第18話:目的の違い

 倒れた百足を、じっと見つめた。天界の門シャンタンの引き出しから、手探りで念珠を取りつつ。

 珠の一つずつが親指の先ほどもある、大きな物だ。首にかけ、前へ垂らした部分を合掌で掬い上げる。


 送り出した百足の魂が、安らかであるよう。祈るのと同時、見極めようとした。

 (もしかすると、人の顔でなくなるかも)

 が、女の顔は変わらなかった。魔物に人の魂が縛られている、という想像は違ったらしい。


「魔物のために、わざわざ持ち運んでるの?」


 合掌を終え、天界の門シャンタンに手をかけた。これそのものにも帯が取り付けてあり、背負うことができる。迷宮に在る間は、そうしたほうが良さそうだ。


「迷惑だった?」

「いや全然。百足は息絶えるまでが長いから、むしろ助かった」

「そう。あなたはあれを、百足と呼ぶのね」


 破浪ポーランの問いに、返答が刺々しくなる。天界の門シャンタンを持ち上げようと力を篭めたから、という言いわけを思いついたが、声にしなかった。


「百足、じゃなくて何て呼べばいい?」


 帯の長さを調えるふりで、破浪ポーランを見ない。彼の声は怪訝だったが、機嫌を悪くした風ではなかった。

 何と答えるか、念珠の位置を直して時間を稼ぐ。


 (あ――)

 握って気づいた、これだと。

 破浪ポーランの手指に覚えた、馴染みのある感触。鎚で打っても傷つかない、極めて硬い木材でできているはずだが。


 硬くとも、木は人の温もりに通じる。それとも鍛錬を重ねた人間の手は、鎚よりも強くなる。

 どちらを褒めるべきか迷い、そんなくだらないと自分に呆れた。


「いえ、そうね。おかしなことを言ったわ。ごめんなさい、忘れて」


 改めて考えても、やはり百足の女性ひとというくらいしかなかった。当人の名前が聞ければと思ったが、魔物であればそんなものはないだろう。


 百足と呼ぶことに文句をつけたのは、感情的な言いがかりに過ぎない。謝ったのは、その点にだ。


「お待たせしてすみません」


 ふと見ると、偉浪ウェイラン春海チュンハイを見つめていた。

 駆け寄ったが、目の前の到着を待つ前に偉浪ウェイランは進み始める。

 しかし二歩も行ったところで、ぼそっと声が落ちた。


「準備ってのは、事の始まる前に済ませとくもんだ」


 聞き逃しかけたが、拾い集めるとおそらくそう言われた。陰気な声だったが、苛々とした雰囲気はない。

 それは良かった、と息を吐ける。邪魔だとか、余計な真似をと言われる覚悟をしていた。


 ただ、喜べもしなかった。

 破浪ポーラン偉浪ウェイラン。だけでなく、迷宮に潜る者たちを疑問に思う。

 (どうして魔物を殺すんだろう)


 らねばられる。それは分かるが、では迷宮に入らねば良いのでは。

 人間の街を魔物が襲い、退治されるのとは違う。人間が生きるために、獣を殺すのとも違う。


 魔物の棲み処に人間の銭儲けがあって、魔物はとばっちりを受けているのでは。

 春海チュンハイの祈る神々は、魔物の存在を悪としていない。出遭って争いになるのは仕方がないとだけ。


 ——死が商いの道具にされている。

 (神宣は、魔物のことも言っているの?)

 とは父から聞かなかった。きっと春海チュンハイが、自分で答えを得なければならない。

 それまでは破浪ポーランたちを責めることもしないと誓った。


「ねえ。この人は放っておくの?」


 百足の喰らっていた屍の前で立ち止まった。男か女か、どんな体格をしていたかは、もう分からない。

 そんな屍に祈っても、足手まといではあるまい。偉浪ウェイランが三、四歩を進む間であれば。


 着物も臓腑も、区別のつかぬほど細切れ。撥ね飛ばされた胸当てから、かろうじて中背の男と想像できた。

 反り身の長剣はほとんど汚れてもなく、凝った装飾が高価そうに見せた。


「俺たちは拾わないよ」

「持ち帰れば売れるんでしょ?」

「売れるよ。でも頼まれもしないのに、外道のすることだって」


 春海チュンハイの後ろ、破浪ポーランは足を止めない。置いていかれるぞ、早くしろということだろう。


 (安息アンジィを)

 おざなりな祈りを詫び、破浪ポーランを追う。彼の手が、偉浪ウェイランとの間を示した。


「お父様が仰ったの?」

「だね。でも俺もそう思うよ、父さんとは理由が違うかもしれないけど」


 棺桶の車輪が切れ切れに、陰鬱とした音を響かせる。目的の場所に屍がないと言うなら、余分を拾う容量はあるはずだ。


「理由って?」

「死んだその人が望んだことだからだよ。迷宮へ入るのに、十中八九は死ぬ覚悟をする。それを顔も知らない俺なんかが、勝手に連れ出すのは違う」


 そうだろうか。言わんとするところは分かるが、頷くには抵抗がある。

 (失敗だったなって後悔しているかも)


 こんなはずでなかった、とは誰でも経験することだ。迷宮で片付けられるのを待つより、家族や仲間の下へ帰りたいと思わないのか。


 迷宮へ入る者のほとんどは男で、春海チュンハイ破浪ポーランに着いてきただけだ。

 その辺りが違えば、心持ちも違う。妄想はできても、推測は難しかった。


「余計なことに気を取られてると、危ないってのもある」

「余計ですって?」


 死者に心砕くのを、余計と言ったか。だとしたら聞き捨てならない。

 振り返ると破浪ポーランは、行く先を指さした。


「考えごともいいけど、前くらいは見ろって言ったんだよ」

「え?」


 前。偉浪ウェイランの居る方向から、雄叫びが聞こえた。


「覇ぁっ!」


 慌てて首を返す。真っ黒な着物の背中越しに、長大な何かの影が見えた。


「きえぇぇ」


 百足だ。僅か前に見送ったのは、幻だったか。

 しかし今度は餌にされた屍がなく、よく見れば頭は人間の男だ。


「きっとつがいだよ」


 決まりごとのように、破浪ポーランは百足の尻尾を切り落としに向かった。

 その背中を春海チュンハイは睨みつけた。命を奪おうとする者が、余計なことを言うなと。

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