第13話:金魚
再び、迷宮へ至る鉄門の前に立つ。
広場には屋台の姿が消え、人の姿は迷宮に出入りする者か、飲んだくれた者か。
どこまでも永遠に底のない落とし穴。
あるいは侵入を拒む、漆黒の壁。
門の向こうへ続く景色を、
はたまた、と最後に妄想したものが、最も
(迷宮って名前の化け物の口に、入っていくみたい)
目を、逸らした。天幕を見たが、中を窺えない。門の脇に立つ数人の護兵にも、祝符を買った護兵の姿は見えなかった。
国や民のために戦う者を敬うべし。
「
槍を交叉させた護兵に名乗る。
少しだけ父親が細身に見えるのは、
護兵が槍を引き、別の護兵がかんぬきを抜く。
無造作に、広場の続きをただ歩くがごとく、
溜まってもない唾を
門を抜けてすぐ、棺桶に付いた車輪の音が硬質に変わる。不思議に思い、足の下を蹴りつけてみた。
硬い。門のあちらとこちら、見分けがつかないのに。砂粒を混ぜて焼いた、陶器のようだった。
「まだ迷宮に入ってないよ」
「えっ、まだ?」
速まった胸の鼓動に感づいたか。
鉄の筒が、口をこちらに向けている。筒の真ん中、炎が宙へ浮く形で燃え盛った。
「それ、私が持つ?」
灯籠と呼んでいいものか、見たことのない形だ。しかしさておき、斧を振るう
そう思い、
「いや、大丈夫。迷宮に入るまでだよ」
「そうなの?」
まだ迷宮に入っていない。告げられたばかりだが、するとここはどこか。
左右に屹立する壁は、少なくとも灯籠の光より高くまで続く。だが真上に、星が見えた。
「夜、魔物が活発になると聞いたわ」
なぜ迷宮が生まれたか。疑問に思わぬ人もないだろうが、真実に辿り着いた人も居ない。
それより己らの安全に関わる問いを優先させた。
「今から入って大丈夫か? 迷宮の中は、いつも夜だよ」
もたもたしていれば、
「昼を選んだとして、どうせ中で何日も過ごすしね」
「——うん、納得した」
長く無精髭の伸びた双龍兄弟や、
それにしても、一つ覚悟するたびに飲んでいては、唾の分泌が間に合わない。妄想をして身構えるのは、もう十分だ。
(早く現実を見せて)
などと言ったところで、歩む距離が縮まりはしない——はずだが、行く先に灯りが見えた。
「誰か居る?」
左右の壁と同じ物が、通路を塞いでいた。ただしその手前が、幅を倍に膨らませて広々としている。
さらにここまでの通路と同じ幅の、今度は天井のある洞窟が、奥へ続いた。
いよいよここが、迷宮の入り口らしい。
そんな場所で茶屋でも営むのか。と思うほど艶やかな、紅色の着物が浮かび上がった。
不思議なこともあるものだ。着物の女を照らすのは、その手に提げた灯籠の光。昔ながらの、布を張った胴体に蝋燭を仕込んだ物だが、やけに明るい。
桃色の地に、やはり紅色の牡丹が描かれている。女はすらと背が高く、真白な頬、切れ長の目に青い瞳。
灯籠一つで、これほどはっきり見えるものか。それにまっすぐな通路の途中、この女にも灯りにも、まったく気づかなかった。
「冥土の入り口へ、よくお越しになられました。二度と地上へ戻れぬ覚悟はおありでしょうか?」
温く淀む夜風の中、凍えた声で女は口を利く。鉄の風鈴に似ていると思った。
(この人、生きてる?)
当人の言う通り、冥土の住人かもしれない。たしかめるのに手っ取り早く、女の手に触れてみた。
「何か?」
笑みを深め、女は首を傾げた。そこへないかのように薄く透けた、
「いえ、ごめんなさい。肌が綺麗だったから」
「あら、ありがとうございます。あなたもお若くて、とても可愛らしいわ。でも髪をきちんとすれば、もっといい」
女の手は冷たかった。だがきっと冷え性なのだと思う程度、人の体温はそこにある。
その手が、薄青の紗を差し出す。どうやら彼女と同じようにしろと、世話焼きらしい。
「ありがとう。余裕があったら使わせていただきます」
「ええ。いつも美しくあるのが女の誇りですものね」
満足そうに頷く女。「そうですね」と、
身だしなみ以上に着飾るのを、意識したことがなかった。しかし厭味を感じさせぬ言葉に、わざわざ反論する気持ちも起きない。
「
ちょっと手を上げ、
それより、
それはこうだ。二度と帰れぬ冥土へようこそ、と。
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