第二幕:迷宮都市の荒くれども
第7話:気遣う気持ち
だから
出立前に聞いた父の言葉が、俯きかけた
民が国に尽くし、神様が感心と思えば良い神宣がある。反対も然り。
受け取った
おさらいして、いびきの続くボロ小屋を睨む。
一旦の会話を終え、彼は小屋の中へ戻った。父親の
親を敬う気持ちは正しい。ならば国を敬う気持ちも分かるはず、と思えてならない。
この町だけでなく、国じゅうの人々が感謝するだろう。皇帝陛下から、金銭とは別の褒美があるかもしれない。
そうなれば
思い描いた筋書きは、創作でなかった。この国にいくらでもある、普通の話だ。国の存亡がかかる、という部分が大きなだけで。
それなのになぜ。と
(あっ。みんなが感謝するって、あまり言ってなかったかも)
ふっ、と思いついた。これを天啓と言うのかもしれない。
たしか
自分の粗忽が恥ずかしく、
すると視界を、長い黒髪が侵した。そろそろ手入れをして、結わなければ。
となると買い物が必要だが、
頓着のない素振りで、実は逃げ出す機会を窺っている可能性もある。
卵が欲しかった。南の都とまで呼ばれる
どこだろうかと、見通せるはずもない街の喧騒へ目を凝らす。と、誰かがこちらへやって来るのが見えた。
僧院でなく、広場に近いほうから。砂浜と土の地面の境を、なぞるように。
それは男で、胸の全体を覆う革鎧を着けていた。町を守る護兵とは違う物だ。
きっと迷宮に潜るのを生業にしている。ただそれにしては武器が見えない。迷宮を出れば不要なのかもしれないが。
近づいた男は、頭からずぶ濡れだった。けれども鎧は乾いている。
風呂へ入って、ろくに拭わずに来た。くらいしか理由に思い当たらないが、それでもおかしな話だ
だからと、わざわざ訊ねはしない。
男がボロ小屋へ入るまでには、どうも気持ちが固まらなかった。
直ちにいびきが止まり、話し声に変わった。
大した時間もかけず、男は出てきた。湯呑みに三杯の湯を沸かすくらいだ。
両手を合わせても、男が気づいた様子はなかった。いかにも屈強な、
見送る
「行ってくるよ父さん」
食事の続く中、
「お仕事?」
「いや、うん。そうだけど、まだだよ」
肯定と否定とをして、
「お買い物?」
「そうだよ。迷宮へ入るのにね」
男は、大切な何かを喪った絶望に感情を砕かれていた。
にも関わらず、
何を買うか、まだ見ぬ品物を楽しみに——とも見えない。
代金らしき銀銭を手の内に放り投げ、しつこく西の空へ残った天道を見上げる。それさえ気の抜けた鼻息で済ませ、ぶつぶつ呟き始めたのは、やはり買う物の候補のようだ。
(この人、何も感じないの?)
そう評するのが、最も相応しかった。
最初に言葉を交わして、ほんの幾ばく。その間に怒り、怖れ、悲しみがあったはずだ。
普通に
「聞いていい?」
「今さら
「さっきの人はお客さんでしょ? たぶん仲間を死なせたとか」
「よく分かったね、その通りだよ」
話しかけても、大股でどんどん進む。頭二つも丈の低い
「その。もらい泣きとかしたことないの?」
「もらい泣き? ないかな」
「だって同じ迷宮に入る仲間なんでしょ。同情とか、自分に置き換えて怖がるとか」
自害を迫る者の発言ではない。しかし問わずにはおれなかった。まともな人間の感覚とは思えなくて。
「ああ、そういう。そうだね、仲間というとちょっと違うけど。これから困るだろうな、とは思うよ。新しく相棒を見つけるのか、諦めて故郷へ帰るのか、どうするんだろうね」
「そうじゃなくて」
最初に出てくるのは、かわいそうとか、憐れむ言葉だろうに。なぜそうでないのか、
「そうじゃないの?」
「いえ、そうじゃなくはないけど」
「うん? 一緒に悲しめってことかな。それなら悲しんだよ。でも俺には、あの人の相棒を生き返らせてはあげられない。頼まれた通り、愛用の何かを拾ってくるのが精々」
だがそれには、
「それも失敗したら申しわけないしね。父さんと俺と、無事に行って帰るのが俺の同情かな」
「そんなの……」
何を言っているか、分かる。理屈の上では正しいことも。
「あれ、泣いてる?」
「泣いてなんかいません」
嘘ではない。危うく涙を零しそうになっただけで。
震える声を咳払いで治し、作戦を変更した。
「愛用の何かなの? 屍じゃないのね」
「うん、あの人は戻ってくるのに時間をかけすぎた。たぶんもう残ってない」
残っていれば連れ帰る。と付け加えはあったが、気休め以上の言葉ではなかった。
(私に使う気持ちがあるなら、あの人が先でしょ)
などと言ってもまた、どういうことかと問い返されるに違いない。そう予測するだけでも、胸にちくちくと刺さるものがあった。
黙って着いていくと、
川底に当たる地面を蹴り、置いていった薄情者の姿を探した。
見回せば、
(私、どこへ連れていかれるの)
焦って逃れようとしても、思う方向へ進めない。息苦しくもなり、本物の川のように溺れるかと思った。
自分の足が地に着いているか、もはやそれもあやふやだ。
どうしようもない。諦めて流れの緩やかなところまで行こう。
思った途端、誰かの胸に激突した。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
頭突きをしたくらいの勢いで、
すると返ってきたのは、知った声だ。
「こっちは危ないよ」
「
「うん。欲しい物があるなら、連れて行くから。知らずに歩かないほうがいい」
(心配してくれたの?)
大きな流れに逆らい、
案じてくれたかは、当然に読み取れない。
開けた横道に出て、そこにある長椅子に
手を離されると、つかまれていた腕に血流が戻る。痺れたそこをさすり、ふうっと息を吐いた。
「福饅頭、食べる?」
いきなり、
小さな子どもでなし、こんな物で機嫌を取るつもりか。
しかし厭とも思わない。
「いただくわ。腕の痺れが取れてからね」
冗談のつもりだったが、
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