第三幕:地の底へ
第12話:偉浪の悪夢
「なんで俺の言うことを聞かねえ!」
ボロ小屋へ戻った途端、
酒瓶でも飛んでくるか。巨大な背中からはみ出ぬよう、身を縮めた。
が、それ以上はなかった。先より格段におとなしくなった、いびきが聞こえるだけだ。
「まだ寝てらっしゃるの?」
「ああ、うん。たぶん夢の中で、俺がやらかしたんだよ。夢じゃなくても叱られてばかりさ」
入った奥に、背負い袋が放ってあった。
「ねえ。うなされてる」
やけに抑揚のあるいびきと思った。気になって聞いてみれば、半分は呻き声だ。
しかめた表情は、安眠と程遠い。
「それもいつもさ。心配だけどね、準備の済む前に起こすと怒るんだ。すぐだよ」
「そうなの?」
いつも一緒の息子が言うのだ、それが良いのだろう。
事情を知らぬ者が安易に手を出しては怪我のもと。と、これも母の言葉。夢の中のできごとを好転させる方法も知らなかった。
すると
木戸を入ったところに突っ立ち、苦しげな
魔物ばかりの世界へ乗り込むのだ、それは必要と思う。けれども
「——うん」
誰にともなく、
無理に解こうとはしない。自身の両手に挟み、指の一本ずつを優しく撫でた。
厚く張った氷を叩き割れば、己が濡れる。赤子を抱くように、手水の氷を持ち上げた母の姿を思い出しつつ。
「ん……」
血の気の引いた氷細工が、人の肌に立ち戻る。少しずつ、一方の手が柔らかくなったころ、
「お目覚めですか」
ゆっくり、まぶたが開いていく。光を嫌い、時に後戻りしつつ。やがて明るい茶の瞳が、
「お前!」
さすが、と言うべきだろう。跳ね起きた
気づいた時には両の肩を押さえられ、何だか詰問されていた。
「生きて——」
血走った眼を、怖いと思わない。
「あ」
二度ほど揺すぶり、夢の世界から抜け出たらしい。幻を追い払いたいのか、しきりに目を瞬かせた。
しかし現実の
「誰だ」
呂律の回った口から、低い旋律が落ちた。遊山に連れられた大滝の、水面を打つ様を思わせる。
「あの、私、
「
それはまず、何者か聞くに決まっている。当たり前の答えに詰まり、拝礼でごまかした。
「お客さんだよ。俺が頼んだんだ、起こしてくれって」
「客だァ?」
息子に振り返り、
(
聞いていたが、彼に矛先が向いて驚いた。起こしたのは私なのに、と。
「あと、別にもう一つ。三階層だよ」
「三階か。素人が油断しやがって」
続けて、今度は本当の依頼について。
彼を見ると、信じられないという目で父親を凝視した。やはり異例のようだが、波風穏やかなら越したことはない。
「女」
「あっ。は、はいっ」
話す相手は
「着いてくるのは構わねェ。だが怪我も命も、お前の持ち分だ。助けてもらおうなんて、考えるんじゃねェ」
それが嫌なら、おとなしく地上で待っていろ。
けれど
「私、大丈夫です。自分を守るだけなら」
共に迷宮へ入ると言って、魔物の存在を忘れてはいない。それなりの旅をしてきたのだ、危険に対する術は用意している。
この町へ来て、まだ一度も降ろしていない背負い袋。
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