応援コメント

第6話:出立の前」への応援コメント

  • その餓死された遺体を見たと言う所は、春海の立派に使命を果たす決意、今回で言えば、破浪の一人を自害して貰うというものを表しているのでしょうね。それから、世の中には、飢えて死ぬ者がある中、父の義海は乳餅を食うと言う食べ物がある上、贅沢品にも思えるものをよく召し上がっていたと。つまらないことですが、私も男性ばかりが焼き茄子を食べて、嫁の自分は食べられないとき、残念だったなあ。そして、父、義海が神宣を受けて、一瞬亡くなったかと思う勢いで苦悶し、真の危機を救う使命を子に託したのですね。所で、誤って、ポーランの所をマウスでなぞって読んでいたら、タブができて、検索結果が出ました。ゆきはさんの作品もあり、おお! となりました。余聞も初めて目にしたので、調べてみました。今回のエピソードでは、曲がることなく春海の視点で描かれているのもいい所だと思いました。視点が散らばらないって、中々難しいんですよ、私。ご質問なのですが、僧なのに神々とは、どういった関係なのですか? 皇帝陛下も。_(._.)_🌸

    作者からの返信

    こゆきさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

    餓死者という自分の中になかったものを知り、父親が重んじる人たちから自分を褒められる。
    そういう経験は、先達と自分を同格化させたいという欲求。つまるところの憧れを抱かせるのに十分でないかなと思います。
    またそういう経験の積み重ねが、僧としてあるべき姿を春海は自分の中に拵えたんでしょうね。

    古い時代の中華風世界なので、男が優先されるのはそうですね。
    私個人の感覚だと世間がそうだったとして、自分の大切にする人に我慢させるような行為がどうしてできるのかなと思います。

    今回この物語は三人称の単一視点(春海視点)で書いています。
    三人称多視点(神視点)は読み手を混乱させやすいので、よほどの理由がなければ書かないと思います。

    僧なのに神々、について。
    身近なところで仏教にも仏法守護神と呼ばれる神様がいます。
    で、この物語は儒教や道教のあれこれを引っ張ってきているのですが、それらには神も仏も存在しません。ついでに僧もいません。
    なぜなら宗教でなく哲学や思想だからです。

    でもこれを物語にすると分かりにくいので、神と僧という立場を設けました。

  • お父さんが受け取る神託が国のいろんなことの向きに影響するという政治なのでしょうか。
    例えそうであっても、人一人の命を自ら絶たせるのは難しい気がしますね。
    「国が滅ぶ」も、「破浪の死によって国が救われる」も、どうにも抽象的です。
    いっそ問答無用で処刑であれば簡単だったかも。

    作者からの返信

    すずめさん、こんばんは。今日もコメントありがとうございます。

    春海のお父さんが受けた神宣を皇帝が国を治めるのにも使うとのことなので、影響力を持つようですね。
    仰る通り、それで破浪が了解したとしても、今度は死そのものへの恐怖があります。
    もちろん破浪は、この世界の住人としては現代日本人に近い価値観を持っているようなので、納得もしないでしょう。

    具体的でない結果の予測と、過程の明確でない効果説明。
    >問答無用で処刑 をすればたしかに簡単ですよね。
    皇帝の存在する専制政治で、しかも国が滅ぶか否かの瀬戸際。なぜそうしないんでしょう?