第11話:黒蔡一家
「
門から少し離れた壁沿いに、雨風を防ぐ天幕が張られた。護兵の休憩所といったところだ。
なぜか
「もちろんよ。あなたに逃げられたら、私は使命を果たせなくなるもの」
天幕の入り口で、
領主の兵士であり、治安を守る役目の護兵を前に、早く死んでほしいとは言えない。
声を潜め、使命という言葉を強く発した。
(そうよ。遥々、そのために来たの)
自分の目的を、濃く思い描いた。年の初め、願いを墨で書くがごとく。胸の奥にしっかりと掲げる。
「分かった。使える物があったら買っておいて」
しかしそんな
そう考えたのは、細かく文字の書かれた布を護兵が取り出し、彼に渡したから。
だが、違った。思いがけない品がそこにあって、
「
僧が神に語りかける言葉は、人間同士で語らうのと異なる。祝符はそれを文字に起こしたものだが、特殊な作り方が必要で、そうそう見かける代物でなかった。
修練を積んだ僧は祈りによって、現実に傷を癒やしたり、怯える人から恐怖を取り除いたりできる。
その補助に用いると聞くが、
「よく知ってるね」
応じたのは、
「見ない顔だし、しかも女と思ったが。その袂は僧侶だね。
言葉遣いは柔らかかった。双龍兄弟と比べれば、雲泥の差だ。けれどどうも耳触りが悪い。
視線も
「いえ私は——」
相手は歳上で、兵士。即ち、戦うことが職業の男。長幼を重んじる
何となく、おかしな態度とは感じた。けれど父母にも厳しく育てられた
「名前は?」
「
当の
「言う通り、初めて迷宮に入ります。今ある祝符を全部、見せてやってください」
「ちょっと
彼こそが護兵の正面に立っていたのだ、
太い腕に触れ、力を篭めた。が、立ち木を押すようで微動だにしない。
「へえ。十二階層となると、偉くなるもんだな。護兵に楯突くのか」
「偉くなんか。オレは祝符を見せてほしいと頼んだだけです」
声を低くした二人が、どんな顔を突きつけあっているか。見えない
「あの。私——」
ちら、と護兵の目が
「おいおい、こちとら待ってんだよ。あんたらいつまで乳繰りあってんだい?」
すぐ後ろで。それも首すじの付近から、女の声がした。
怖気に背を強張らせ、
空いた地面に、背の低い女が進み出た。平均的な
女のさらに後ろへ、背を丸めた男が立っていた。「ひひっ」と咳き込むように笑い、女の隣へ進む。短く刈った頭が、好勝負の碁盤に見える。
「おい、今のはオレに言ったのか。
言い分が気に食わなかったのだろう。護兵は眉をひそめ、男のほうに文句を言った。もしかすると女が、護兵よりもかなりの歳上だからかもだ。
「ひひっ。旦那、そりゃ勘違いってもんです。あたしの女房は、そこんところをきっちり分かってますからね。この木偶の坊と、世間知らずのお嬢ちゃんにです」
どう見ても媚を売った愛想笑いだが、護兵はまんざらでもなさそうに「ふん」と鼻息で答える。
「まあまあ
背を丸めていても、
胸を張れば十分に偉丈夫と呼べる身体を、小さく小さく縮めようとして見えた。
「構わないよ」
迷宮へ入るには祝符が欠かせないようだ。あっさり譲った
代金は銀銭二十枚。そもそも売っているのなど初めて見たが、皇都でなら一枚とて買えないはずの額。
「
ひひひっ、と。ひときわ高く笑った声が、耳にへばりつく。こっそり指先でこそげ落とし、
鉄門の手前に、胸と腹までを鉄で鎧った男が立つ。頭にも鉄兜を載せ、どれだけの重量か想像するだけで肩が凝りそうだ。
夫婦の連れらしく、合流すると何やら話し始めた。時折、こちらを向く視線が煩わしい。早く用件を済ませ、立ち去りたくなった。
「
褒めてはいまいが、
人として正しい、と
「ねえ
「えっ、そうなの?」
またあれこれと、問いたいことが増えた。だがここ以外の場所がいい。
だから祝符の選択を、
意外そうな
銀銭十枚を払い、護兵の天幕に背を向ける。迷宮を隔てる鉄門に、
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