第25話:理由

 飛龍フェイロンの片眉が、ぎゅっと持ち上がった。睨む目で、春海チュンハイの頭からつま先までを眺める。


「遭ったってんだ、引っかかったな。よく戻ったもんだ」

「え、ええ。どうにか」

「しかし破浪ポーランの奴ぁ、何してる。そんな春海チュンハイを放り出すとはよ」


 ふり、ではあろうが、飛龍フェイロンは周囲を見回した。ぐるぐると、剃った頭をしきりに動かして。


「いえ、お父様を。偉浪ウェイランを迎えに」

「ああ、足をやっちまったのか。それで済んだなら大したもんだが」


 春海チュンハイだけでなく偉浪ウェイランのことも。表情を渋く歪め、案じてくれるのが嬉しかった。

 口もとが、無意識に綻ぶ。釣られてか、飛龍フェイロンも笑声を含んだ鼻息を噴く。


「——いや、ちょっと待て。この前会ったのは二、三日前だよな」

「え? ええ、たぶん」


 急にまた、飛龍フェイロンは顔を変えた。思案げに春海チュンハイを見つめるが、何を悩むか当然に心当たりはない。


「千の手の居るような深層まで、どんな奇術を使って行った?」

「深層って、どのくらいを言うの? 普通にだと思うけど、三階層を一日進んだくらいのところ」

「三階層だと?」


 音を立てて、飛竜フェイロンは自身の頭を叩いた。そうすると良い思案ができるのか、円を描いて撫でまわす。

 視線はこちらを向くものの、透かして遠くを見ている様子だった。


 幾ぶんかの沈黙が過ぎ、言葉を重ねたほうが良いかと春海チュンハイが考え始めたころ。小龍シャオロンが戻ってくる。


「大変だ。たくさん持ちすぎて、卓に置けない」


 泣きべその風で、おどけた声。ただし大袈裟でもなく、小龍シャオロンの両には、それぞれ十以上も小皿が載った。


「どうやって載せたの」

「そりゃあ店主にな。でも面白がって、頼んでないのまで載せられた。儲けたぜ」


 降ろしてやると、兄と同じく大口を開け「げはは」と。見た目を怖ろしげとは今も思うが、憎めないと思った。


「どうした兄者。そうむっつりしてると、汚い顔が余計に見苦しい」

春海チュンハイがな。千の手に遭ったそうだ」

「はあ? 四日前、会ったばかりってのにか。そんな馬鹿な」


 同じ目鼻を同じように動かし、小龍シャオロンは驚きの表情を作る。


「馬鹿と言われても、本当よ。手招きはされなかったけど、とても寒くて。破浪ポーランが迷宮の入り口まで連れ出してくれたの」

「いや春海チュンハイは賢くて美人だ。馬鹿なのは兄者のほうでな」


 何食わぬ顔で、小龍シャオロン春海チュンハイと同じ長椅子へ座った。一瞬、飛龍フェイロンの目が鋭く向いたが何も言わない。


「千の手ってのは、十階層辺りまで下りなきゃ居ないはずだ。少なくとも、オレたちゃ聞いたことがねえ。そんな場所まで、いきなり連れて行ったかと思ったんだが」


 弟の運んだ酒盃を傾け、飛龍フェイロンは言った。同じく小龍シャオロンも、醤油の香ばしい料理を摘みながら頷く。


 この返答で、問おうとした幾つかは解決した。では次に何を、と考えていると、春海チュンハイにも酒盃が渡された。


 酒を飲んだことはないが、断るのも悪いと思った。

 ひと口かふた口程度なら。覚悟して口を付けると、中身は温かい茶だ。


「……破浪ポーランはとても心配してくれたの。彼にも予想外だったのね。三階層であれなら、あなたたちの潜る辺りはどんな場所かと思ったわ」


 いかめしい装飾のされた銅の酒盃から、茶を口に含む。角やら生えて見た目に飲みづらそうだったが、むしろ銅の口触りが優しかった。

 程良い温度の茶も、ほうっと柔らかな息を吐かせてくれる。


「魔物は段違いに強い。蟲やら獣だけじゃなく、屍鬼シゲも出るしな」

「屍鬼って、冥土に居る? 天に昇れず、地に還ることもできなかった魂が、肉体に戻って暴れるっていうあれよね」


 その屍鬼だ、と兄弟が揃って頷く。同じ動作を気まずげに、互いが一睨みで牽制する。

