第24話:再会

 広場の外れへ、脚の長いテーブルと長椅子が三十以上も用意されていた。

 その一席に春海チュンハイを案内した破浪ポーランは、「父さんを迎えに行ってくるよ」と去った。


 整然という言葉が、付近に存在しない。一応は揃いで用意されたらしい卓が、数える度に位置と総数を変えた。

 あちらの長椅子を抱えた男は、勝手にどこへ持っていくのだろう。


 屋台で求めた料理と酒を、好きなように楽しめという場所のようだ。

 酒盃を大事そうに抱えた男が、迷宮へ向かう様子の鎧姿へ絡む。何を言ったか、すぐに罵り合いとなり、春海チュンハイは天を仰いだ。


 (早く戻って来なさいよ。怖いじゃない)

 迷宮での怖さとは、種類が違う。皇都の僧院でも酒を飲む者は居たが、へべれけになることはなかった。


「よう、お嬢ちゃん。見ない顔だが、飲んでるか?」

「は、はあ。連れを待っているもので」

「そうかあ。すっぽかされたんなら、こっちへ来いよ」


 上半身をはだけた男に声をかけられた。陽気に、親切心ではあろうと思える。


「そ、そうですね。すっぽかされたら」

「うはは、待ってるからよ」


 何がそんなに愉快なのか。次から次へ溢れ落ちるように男は笑い、近くの卓を順に回る。意外にも、邪険にされることはないようだ。


 (もう。まだ?)

 義足の職人がどれほど離れているか、聞いておけば良かった。

 後悔する春海チュンハイの感覚では、町のあちらとこちらを二往復ほども可能な時間が過ぎたように思う。


 (どれくらい待たせるかくらい、言って行きなさいよ)

 命を救われた感謝は、もちろん忘れていない。だが身体に温もりが戻っても、恐怖に凍えた心はまだ震えていた。


「今、どこ……」


 強がっていなければ、すぐ後ろへ千の手が見えそうで不安になる。ファンを頼ろうにも、天界の門シャンタンと共に背負い袋の中だ。


 長椅子に座る自らの脚を撫で、温めようと試みる。すると長褲ズボンに、丸い感触があった。


「あっ」


 すっかり忘れていた。破浪ポーランに渡された生命玉を取り出し、主はどこかと尋ねてみた。


「ねえ、破浪ポーランよ」


 だが生命玉は、黒く鈍く沈黙した。渡された時には妖しく揺らめいて見えたが、それもなかった。

 壊してしまったかもしれない。そうでないとしても、破浪ポーランの在り処は分からないままだ。


 ふうっ。とため息を吐きかけ、長褲ズボンへ収めようとした。

 その手を、誰かがつかむ。背すじに寒気が走り、全身が震えて強張った。


「なんだ嬢ちゃん、やっぱり一人じゃないか」

「えっ。いえ、まだそんな」


 先の男だ。いくらも経たず、戻ってきたらしい。

 強い握力で手首が引かれ、生命玉を落としそうになった。どうにか反対の手に受け止め、引き摺られぬように踏ん張る。


「連れを待ってるんです」

「いいっていいって。大勢のほうが楽しいだろ」

「良くありません!」


 会話の体を成してはいるが、聞く耳という概念が男に見受けられない。

 離してと頼んでも「遠慮するな」と。周囲も囃し立て、助けようとする者はなかった。


 仮にも僧が、腕力に訴えるわけにはいかない。逃げ出すこともできず、困り果てた。その上に、また別の声がかかる。


「おい兄さん、その子はオレたちの連れだ。譲ってもらおうか」


 (どうして?)

 広場の揉め事が、まとめて自分を襲っているように思えた。

 それは事実に反し、ケンカ未満の怒号など数えきれぬほどだったが。


「何だとぅ」


 目の前の男も、割り込んだ何者かに怒気を向けた。酒によって正体不明となり、むしろ茶化した風でもある。


「おお、大分うまい酒を飲んでるな。そのまま気持ちよく帰って寝てえだろ?」


 押し潰した低い声が、背中の側の高い位置から降ってくる。圧の強さに聞き覚えがあった。


「シ、双龍兄弟……」


 振り返るまでもなく、半裸の男が闖入者が何者かを教えてくれた。

 二人が春海チュンハイにかぶさる格好で、男を睨みつける。


「代わりに自己紹介をありがとうよ。で、まだ何か用かい? このお嬢さんは、オレらの連れだ。よぅく覚えとくといい」

「は、はは……分かったとも。あんたらの知り合いに、何をするわけもないだろ」


 口もとだけが笑い、不気味な迫力が纏う。双龍兄弟は指の一本さえ触れなかった。

 しかし男は強く押されたように尻もちを突き、そのまま這いつくばって退散した。


 周囲の卓は双龍兄弟の現れる前と後で、何も変わらない。中に半裸の男の連れもあったはずだが、誰も思い思いに酒を酌み交わし続ける。


「助かったわ、ありがとう」


 もう戻ってこないか。半裸の男の逆上を警戒し、去った方向から目を外せない。

 すると飛龍フェイロンがわざわざ前に回り込み、しっしっと追いやる動作をして見せた。


「心配するな、酒に気を大きくして調子に乗っただけだ。もう春海チュンハイの顔も覚えちゃいねえよ」


 顔のエラや顎、頬骨とあちこち尖った顔。破浪ポーランが言うところの採れたての石は、春海チュンハイの対面に腰を下ろした。


「おい小龍シャオロン、今日はオレが奢ってやる。春海チュンハイの分も、何か買ってきてくれ」


 懐から銭入れを取り出し、放り投げる。漬物石、ではなく小龍シャオロンが受け取ると、重そうに鳴った。


「何だ兄者。一人で格好を付けようたあ、狡いじゃねえか」

「げははは。早い者勝ちだ、悪く思うな」

「いいさ。有り金全部、使い切ってやる」


 覚悟しろと言いたげに、小龍シャオロンは銭入れを振って見せた。しかしそれ以上の文句は言わず、雑踏の中へ融けていく。


「あの。私も払います」

「いいっていいって、約束しただろうよ。オレたちゃ明日もあさっても、いつまで生きてるか保証はねえんだ。果たせる時に約束は果たすのさ」

「そんな……」


 そんなことはない。と言いたかったが、言えない。迷宮がどれだけ恐ろしいところか、知ってしまった春海チュンハイには。

 まして彼らの潜るのは、比べ物にならない深層だ。


「あの、聞いても?」

「なんだなんだ、賢い嬢ちゃんから質問とは腰が引けるな。ああ、いや聞いてくれ。オレに答えられるなら、何でも答えてやるぜ。げはははっ」


 これは世辞だと但し書きの付いたセリフ。どう答えるか考えるより先に、腕組みの飛龍フェイロン自身が笑い飛ばす。

 何であろうが深刻になる必要はない。と、問う前から助言をもらった気分だ。


「私、千の手という魔物に出遭ったの」

「へえ?」


 ぴたり。尾を引く飛龍フェイロンの笑声が止まった。

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