第15話:目に見えぬ危難

「笑い屋って呼ぶ人も居るかな」

「なにそれ」

「探索者や導人が失敗するぞって時、必ず聞こえるから」


 迷宮を進む者をあざ笑うのが仕事、とするなら報酬はなにか。

 その笑い屋の収入になるかはともかく、支払うのはこちらの命だ。


「馬鹿にしてるわ」


 姿を見せず、声だけが。この正体が迷宮で死んだ者と言うなら、ジンの民の志を持ち続けるべきと春海チュンハイは思う。

 失敗する者を嘲笑など、礼尊に欠けると。破浪ポーランが悪いわけでないが、成り行きで睨みつけた。


「そうでもない。本当に直前だけど、失敗する前に笑い始めるから」

「役に立つなら笑われるくらいは、って?」


 彼は変わらず真顔で、手を差し出す。今度は野良猫のごとき扱いでなく、引き起こしてくれるようだ。

 言い分を否定しないが、素直に頷くこともできなかった。


「あっ、お父様は?」


 いつまでも座っている猶予がないのに気づく。これほど話していては、見失っていてもおかしくない。

 慌てて顔を向けた。常夜の迷宮で、物の区別がつく限界はおよそ二十歩の先。さして広くもない視界に偉浪ウェイランは、居た。


「すみません!」


 地面を蹴り、跳ねるように。という心持ちだったが、脚に力が入らない。ひどく疲れた時と同じく、膝が笑って言うことを聞かなかった。

 平手で叩き、活を入れた。余計に拗ねた気もしたけれど、震えながらも立ち上がる。


「あの」


 ひょこひょこと不格好に歩き、偉浪ウェイランに近づく。だが歴戦の風格漂う男は小さく舌打ちで、また進み始めた。


「あ……」


 こんなはずでなかった。少なくとも春海チュンハイは、自身のできるなにをも見せられていない。

 足手まといどころか、役に立つと思わせるつもりでいた。


 (欲ばりすぎ、ね)

 どれほど見事な拝礼を披露しても、丸裸ではそれ以前の問題だ。そういう自分に春海チュンハイは笑った。自嘲よりも失笑に近く。


「大丈夫。消えろって言われないうちは」

「うん、ありがとう。なるべく着物を着るようにする」


 どうも破浪ポーランは、脅し文句と一緒にしか気遣いを言えないらしい。

 悔しくて伝わるはずのない返答を放り投げた。「着物を?」と首を傾げられても、構わず足を動かした。


 それからまたしばらく、概ねまっすぐの道は続いた。けれどもいよいよ、明らかに違う光景が先に見えた。

 通路が途切れ、ぽっかりと穴が空いている。近づいてみると、きちんと下りの階段があった。


「魔物だらけって聞いてきたんだけど、こんなもの?」


 入り口からここまで、飯の支度から食い終わるまでの時間に相当したろう。落とし穴を除けば、春海チュンハイは危険な何かを見ることさえなかった。


「いや、居たよ。魔物にも頭のいいのと悪いのがあるから、敵わないと思えばやり過ごすのも多い」

「えっ、どこに?」

「あちこちだよ。すぐそこの三叉路とか」


 破浪ポーランは魔物の存在を感じ取っていた。驚いたが、それも慣れの領分だろうと自分を慰められた。

 しかし続いて三叉路という言葉に耳を疑い、向けられた指の示すほうを見て目を疑う。


「ほんとに三叉路ね——」


 それは後方。通り過ぎた場所。

 細身の春海チュンハイが一人でようやくの狭そうな空間だが、たしかに横道があった。


 入り口側から歩くと、極めて鋭い角度で接続する格好だ。行き過ぎたここから見れば、太いのと細いのと通路が二つ並んで見える。

 鳥肌の立つ両腕を、両手で押さえつけた。


「次が二階層ね」

「だね。頭のいい悪いのと別に、見境なしも居るから気をつけて」

「にぎやかそうね」


 何も見ぬまま、危険度が上がると宣告されても困る。

 文句を言いたかったが、堪えた。着いてくると言ったのは、春海チュンハイ自身なのだから。


 階段も自然にできた物ではあり得ない、きっちりとした直角。

 先ほど指さされて気づいたが、破浪ポーランは金属の灯籠をもう持っていない。それでも周囲が、ほんのり照らされているのはなぜか。

 それらを理解するのは後だ。


 階段は春海チュンハイの背丈の二倍ほどを下った。一階層と同じような通路の、四つ交わった真ん中へ。


「いきなり本気を出してくるのね」

「まだまださ。でもはぐれたら、もう一度会うのは難しいね」


 四方のどこを向いても、全く同じにしか見えない。下りた階段がもしなければ、既に方角も不明だった。


「だから、これ」


 目的地は三階層と聞いている。ゆえにこの階では進路の相談が不要なのだろう。偉浪ウェイランはただの一歩も止まらずに歩み続けた。


 また幻滅されれば今度こそ、帰れと言われるかもしれない。だというのに破浪ポーランが、焦る春海チュンハイの手首をにぎりしめた。


「何?」


 彼はもう一方の手を、春海チュンハイの手首へ押しつける。いやその手の中にある、何かを。


「あ痛っ!」


 ちくり。鋭い痛みが小さく走った。針で刺されたかと思えば、違う。破浪ポーランが持つのは、ちょうど手に収まる丸い玉だ。

 触れた手首を見ると、擦りむけていた。落とし穴で拵えたらしい。


「それは? 傷の治療じゃないみたいだけど」

「知らないんだね。生命玉ホゥチゥって言うんだ」


 意外という声。破浪ポーラン春海チュンハイの手首を解放し、同じ手を長褲ズボンの物入れに突っ込む。


 ごそごそ探り、取り出されたのはまた同じ玉。どちらも艶めいて黒いが、後に出したほうは、色がゆらゆらと揺れる。中で炎の燃えるように。


「知らないわ。みんな知っているもの?」

「さあ、俺はそうだと思ってたけど。まあとにかく、持っててよ。これがあれば、俺はきみの、きみは俺の居場所が分かる」


 そんな道具のあることを初めて聞いた。生命玉という名前もだ。

 僧の祈りで行う神通力でも、他者の位置を知る術など聞いたことがない。


「凄いのね。どういう物か分からないけど、ありがたく借りておくわ」

「どうぞ」


 知りたい虫が騒ぐ。が、偉浪ウェイランに追いつかなくては。生命玉を長褲ズボンに収め、走った。


 ふわ、と。僅かに、しかし我の強い香りが鼻をかすめた。

 (人の……)

 腐臭だ。


 近くはない。前後左右のどこか分からないが、何十歩も離れている。

 それが証拠に、見える範囲は綺麗なものだ。人や魔物が争ったなら、互いの肉体以外にも散らばる物は多いはず。


 (でも、あれ?)

 これはおかしい。誰かが掃き浄めたばかりのごとき様相を見てきて、なぜ今まで不審に感じなかったのか。


「ねえ破浪ポーラン、教えて」


 (これは背伸びじゃない。今すぐに知らなきゃ、危険かもしれないことよね?)

 自問し、答えを得るべしと結論づけた。


「あなたたち。何度も迷宮に入っているなら、どうして前もって落とし穴の場所を教えてくれなかったの」

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