 しかし続けて酒盃を持つのも、それを卓へ置いて料理を手づかみするのも、また揃った。


「……まあ。言ったところで、規則ルールみたいなものはある。深くなるほど強くなるってのがそうだが。しかし千の手は、その規則の外だ」

「ああ。あれを倒したってのは、偉浪ウェイラン破浪ポーラン以外に居ねえ」


 驚いた。指さしただけで死ぬ思いをさす、あんな魔物を倒せるという事実に。

 それから双龍兄弟にその経験がなく、破浪ポーラン父子にはあることが。


「そんなに? 十二階層組って護兵の人が言ってたけど、あなたたちも強いんでしょう」

「オレたちが迷宮へ入る時、他に一人か二人、馴染みを連れてく。あの親子はいつも二人だけだ」


 多ければ良いものでもなかろう。だが飛龍フェイロンの言う以上、強さの証明になるようだ。


「どうして? 導人とか、探索者だからとかは関係ないんでしょう?」

「その二つは関係ない。あるとすれば奴らが唯一の、迷宮へ潜る屍運びだからだ」


 屍運びとは、地上へ戻った屍を故郷の町へ送り届けるのが本来。杭港ハンガンへ来て最初に、僧院で教わったことだ。


「迷宮から屍を連れ戻すのが、かなり無茶なこととは聞いたわ。私自身、動けなくなったし」


 棺桶で引き摺られるのと、抱えられるのと。その違いはあったが、破浪ポーランが戦力にならねばどうなるかよく分かった。

 ただそれが、二人で潜らねばならない理由とどう関わるかは理解が及ばない。


「だからだよ。春海チュンハイ、千の手って、わけの分からん魔物を怖いと思うだろ? 探索者もそうだ。わけの分からん魔物を倒すような、わけの分からんあの親子が怖いんだ」

「兄者。そいつは、やっかみって言うんだ」

「かもしれねえな」


 双龍兄弟は例外らしい。しかしどうやって倒すんだろうな、と豪快に笑う。


「そんな思いまでして。どうして迷宮なんかに潜るの」

「ああ? オレたちゃ他に能がねえからな。護兵なんて真面目に勤めるのも向かねえし」

「だな。そんな兄者にオレも付き合ってるわけだが、破浪ポーランがどうかは知らねえ」


 なんだと。と語気を荒らげ、飛龍フェイロンは弟の酒盃に酒を満たす。

 なんだよ。と小龍シャオロンは酒盃を空にし、同じく兄に酒を注ぐ。


「他の探索者も?」

「単純に儲かる。命をかけるほどかって言やあ、そうでもねえと思うが。それで構わんって馬鹿は多い」


 分からなくはなかった。食うに困って野盗に身を落とすより、ましでもあるだろう。

 春海チュンハイが同じ立場になったとして、選択肢に上る気はしなかったけれど。


「あとあれだ」

「あ?」

「知らねえのか、馬鹿だな兄者」

「何だてめえ」


 仲良くケンカをする姿が、段々と面白く感じてきた。血の気の多い輩は好みでないが、双龍兄弟は見ていたいと思う。

 くす、と笑うと、飛龍フェイロンが喚いた。


「ほら見ろ、春海チュンハイに笑われたじゃねえか」

「そりゃあ兄者の顔が悪い」

「てめえ、小龍シャオロン。そこまで言うなら、お前がはっきり言いやがれ」


 両手を掲げ、襲いかかる素振りで。兄が責めれば、弟は「ふん」と鼻で笑う。


「何ゆえ、迷宮が生まれたか。解き明かした者は、近衛に取り立てる。十八年前、あれが口を開けてすぐに出された触れだ」

「あれか。取り消されてねえそうだが、まだ本気にしてる奴が居るのか」


 近衛とは皇帝をすぐ傍で守る、護兵の中でも選りすぐりのこと。それほどの取り立てがあるのなら、命をかける意味も合点がいった。

 少しくらいの儲け話より、よほど春海チュンハイにも魅力的だ。見合う人格や実力など、備わっていないと自覚してもいたが。


「居ると思うぜ。たとえば黒蔡ヘイツァイ一家とか」

「ああ、前に聞いたな」


 意外な名が、意外なところで聞こえた。

 (あの人たちと同じ?)

 近衛への取り立てが願ってもない好条件と、数瞬前の自分を恥ずかしく思った。

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