第四幕:仮初めの
第22話:代償
寒かった。
震える歯の根に、温もりが必要だった。
だから抱えられたのが誰だろうと、そうしたのかもしれない。
三階層から二階層へ戻り、階段のすぐ先。そこでようやく、父子は足を止めた。
息を切らした
「父さん、怪我は?」
「——問題ねェ」
ただ
(怪我をされたの……?)
帰り道にも魔物と出遭った。
それを繰り返せば、いかに
酷くなければいい。そう願い、
見えたのは迷宮の壁。どうやら真後ろらしいと当たりを付け、振り返るには十度の呼吸を必要とした。
幼いころ、風邪をひいて高熱にうなされたことがある。遠い記憶のそれを、遥かに凌駕した。
「
もぞもぞと何度も腰をひねろうとして、
動けない。観念して、頼ることにした。
とは言え口を利くなと言われている。
「父さん? ああ、怪我を心配してくれてるのか。大丈夫、いつものことだよ」
まだ、てんで見当違いの方向だった。だが彼は正確に察し、穏やかに教えてくれる。
何を問うても平坦に答えてきた、あの
やはり自分の目でたしかめねばならない。力の篭め方を忘れたような半身に、反動をつけて回転さす。
見覚えのある三叉路が、ぐるりと回る。黒犬たちの姿はなかった。
大きく開けた口が、荒々しく息を吐き出す。吸う量との調整が、明らかにうまくいっていない。
(矢が……)
左腕に矢羽根が見えた。通常の弓では放つことのできない、手のひらほどの短い物だ。
それでも痛かろう。命中したのが二の腕なのは良かった、致命傷とはなりにくい。
しかしそれなら、なぜ
結論は、あの矢に毒が塗られていた。
「……そうだよ。俺も父さんも、毒消しの祝符までは使えない。僧侶じゃないからね。でも迷宮を出れば、護兵の天幕に使える人が待機してる。父さんなら、それまで耐えるのなんていつものことさ」
もしもこのまま
(駄目よそんなの)
緩く縛る筋肉の拘束具を、押し退けようと手をかけた。
だが。むしろ当然と言うべきかもしれないが、大樹のごとき腕は微動だにしない。
「大丈夫。心配してくれるのはありがたいけど、きみのほうが重症なんだ。自分でも分かってるだろ? 俺は今、雪の人形を抱えてる気分だよ」
そこまでの自覚はなかった、ひたすら寒いというだけで。
もはや感覚を失っているのだろう。
(それでもよ。私は父上の娘だもの)
自由にさせてくれないなら。
思いきり、離してと叫んだ。
叫んだつもりだった。
実際に漏れた音は、喘息でかすれた息遣いのごとく。数尺の距離にある
きっと自分のせいだと思った。千の手というらしい、あの魔物に関わろうとしたから。
罠にかかることさえ勘定外に、二人は全力で逃走した。
(私のせいよ)
血の気が引き、目の前が真っ暗になるほど暴れた。
しかし、拘束から逃れることは叶わずとも、無意味ではなかった。
「……分かった。きみがそこまでしてくれようとは思わなかった。ひと言分だけ、無理をしてくれるかい?」
平たい声に、全力で頷く。実際に首を動かした方向が、縦か横かも定かでないまま。
腰の小袋に祝符を収めてある。
彼ももう、やめろとは言わない。すぐに小袋をまさぐり、祝符のうちの一枚を
立ち上がり、父親の下へ。向かいつつ、横抱きにされた。
自分の手が垂れ下がっているか、所在も不明だ。頼まなくとも
あとは神々に語りかける、長い文言の最初。たったひと言を声にするだけでいい。
(私のせいでお父様を死なせずに済むわ)
良かった。ほっと安堵の息と共に、然るべき言葉を投げ出した。
「
ふうっと、
漆黒に、視界が閉じた。術が効果を為したのか、見定めるまでも
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