第19話:同穴の貉

 (あれが奥さんだったの?)

 偉浪ウェイランが頭を受け持ち、大顎と絡みつきを尽く叩き伏せる。

 破浪ポーランは尻の側で、捲れて見えた腹を手斧で割る。


 決まりごとのよう。と感じたのが、本当にその通りだった。百足がひと回り大きなことなどものともせず、父子はそっくりそのままを繰り返した。

 百足がどんな順番で顎を使うかまで、相談したかと錯覚する。


「ごめんなさい」

「きえぇぇ」


 既に妻の居ないことを、夫は知っているだろうか。

 知らせず、同じ運命を辿らすのと。妻を殺したのも自分たちだ、と知らせて殺すのと。


 どちらがまし・・か、選択肢を思い浮かべた。

 それはもちろんどちらも非道だ、と思う。

 (謝って、仕方なかった。なんて言うのが、いちばん酷いわね)


 ぶつ切りにされ、身動きとれなくなったところに、春海チュンハイ天界の門シャンタンを開いた。


 百足の男の形相が、ふっと緩む。血走った眼から力みが消え、眠るように閉じていく。

 (そんな顔しないで)


安息アンジィを」


 音を立て、男の百足は倒れた。息の根尽きたことを、偉浪ウェイランの大鉈がたしかめる。


「仕方なかったの。だって神様は、人間より魔物を優先しろって仰らないもの」


 祈りに混ぜて、自分を貶めた。

 こうすれば然るべき罰が下る。と釣り合いを取ったつもりの自分が姑息で、吐き気がした。


 屍を見ないよう、そそくさと天界の門シャンタンを閉じた。すぐに担ごうとすると、破浪ポーランに声をかけられた。


「ゆっくりでいいよ」


 と言われても、もう終わった。

 念珠を合掌で掬い、普段の言葉で安らかにと願う。百足に背を向け、すぐ先でうろうろとする破浪ポーランに歩み寄る。


「何してるの」

「休憩場所をね」

「こんなところで?」


 通路は左右のどちらか選べと、三叉路に突き当たった。交わる部分は空間が広く、進んだ通路の倍ほどもゆったりしている。


 独立した部屋のごとしではあったが、衝立や扉があるわけでない。だのに偉浪ウェイランはボロ小屋でそうしたのと同じく、真ん中へごろり横たわる。


「いつもここって決めてるんだ。それにもう、かなり遅いよ。たぶん陽の沈んだより、夜明けのほうが近い」

「そんなに?」


 迷宮へ入ったのは日没後間もなく、破浪ポーランの言う通りなら休憩すべきだ。

 腹時計には自信があった。だが調子はどうかと問うてみて、やっと空腹の合図を返す。


 その間にも破浪ポーランは歩き回った。手にした竹筒から細く液体を垂らし、三人を広く囲う。

 なんだろうと鼻を利かすと、酒の匂いだ。不思議なことに腐臭と土の香は消えている。


「それ、お神酒シェンジゥ?」

「そうそう。僧院でね、預ってもらうんだ」


 少なくとも一日、本殿に置いた酒をお神酒と言う。振り撒いた内側を浄めると聞くが、春海チュンハイはやったことがない。

 僧でない者にそんな業ができるのか、興味深く見守った。


 破浪ポーランは気負った様子もなく、余った酒を父親に手渡した。それからその場で、つまり囲った輪の中央で、祝符を取り出す。


空虚コンシィ


 普段の声。表書きを読み上げた破浪ポーランを中心に、膨れた風が外へ抜ける感覚がした。

 はらはらと祝符が崩れ、地面に落ちる。この僅かな時間に、数百年を経たように。


 なるほどこうして僧の真似ごとをするらしい。空虚という術はまだ知らなかったが、魔物から身を守るものに違いない。


「線から出ると術が破れるよ」

「出なければ、魔物が来ても平気なの?」

「だね。どうも見えないらしいよ、においも」


 半信半疑の声で「へえ」と。祝符は力を発揮したと見えたから、何らかの効果は疑ってなかったが。

 見えなくなると簡単に言われても、どうなるものか想像がつかない。


「今度はあなたの子が来るかしら」


 息絶えた百足が、暗がりに輪郭を残している。呟き、地面に腰を下ろした。昼の残りの福饅頭を食うことにした。


 (迷宮の魔物に殺されるのも自死のうち、と父上は言ったけど)

 二度の争いで、そういう危うさを感じなかった。

 何度も続けば。あるいは階層を下り、別の魔物とならば。破浪ポーランが力尽きる可能性は、あるのかもしれない。


 (その時、私があなたたちの手助けをするのはどうだと思う?)

 やり方によっては問題ないと思えたが、偉浪ウェイランをも巻き込んでしまう。


「ねえ。この迷宮はどれくらい深いの」

「俺は十二階層までだよ。父さんは昔、十三階層へ下りてたらしいけど」


 壁ぎわへ座る破浪ポーランも、福饅頭を食っていた。


「十二階層? たしか黒蔡ヘイツァイ一家も、そんなこと言ってたと思うけど」

「そうだよ。あと、双竜兄弟も。その二組が、いちばん進んでる探索者だね」


 口いっぱいの饅頭をこぼしもせず、器用に答える。

 呆れるべきか、感心するべきか。とは潜ることを目的とした探索者と、あくまで案内人の破浪ポーランが同じと聞いたからだ。


 (目的が違うだけで、やってることは同じか)

 そう思えば、当たり前なのかもしれない。

 偉浪ウェイランについてもだ。名指しされたのが破浪ポーランというだけで、死を商いの道具として冒涜しているのは同じ。


 (でもやっぱり……)

 使命を果たし、春海チュンハイ自身が死ぬのは構わなかった。

 しかし三倍も歳を重ねた偉浪ウェイランもろとも、と割り切る勇気はまだなかった。


「あなたは殺したのにね」


 闇に溶けかけた百足の屍は、何も答えてくれない。

 代わりにカッカッと、ファンが口を鳴らす。首の後ろへ手を伸ばし、隠れた小さな蛇を撫でた。

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