ずかずかと踏み込んだ。


「うん、ごめんなさい」


 呻くように、謝るのが精一杯だった。

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