第9話:双龍兄弟

 先ほど溺れかけた、人の濁流から。男が二人、抜け出てくる。

 腰かけた春海チュンハイには、遥か見上げるほどの偉丈夫。


「なんだよ、迷宮ってのは可愛い女の子まで拾えるのか。それならオレたちも、導人ダオレンをやったほうが良かったな兄者あにじゃ


 押し潰した声で、また笑う。二人とも僧のごとく頭髪が剃られ、肩まで捲った着物の袖から腕を剥き出しにする。春海チュンハイの胴回りと変わらないような。


 立って迎える破浪ポーランと、背丈も肉付きも似通った。ただし侠客めいた、危うい人相が決定的に違う。

 そっと唾を飲み、逃げる方向を視界の端でたしかめた。


「大丈夫。よく知った奴らだよ」

「え——」


 見上げても、破浪ポーランは男らを向いたままだった。

 自分に言われたのでなかったか。そう考えると、彼がおかしなひとり言をしたとなる。


 (でもまあ、それなら)

 はっきり言いきってくれたのを、信用することにした。


「契りの式はいつだ? 祝いの酒くらい持って行ってやる」


 手を握れる距離で、兄と呼ばれたほうが言った。破浪ポーランと互いに拝礼もなく、拳の甲を打ち合わせた。もう一人とも。


 男らは武器も防具も携えていない。しかしきっと、迷宮に潜る者たちだ。荒くれの集う酒場の店主と言うなら、それはそれで似合いそうだが。


「残念ながら、そういう人じゃない。俺も春海チュンハイなら、すぐに二人で飯屋でも開くけどね」

「ああん? 天下の破浪ポーラン様がだらしねえ、げははは」


 拳が入るほどの大口で、豪快に笑う。ヒキガエルの鳴き声が、百匹分にも増した。

 (だらしないって?)

 耳を押さえつつ、不精髭だらけの顔を睨む。見てすぐに可愛いなどと、道を聞いた宿屋の男を思い出す。


「ああ、悪いなお嬢さん。兄者は下品でいけねえ」

「うるせえ、お前よりゃましだ。げははは」


 何がそんなにおかしいのか。二人はひと言ふた言ごと、いちいち笑う。

 春海チュンハイは、自身を不感症とは思わない。が、これほど声を上げて笑ったのが最近いつだったか。すぐには思い出すこと叶わない。


飛龍フェイロンだ」

小龍シャオロンだ」


 揃った拝礼で名乗る。慌てて春海チュンハイも長椅子を立ち、同じく拝礼を返した。

 やはり名前も、侠客の仇名のようだと思いつつ。


「みんな双龍シャンロン兄弟って呼んでる。採れたての岩みたいなのが兄貴だよ」


 破浪ポーランの指が、飛龍フェイロンをさす。

 採れたての岩。つまり石切り場から運びたての岩は、あちこちごつごつと尖っている。


 言われて見れば、たしかに頬骨やエラが弟より目立つ。すると似ているがなだらかな小龍シャオロンは、漬物石か。

 そんなことを思い浮かべてしまい、春海チュンハイの口から「ふふっ」と笑声が溢れる。


「なんだ破浪ポーラン、笑われたじゃねえか」

「女の子に笑ってもらえるなんて、なかなかないだろ。良かったな」


 どういう会話か、春海チュンハイには不思議に聞こえた。

 いや軽口と言われるもので、厳密な意味を通じさせる必要のないのは分かる。


 だが春海チュンハイの発した言葉なら、あれこれ補足したくて堪らない。

 だのに何やら、腹の底から込み上げるものがあった。


「あはっ。あははは!」


 はっと気づき、口を押さえた。しかしもう、飛龍フェイロンはがっくりと項垂れて見せた。目もとに手を当て、泣きべその真似もして。


「おいおい、オレの顔はそんなに面白いのか」

「兄者、そんなことはない。おかしな顔に違いないが、笑いをとるにはまだまだだ」

「そうか、精進しよう」


 勘弁してほしかった。誰かの顔を見て笑うなど、失礼にも程がある。

 あとからあとから、とめどない笑いの波を、頬を叩いてどうにか呑み込む。


「ごめんなさい、違うの。あなたたちのやり取りが楽しそうで」


 違わなかった。けれど顔を見て笑ったと、素直に謝るのが必ずしも最善ではない。それは飛龍フェイロンを、新たに傷つけることだ。


「なんだ遠慮するこたねえ、おかしいなら笑やいい。お嬢さんがどう思おうと、オレたちの口出せることじゃねえんだ」


 悲しそうに歪めた顔は、やはり演技だ。豪快な笑い声が路地を埋め尽くす。

 (私なんかが傷つけるなんて、できないのね)

 強い人だ。悟って、春海チュンハイは自然と最拝礼の姿勢をとった。


「おいおい」


 双龍兄弟は顔を見合わせ、口を窄ませた。困ったように、拗ねたように。


「本当に失礼を致しました。皇都は姜義海ジャオイーハイが一人娘、春海チュンハイと申します。どうぞお見知りおきをお願い致します」

 

 彼らの流儀は真似できない。ならば自分にできる、最大限の敬意を。

 困らせても、それが一番と春海チュンハイは願った。


「分かった。春海チュンハイ、ありがとうよ。しかしそろそろ終わりにしてくれ、オレたちゃそんな大物に成り下がったつもりはねえ」


 (また、おかしな言い方)

 だが何となく、飛龍フェイロンの言いたいことは理解できた。はっきり、こう・・と言葉にはできなかったが。


 もう少し、話してみたいと思った。言われるままこの町へ来たが、春海チュンハイは迷宮や迷宮に潜る彼らのことを何も知らない。


「どうだ春海チュンハイ、良けりゃ飯でも食わねえか。うまい店がある、奢ってやるぜ?」

「えっ、私を?」


 気に入られたはずがない。こういう機会でなければ、春海チュンハイとしても避けた相手だ。

 それなのにと思うが、よく知るのにはこの上ない申し出だった。


「悪い。仕事が入ってて、それほど時間がないんだ」


 しかし断られた。破浪ポーランによって。この男がそう言うなら、春海チュンハイに否はない。

 双龍兄弟と話したかったのは、あくまでも余事だ。


「あん? 春海チュンハイもか」

「そうらしい」


 問う小龍シャオロン、答える破浪ポーラン。どちらも、女なのにとは言わない。


「なんだ本当に迷宮で拾ったのか」


 このやり取り自体、そういう意味に聞くことはできた。が、おそらく違う。この場の男たちから、女を蔑む意図は感じられない。


「じゃあまあ、次だな春海チュンハイ。オレの不細工が治ってたら、今度こそ付きあってくれ」

「不細工なんてないわ。でもよろしく」


 答えると、飛龍フェイロンの拳が突き出される。同じく小龍シャオロンも。

 見様見真似で、甲を打ち合わせた。鉄を殴ったかの硬さに、思わずよろめく。


「しかし兄者。不細工が治ってからって言うと、そりゃ永遠に無理じゃねえか」

「うるせえ、お前も同じ顔だ。文句がありゃ、母ちゃんに言うんだな。げははは」


 破浪ポーランが手を差し伸べてくれた。双龍兄弟は、構わず元の通りへ戻っていった。誰にはばかる素振りもなく、仲良くケンカしつつ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る